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おもいつきのきろく

2007.01 - 癲狂の記録

そして、もし君たちが、自分自身の自由のために戦うこともできないというのなら
……君たちはその自由に値しない。
(Lawrence Lessig)

<宿題&予定>
02/14 1500 仙台市立病院通院
02/06 1030 東北会病院通院
02/05 1100 ミーティング

2007-01-31(水)

晴れ。昼過ぎになって曇り。

親は昼前から午後まで外出ということで,ボウリングに。2h だとやっぱり 10G。もっとどんどん投げても,たぶん +1G くらいだろうか。流石に,2桁スコアは回避したものの,アベレージの向上はちょっとだけ,ストライク率は -1%。

昼ごはん。ひさしぶりに,牛丼 (並) & 玉子@吉野家。

SEIYU。

図書カード 1,000yen 分,受取り。

■ん,父や家族が時に酔っ払いなときに,くだくだと聞かされる話に説得力もないけれど,まぁ,「依存症」よりはマシか。

あ,でも,わたしは,あと 24日くらいすらも持たないようだ。ごめんなさい。ありがとう。

きたみちは,ひとのこころもてもわずらわせ, さるみちすらも,けがすばかり。

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2007-01-30(火)

晴れ。

業務スーパー。さのや。AEON SuC。(運転手)

スーパー銭湯。(運転手)

殺させなければならないくらいにまで我慢の限界に行ったときには,何も手を下さずとも言ってもらえれば自ら片をつけるよ。

麻雀。栄和 1回,自摸 1回,振込み 2回。たぶんマイナス。

「見識」でも「品格」でも「資質」でも,心からそう思っているから,「(女性は)産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と言ったのだろうに。社説は「政治家にとって言葉は武器であり、要諦だ。それを知らない政治家はいない」と指摘している。それはその通りだろう。「政治家」「代議士」であり,現役の国会議員であり大臣であり何よりも厚生労働省のトップなのだから,柳沢伯夫にとって (ご夫人や親族の女性はどうだか知らないが) 世の中の女性は「産む機械」なのだということだ。彼を厚生労働大臣に任命した人の夫人が子どもを生んでいないからといって,「欠陥品」だと直接的には言ったわけでもない (望んでも妊娠さえなかったりするのは,必ずしも「産む機械」側の欠陥だとも限らないわけだし)。その場凌ぎで自転車操業してきた年金や (本来は,世界に誇っていいはずの) 国民皆保険への政官財の無能無策の尻拭いを,「産む機械」のノルマで解決できるとでもいうなら,人工子宮の開発でも「借り腹」でも「産む機械」の「輸入」でもしてみたらよいかもしれない。「人道に反する罪」に問われてしまうのかもしれないが。或る意味,政府の「子どもと家族を応援する戦略会議」への大胆な提案にだってなったかもしれない。

わたしだって,大事なパートナーとずっと一緒にいられたらいいなぁ,とか,そこで「家族」がつくれたらいいなぁ,とか,と思ったこともあるし,そういう「希望」をまるで捨ててしまっているわけでもない。そうだなぁ,「大きな挫折」をした 1年ほど前までなら色々負担をかけてしまうことがあっても一緒にいた方がシアワセかなぁ? とか思っていたし,「ちょっと大きな挫折」をした 3年前までなら負担も無視していいかとかも思ったし,10年前なら勢いもあったかもなぁ。20年近く前の「大きな挫折」以降は,子どもの頃に思っていたような,「父のように,母のように」は諦めてしまっていたけれど。それでも,親が,孫がいたらなぁ,と言ったり言わなかったりしているのは当然知っているけれど,それは,今は,申し訳なくはあっても (申し訳ないのは,これに限ったことでもない,ほとんど全てのことだから),そんなに強い動機にもプレッシャーにもならない) 今や,今から想像できる未来に,自らのでもそうでなくても子どもを世の中に 挑戦させて,手伝ってあげられる自信は (少なくとも今は) 無い。

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2007-01-29(月)

雨ときどき曇り。

ミーティング。

午後は,「充電」でごろごろ。

麻雀。親満に振り込んだだけでなく,ノー和了。

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2007-01-28(日)

晴れときどき曇り。

ちゃんと眠れなくて,down。《駄目》な気配を感じたので,朝食後,「午前中は寝てるね」と言ったのだけれど,それも気に食わなかったか。

何にもできないのだから,言うことくらい聴け」。前半だけで,とてつもないダメージ。そりゃ,ここ数年がところ,<1-- -->またも,ただ生きてることにすら価値が無いような暮らし方。言われても仕方がない。《ここ数年がところ》? どうだろう? 20数年がところ,かもしれない。「親の脛を齧」らないで済んだのは,半分にも満たないし,そのつもりでいた期間のマイナスだって,結局,親に穴埋めさせたのだし。…お金だけにしても,どれだけ負担をかけたことか。<1-- -->他への想像だって,落ち込む材料には事欠かない。

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2007-01-27(土)

晴れ。

散歩。SEIYU。

天気予報では,午前中までは曇り,ということだったはずだけれど,どうやら日差しが続いているようなので,布団干し。

AEON SuC。メガネスーパーで修理してもらった眼鏡受け取り。

夕方になると,母は「こうじゃなかったら,もっとよかった」とかばかり。父の勤めていた会社がアンラッキーなことになることもなければよかったのかもしれないけれど,数千万だかの「無駄」も,なによりも心労をも生じてしまったのは,たかたが「わたし」。そう言わないのは,「親の情」か。<.p>

麻雀。親の跳ね満に振り込んだ (予想はついたけれど,ただ降りるのもわるいし) 後では,ザンクや満貫だけでは,取り戻せもしない。しかも,東風戦の北家開始なんだし。

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2007-01-26(金)

曇り。

ひさしぶりのボウリング (行きだけ運転手)。2h の投げ放題で 10G。最低スコアは 1G目 の 81。最高は 157。

AEON SuC。メガネスーパーで修理を依頼。

さのや。マロニエ。

父は旧職の新年会で外出。クルマで送ると言っても断られた。

晩ごはん。ホッキ貝の刺身もヤリイカもおいしい。

今晩は麻雀無し。Yahoo! の麻雀livedoor 麻雀でもやってみようかと,ちょっと思ったけれども,それもやめ。

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2007-01-25(木)

晴れ。朝,少しばかり雪がちらつく。夜になって小雨。

睡眠不足。

眼鏡の左側蝶番のところの螺子が折れてしまう。

昼ごはん。パーコーメン@たべにおいで。

遠刈田温泉「神の湯」。

麻雀。辺張・嵌張も避けずに待ってみる方向。「両嵌の渡りは残せ」も,*時によっては* 効果的 (だから,「格言」的に残っているのだろうけれど)。

久しぶりの Windows XP のブルースクリーンで,どうやら,ユーザ辞書が壊れてしまった模様。テキスト入力でときどき「なんじゃこりゃ」。辞書データのバックアップ,最近取ってなかったから仕方ない。

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2007-01-24(水)

曇り。

散歩。SEIYU。

「夜,よく眠れない」なんてのは,たかだか不調じゃなくて,病の (原因やプロモータではなくて) 症状。お医者さんに,限定的に睡眠誘導剤を貰ったり「眠れなくても,それも気にしないのがよい」とか「つらいときは (周りに何と言われても) 休む」とか,診療は受けてることだし。まぁ,心配してくれる人が,治療者としても患者としても「アマチュア」だって,アドバイスしてくれるのも,気持ちとしては「有難い」と思わなくちゃね。。

午後は畑に行くはずがキャンセルになったので,部屋でちょっと筋トレとか読書とかメール処理とか。

麻雀。立直・門断・ドラ1 での自摸和了 1回。でも,2回も満貫に振って,ラス。門断平・一盃口・ドラ4 の一向聴が全然進まなかったのが惜しいというか,ツキが無いというか,何より勘が悪いというか。早めの聴牌を狙うなら,平和系統になってしまうのは兎も角,時に断幺への嗜好・指向は捨てるべきかもしれない。

…やっぱり,止まらないし,眠るのも上手にならないなぁ。

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2007-01-23(火)

晴れ。

全然寝つけなくて,たぶん 05:00 頃やっと眠る。結果,大幅に寝坊。でもって,当然,叱られ・怒られる。

東北会病院通院。よく眠れない,散歩とかしても気が晴れない,眠りもうまくならないし, 家族にも「一年も経ったのに」(いや,たぶん,生死の境すら幾分も無いように思えるのは,もっと昔からなんだよ) とか言われたり,たぶん,家族の不機嫌の理由がこっちにあることも,診断で訴えたら,結局,クスリ 1種追加 (SSRI)。「逃げ道が無くなって,それで今まで逃れていたことにも直面しなくちゃなくなる」とか「自分が悪い,とだけ思い込む傾向が強い」とか,う〜ん,そういうのは大きいのかもしれないけれど。逃げていたようであってもその場その場の課題が無くなっていたわけでもないし,「思い込む」ことだって結局は「じぶん」の問題でしかない,としか,今までも/今も思えないしなぁ。

AEON SuC。

麻雀。立直・一盃口・断幺での自摸和了 1回のみ。

あと,1ヶ月。家族は気づいているのかいないのか。何にしても,何だかわからないけれど,「区切り」が欲しいと思ったりも。

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2007-01-22(月)

午前中はほぼ快晴。午後になって少し雲が出てくる。暗くなって一時小雨。

ミーティング。言いたいことを (言いたくないことも?),声に出して言ってみる,ということそのこと自体も,溜まっていることを吐き出す作業なのだろうな。聞いてくれている人たちが,特に反対も賛意も声にしなくとも,じぶんの中の「考え」だったり「想い」だったりなんだかわからないもやもやしたものだったりすることも,とりあえず & とにかく,言葉にして,声にして,出してみる,というのも,トレーニングであり癒しであり,なのかも。こういう場に辿り着いたのは,ただ単純にラッキーだったともアンラッキーだったともいえないけれども,ちっとも「無駄」ではなかったと。こういう場を持たない,或いは知らないのだって,はたしてシアワセなのかどうか。「先輩」たちの話は当然,他の「仲間」たちの話も,うなづけたり,ちょっと笑えてしまったり,かなしくもあったり。何か結論が出るようなものではないけれど,そんなことにストレスを感じなくて済む,というのも,うれしいこと,な,気が。

バザーで 6冊購入 (というか,「5冊買ったら 1冊おまけ」と言われたので)。いや,正直,《病い》かなんかの本が無いかと思って眺めたのだけれど,意外に無し。まぁ,そういうのだったら,「古本」として出さずに持っているかもしれない。コミックスのセットも薦められて,たぶん少女コミック系で,それはそれで,『ぱふ』(雑草社) で川原泉 (カーテンを巻きつけてスカートにして踊るコマだったか) だのを知り,『ぶ〜け』(集英社:発行 1978/09〜2000/03) でもっと多くのまんが家を知り,えっと,最近だと,『NANA』も途中までは読んでいるわたしとしては,それもそれでよさげ。でも,それは買わず。衰えたりとはいえ SciFi (SF) 好きとして,幼少時 (!?) よりのハインライン『月を売った男』,その後で (『機動戦士ガンダム』とかいうよりとっくの前に!!! 「スタジオぬえ」の画と共に) 『宇宙の戦士』のハインラインに惚れた過去とか,小学生で(映画『スターウォーズ』第 1作 (今となっては『エピソードIV』) を見に行ったこととか,小松左京だ半村良 (ごめん,『亜空間要塞』『亜空間要塞の逆襲』が一番好き) だ星新一 (ショートショートは当然として,1コマまんがのコレクションも大事) だ河野典生だ眉村卓だ石原藤夫だ荒巻義雄だ (なんだか「○○艦隊」で変な方に逝っちゃったけど) 豊田有恒だ広瀬正だ筒井康隆だ (まだまだ本職は「役者」ですかね?) 光瀬龍だ山野浩一だ平井和正だ (「ウルフ」が無かったら,もっと愉しい作家だったろう) 高齊正だ梶尾真治だ藤本泉だ矢野徹だ今日泊亜蘭だ野田昌宏だ (ガチャピン!) の作品も好きで,まして,ハインライン,クラーク,ブラッドベリ,アジモフ,ブラウン,シェクリィ,ヴォクト,PKD,アンダースン,ヴォネガット,ハミルトンとか,裏表紙に並ぶ名前もともかく,まずは,何よりも「福島正美:編」と付いた文庫が目に入ったのだったのさ。特別,コレクターでもマニアでも無いけれど (そだな,今でも,「サンリオ文庫」で PKD とかあったら,薄い財布でも何とかしたくなっちゃうかも)。

2冊受取り。

散歩。SEIYU。

QUICKPay のケース受け取り。とかいっても,近辺かつ日常寄る店に,対応店はほとんど無いのだよな,現状。サイン無しでのクレジットカード利用や,EdySuica の方がまだ《使える》かもしれない。

麻雀。門平ドラ1 の自摸 (子) と,立直・西・ドラ6 の栄和 (親) で,払ったのは,子の満貫 1回だから,今日はトップ,かな?

「アブラハムの宗教」であるヤハドゥート (ユダヤ教) やキリスト教,イスラーム,「ヴェーダ」系のバラモン,シーク,ミトラ,或いはジャイナ,道教,ゾロアスター,それに,(明治維新でしっかり異なるものになった) 日本の神道が,例えば,仏教が伝播・大衆化される過程で結局,「神や仏や聖人や奇蹟・聖跡が助けてくれたり祟ったり」というように,「神話化」されてしまったようになっていないかどうか,まだ知らない。いや,せめて,「神」も「仏」も「聖人」「聖者」もいなさそうな,う〜ん,でも,「先達」「先輩」はいそうな上座仏教には興味はある。あとは,なんだったかなー? Hackers' Dictionary あたりに載っていた「宗教」だと思ったんだけれど。キリスト教でなら,クリスマスが 25 Dec になったのとか,正教でもカソリックでもプロテスタントでも聖像 (イコンだの磔の像だの) 崇拝や「聖母」(おとちゃんの立場は?) だの「マグダラのマリア」への或る意味正直な情欲 (絵画や彫刻を観るだけでも,あれが単なる信仰のための象徴・ターゲットだとは言えないはず。象徴であるだけでも (それだって,心的・神的だけなものでなくなるだろう),イスラームのモザイクと変わらないどころか,よほど《象徴的》なはず。ギリシャ・ローマ多神教や,ケルトやゲルマンへの布教への妥協だって少しは知っているつもりだし,むしろ,中世からルネサンス (或いはそれ以降から現代) までのローマ・カトリックやその権力に反抗してみた (元々は「原理主義」的だったかもしれない) プロテスタントの「人間主義」的 (その「ヒューマニズム」をその内紛や争い,その下地に想像したら怒られるかもしれないけれど) に「西欧近代」が始まったのだろうという認識はある。でも,色々の宗教についての知識・誤解が,それほど浅くないとは思ってはいないつもり。というか,「宗教・信仰を持つ」こと自体,むしろ疎遠。大概の《そこらの日本人》のように,クリスマスイブにも,大晦日にも,元日にも祝う。ゴータマ・シッダッタ (釋迦) の誕生だの出家だの入滅だのが,そう,太宰治の自殺日や「赤穂浪士の討ち入り」とか梅や桜の開花予想と同じ (というか,もしかして格下?) で,しかも,新聞やテレビのローカルなベタ記事でしかないのは,やはり,日本は《大乗仏教》の独自変異パターンだからなのか。まぁ,それは,特定の宗教に《狂信的》なよりはマシなんだと思うけれど。特定の期間 (日中だけでも) 絶食とか,自動車使わないとか,血液も何も移植は拒否だとか,それぞれの《個人》が判断して,勝手にするだけならともかく (でも,生死は別だと思う) けれども,それを《個人の自由》《常識》と押し付けてくるのだったら,ぞっとするよ。(浄土) 真宗 (東だか西だかなんて,当然あんまり問題にしていない) で,阿弥陀 (阿彌陀) が,仏から菩薩に降りて,《一切》《衆生救済》という《本願》のために修行し,また仏になられた,だから (時間的な前後さえも超越して) 阿弥陀仏は一切を救っているのだ,というのが,親鸞のいう真宗の「信心正因称名報恩」なんだろう。それを信心してきた多くの人々のこころが,無駄であったとは思えない。他の「神」「仏」「真理」とかと同じように,それで《安心》できたという効用は,「迷信」で片付けてよいものではないだろう。でも,例えば,《他力本願》というのは,どっかの誰かとかではなくて,少なくとも阿弥陀なはず。その阿弥陀でさえ,釈迦が云おうとしたのは,《人物》のようなものではなかったのだろうと。今,少し齧ろう (舐めよう,かな?) としている上座仏教は,むしろ,「神」や「救い」を教える《宗教》ではないようだ。それでも,《絶対の神》があってというのは,その論理の内部からこそ崩れるというのは,ニーチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche) の中にも,もしかしたら先にもあるのかもしれない。

"yusasa" って,加州にもいらっしゃるのね。

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2007-01-21(日)

晴れ。日中はほぼ快晴。

塩釜水産物仲卸市場 (運転手)。鰤を探すのを忘れる。蝋梅ちょっと開花。鹽竈神社参詣。

さのや。

麻雀。今日は 3回和了で久しぶりにトップ。

関西テレビ『あるある大事典』以外でも,いわゆる「健康情報番組」で採り上げられた食材だのが,パニック的な消費行動で店頭から消えたりする例には事欠かないわけだが,1世紀以前がところの打壊しだの,オイルショックのトイレットペーパー騒ぎだの,まぁ,いつだって,そんなものなわけだけれども。今回の「捏造」がバレたのも,あまりにヒットし過ぎたことからだけのこと。今回の場合は,生豆喰って腹壊す,とかと違って,たかか納豆を多めに毎日摂取,とかだったから,特別な害はありそうにもない,というか,たぶん利の方が大きいだろう,というのがまだしもの救いかもしれないが。「健康」を売りにするテレビ番組だろうと雑誌だろうと広告だろうと (中には新聞や雑誌の「広告」やテレビの「特ダネ」の見分けもつかない人もあるだろうが),「検証」とか言って見せている映像・画像やグラフ・表が,胡散臭いどころではない「情報」なぞ,毎日流れているではないか。そういう胡散臭さにも気づかずにいることにさえ無自覚なことを,「「好きな番組だったが、もう見ない」「信用できない」などの苦情」をほざくことで更に明確にしていることも分からないのだから,パニック的な消費行動も,「裏切られた」(というか,だから何時裏切られたのか,わかっているのか?) とかも,仕方ないことなのだろう。占いだの霊視だのと同じようなただの娯楽に過ぎない番組とかの内容に,わざわざ手間や金をかけてまで抗議する,というのも,どうなんだか。ストレス解消? 『高島易断』とか,神社仏閣の御神籤とか,雑誌の星座・血液型・生年月日の占いとかで,<1-- -->いちいち「外れた」とか文句言うのか? それか,子どもの頃に,矢追純一の UFO ネタとか充分に見ていなかったのか,見ていてもいつかの時点で「あぁ,あれは」とか気づかないまま育ってしまったのか。いや,今でも「霊視 or 透視で犯罪被害者を見つける」とか,「あんた,死ぬよ」(そりゃ,生きているもんの死亡率は, 100%だな) とか,そういうものの胡散臭さ,冗談自体を愉しむこともできないのは,「パソコンだインターネットだ e-Japan だ」とかいう以前の「メディアリテラシ」の話,いや,「教育再生懐疑^h^h会議」の話じゃないのか。

以下,つまらないヨタ実験。納豆菌は 911 以降,先進国社会を騒然とさせた炭疽菌と同類の菌であるが,真正な日本民族の精神肉体には神聖優秀なる民族の血が脈々として継続されており,むしろ優れた浄化作用をもたらすことはいうまでもない。グルタミン酸に旨味を感じられない者に至っては,蛮人と言って差し支えなかろう。「納豆は中国からの伝来」などという風説に侵された輩もいるようだが,唐韓からの伝来によるのは「塩納豆」「寺納豆」と云われるごく一部のものであるり,納豆菌ではなく麹による発酵だ。名称が似ているとしても別物であるのは,馬鹿でなければ当然わかることである。唐韓南蛮からの流民たる薩長の傀儡に過ぎなかった「維新」以降のミカドに納豆を食することができなかったという伝説はむしろ,メリケン粉を主食副食に両用せざるをえなかった関西より来ることを示すものでしかなく (大阪にも納豆があることは奈良出身の薄馬鹿芸人のプロパガンダによって隠された!) 天皇家への配慮については,東照大権現以降三百年に倣うべきものである。安倍壺三閣下においては,奥州安倍氏の名誉ある末裔であらせられるのか,それとも所詮は半島までのトンネル掘削の陰謀さえ持つような長州に残る渡来人の滓に過ぎないのか,真の臣民に明らかにすべき善き機会であると愚考する次第。真の日本国民ならば,関西などの渡来人の地の風説などではなく,納豆の掻き混ぜ回数や醤油の投入適時,混ぜ物についてこそ議論すべきである。

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2007-01-20(土)

晴れときどき曇り。

「若いんだから,まだまだ才能が詰まってる」。はぁ? 「才能」なんて,たいがいの人には特別なものなんて無いのだろうに。トーマス・エジソンが言ったとかいう「99%の努力と 1%の才能」とかだって,99%努力したって,あと 1%の「才能」が無ければ「天才」にはならない,ということ。そして,たぶん,「努力」とかできる能力だって,「才能」のうちだろう。

昨晩の睡眠不足で,日中も寝て過ごす。

電報って,配達完了通知をメールにするとオプション料金取られるのに,届け先不在とか再配達とかでの電話連絡は込みなのか。ん? せめてものパートナーへのメッセージが届いたことはいいこと。

麻雀。門断平自摸のみが 1回。今日も,ラスだったかも。

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2007-01-19(金)

予報に反して夜の間に雪は積もらなかった模様。朝方,晴れ。昼頃から曇り。時折,小雪もちらつく。

鉢植えたちに液肥。

散歩。SEIYU。

2人麻雀だと,対子だのができ易い感じ。今回,山は普通に積んで,半分までで終わらせることにしているし,お互いにあまり喰わない傾向にあるので,摸の確率は変わらないはずなんだけれど。でも,七対とか (ただの) 対々とか好きになれないんだよなぁ。

麻雀。「いやだいやだ」と言いながら,やっていられたら,たのしくなくなる。高めの聴牌が予想されていて,それの当たり牌かもな,と思いながらも切って,それで振り込んでみても,まだ言ってるし…。終わらせたがってるので,門断平ドラ1 で自摸和了りして,ラス決定。付き合って貰っているのだから,これくらいいいか。それとも,麻雀ではない別のゲームとかでも探してみるか。

ワーカホリック (だったのか,他に趣味をもてなかったか) ような底もついてないあげくで,某所に辿り付けたのも何かの「縁」というか「救い」なのかもなぁ,名も無いまんまの人ということだったら何処かの誰かとおんなじで,それでも,いま,まだ,たまたま,生きているのは何かあるのかなぁ,と。

…ん,何もないことはもういいかげん,わかってるさ。20年がところもよりも以前ならば,「う〜ん,なんだか,うまくいっちゃうなぁ」とか,《幻想》も持てはしたけれども。幼稚園や小学校低学年の頃に,特別に成績がよかった記憶はない。「学校の成績」でいったら,高校の「中弛み」も酷かったし。その先なんてどうしようもない。「もう一度」のチャンスで貰った専門学校でこそ,生涯初めての「皆勤」とか,意味があるんだかわからん賞とか (たぶん,「現役」じゃない中での仕方がなくやる賞 (ちゃんとした「賞」を貰った友人は,もう,その「専門」を職とはできなくなったけれども,その世界でも,その世界以外でも十二分に優秀) 貰ったけれども,だからといって,後に何の役にも立たず。九九も漢字も,母が手間をかけてくれた以上の「自分の努力」は無いし,父母が (おそらくは能力以上の努力を費やした) 読書能力だって,今も多少は活きているかもしれないかもしれないけれども,だからといって,何の役に立つ訳でもない (誰の役に立ちもしない難癖をつけるのに使われているだけかもしれない)。幼稚園の父親参観で何か,たぶん,イメージで描いた父親の下手くそな絵を「プレゼント」と称した (花を描くとチューリップの戯画で「それしか描けない」とか同級に言われた記憶だってある) だろうが,クルマ (たぶん,スバルの 360? …年式・モデルはわからん) での帰りの途中で,ケーキを買った記憶もある。それでも,幼稚園でも「ゆ」が上手く書けないとかで,何回も直されて,それでもダメだった記憶もある (いくらなんでも,「ゆ」なのかよ)。小学校だって,どうかな? 3年生のときに不透明とはいえ水彩なのにやたら塗り重ねて,それでか,何かで賞を貰って (それで展示のときには入院して (自慢に) 見にも行けなかった) 絵だって,母の手直しがあったはずだし。高学年で「委員長」とかやったのは,ただちょっと成績がよかったのとエラそうにしてただけだったからだし (それでも,(妹をネタにしても?) 好意を示してくれる子とか,ちょっとライバル視してくれる (?) 子とかいて。今のような「果たして誰が居る?」とかいう環境から思えば,あまりにも贅沢なことかと)。

いわゆる「日米安全保障条約」(「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」[1960] とそれに付随する協定の解釈だの) の論理に従っている限りは,「左翼」かそれも駄目だという「反戦」とかも,「改憲」とかいう「保守」(「変える」と言い続けているのに何が「保守」なんだか) も,「占領」とかから脱却していない思考に過ぎないのは,当然だろうに。

失職してから,1年と 1ヶ月。

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2007-01-18(木)

午前中晴れ。昼になって曇り。夕方には小雨。

ウジエ。業務スーパー。さのや。マロニエ。

スーパー銭湯。

麻雀。プラスに終わるも,和了は 1回のみ。最後に振り込んだ發は,相手が対々のみっぽくて,副露にも河にも見当たらなかったからちょっと危ないなぁ,とは感じたものの,清一色・断幺・一盃口・ドラの三門張の手牌からだから,とても止められず。未熟,か。

アルコーリックがヨッパライに説教されても,素直に聴けるわけが。

阪神淡路の震災から (干支で) 一回り。あの朝,起きて,TV の電源を入れて,出勤支度に追われながら,「おやぁ? どこかで火事なのかぁ? 大変だなぁ」程度の感で出掛けて,通勤電車でも何事もなく (たぶんヘッドフォンステレオでも聴いていて),仕事場の煙草部屋で「どこかの街で火事大変みたいですねぇ」とか言って,M 部長 (課長だったかな?) に「何言ってるのっ? 大地震だよ」とか言われて,その頃まだまだ少なかった web メディアで確かめて (仕事先には会議室とか以外 TV とかなんぞ無かった (エライ人の部屋とかなら別だったろうけれど)),こっそりラジオとか聴いて,初めて「とんでもなくデカそうだ」と知った記憶。その後の報道で,潰された人達とか,崩れた建物とか道路の高架とか,消火も救命救助もままならないとか,救援物資の輸送もうまくいかないとか,或いは,ボランティアも集まっているとか (わたしは聞いたり見たり募金にわずかな小銭を入れただけ),そんなこととかは知ったけれども。あの震災でも,未だに記録もされずに,でも,誰かを何かを助けるために,いのちを失った人達も,また,いる。

震災で亡くなった人の名前は新聞に載りました。
しかし、復興作業の二次災害で亡くなった人の記事は皆無だったのです。
消防や警察の人は載ります。でも、労働者の人は載りませんでした。
飯場の人も、同じ現場で亡くなりました。でも、それだけです。
飯場の社長は、寺を借り切って葬儀を出してくれました。
葬儀の後は弔いの賭場開帳です。
阪急三ノ宮駅の復興作業で、俺が知ってるだけで三人亡くなりました。
でも、誰一人として新聞には載りません。

新聞に載った人達,遺された家族たち,職務以上に働いて (「働く」ということばさえ不遜に感じるのだけれど) 消防や警察の人たち,彼らの死も,当然,何より惜しむこと。でも,名前も記録されない,ひょっとしたら,名前の記憶も,それどころか,名前ではない彼ら自身への記憶も残されない人たちのいのちだって,たまたま,そこに居なかっただけのわたしより価値があるといえないことがあるだろうか。

アルコーリズム - 社会的人間の病気』読了。なだいなだの書いていることは,たいてい素直に,というか,「あぁ,わかりやすいことばにすれば (わたしの思っている (つもりだった) ことも) そうなんだ」と,受け入れ易く,かと思えば,『からみ学入門』のように「実践」すらしてみたくなるほどの読書体験をもたらしてくれるものなのだけれど,正直,この本は,沁みるだけにつらく,一気には読み進めず。この本を,「アル中」(アルコホリックでも依存症でも,ことばは何でもいい) だの「依存症」だの「医療関係者」だのに留めておく理由はないだろう。というか,そんな「病名」「診断」に至る以前に読まないのは惜しいだろう。「アルコール」が,たかだか「合法」だろうと,「ドラッグ」「薬物」の一種であることに気がつかされた / 気がついた人なら,この本を読むことで出来るのは「再確認」。気がつきもしない人には「再」はつかないかもしれない (彼らは,「共依存」も,通俗的なことば以外の「アダルト・チャイルド」も知らなければ,実際に彼らも何かに依存していることにすら気づかないかもしれない)。もちろん,もとが古い本だけに,医療,看護,ソーシャルワーカー,AA や断酒会以外の,あるいはアルコール (やそれ以外の薬物以外への)「依存症」についての言及が少なかったり,他の病いとの関連との記述が足りなかったりするきらいはあるけれども,「ヒト」ではない「人」「人間」へのこころがあってこその記述は充分感じられる。

 ここに傾きかけた家がある。それを倒れぬように支えている一本の丸太がある。丸太は支え,傾きかけた家は支えられている。
 だが,もし,その傾きかけた家がなかったら,丸太は立っていられるだろうか。丸太はたしかに支えだ。だが,支えることによって,自らを支えているのではないか。
 同じように,三本の丸太がある。一本一本ではたっておらぬが,たがいに支え合うように組むと,立っていることができる。支えながら,支えられることによってたっているのだ。
アルコーリックは,この丸太のように,一人では立ちにくい,不安定な丸太なのである。いや,人間すべてが,そうだといったほうがよいだろう。自分から他人に働きかけることによって自分を支える。そこに断酒グループの治療の成功の秘密があるのだし,社会的に適応した人間は,常に他人に対する働きかけによって,自分自身の支えをもとめているのだ。

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2007-01-17(水)

曇り。

風邪の予兆のような寒気が少しあるので,午後は安静。

麻雀。ノー和了。

夜。なんだかやたら静かな (「沈んだ」とはちょっと違うような?) 心持ち。「落ち着いている」「心静か」というのであればよいことだけれども,かつてそうだったことがあるように,単に「無感動」状態なのかとも恐れる。

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2007-01-16(火)

晴れ。

昼前に散歩していたらヘリの爆音。陸上自衛隊のが 20機程飛んでいる。新年のお披露目か演習? 演習にしては,編隊も機種も揃い過ぎか。

SEIYU。

「荒川リンク」? 埼玉と東京の境目にでも在るのかと。いつまでも「トリノでの唯一の金メダル」効果が続くわけでもないだろうし,旧:常呂町 (現:北見市常呂町) のカーリングのように地域を挙げて,ただの競技の裾野ではないような使われ方ができるのかどうか。他の失敗を見た上でのチャレンジ無しの無難なまとめ方を狙うようでは,衰退産業の経営なんかには通用しないだろうから,何らかの秘策でもあるのか。

 東京のスケートリンク運営会社加藤商会と宮城県、仙台市は16日、2004年12月に閉鎖された旧コナミスポーツクラブ泉・スケートリンク(仙台市泉区)を、今年3月末に再開することで基本合意した。加藤商会がリンクを運営し、県、仙台市が改修費の一部として計1億円を支出する。

「かつてのフィギュア王国」「日本フィギュア発祥の地」だとか? 公設公営のリンクも無く,公立学校の体育科目でもなく,単に「かつて」とかたまたま居た民間の優秀なコーチたち以外に,現実の財産は無いのに,何の役に立つ「お題目」なんだか。オリンピックだとか世界大会とか国体とかで表彰台に上がる選手が出ることで満足されるようなことならば,「はぁ,国威発揚とかですか」とでもなるだけ。豊かな國だこと。夕方の NHK の仙台局ローカルニュースでも「リンク再開」を伝えていて,冬季ユニバーシアードに遠征中の (リンクも無い仙台を諦めて名古屋に救いを求めた) 長久保裕コーチの電話インタビューを流していた。トリノはGMT +0100,時差 -8h 有るのだから,仙台 (日本) が夕方でもあちらは朝。昼過ぎでも早朝。指導すべき選手を抱えたコーチを国際電話で呼び出す影響は省みないのか。しかも,コメントで言っている「みょうりにつきる」の「みょうり」に「名利」のテロップ。まぁ,こっちは,新聞の (本文と共に) 見出しまで「独壇場」と打たれる (いや,言葉というものは使われているものこそ,だ,と思っているので,「間違い」「正しくない」とかは書かないけれどもね) 時代に,たかだかテレビのテロップの馬鹿変換に,校正だの求めても無駄なことか。

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2007-01-15(月)

晴れときどき曇り。

ミーティング。

業務スーパー。引地内科つきあい。さのや。(運転手)

麻雀。清一色に振り込んで終わり。

イラク占領軍の一部を担った日本陸軍「陸上自衛隊」の隊長が<,選挙に候補者で出る可能性大だとか。は? 多少でも顔とか名前が売れれば何でもありか。《戦地》に送られるのにも関わらず,結局,全国各方面隊・師団・旅団に関わらず,必要だろうと思われる装備も持たされずに命だけ (当人の意思は関係なく) 賭けられる一般隊員 (とその家族 (大抵は,「田舎者」)) の状況を訴えることができるならば,「ひげの隊長」とかの価値も,イラクの民衆たちの意思さえも無視できるかもしれない。

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2007-01-14(日)

晴れ。昼頃,雪。

散歩。

AEON SuC。

鈎取八幡神社のどんと焼きに,注連飾り等を。

麻雀。混老頭・白・西に振り込んで終わり。

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2007-01-13(土)

晴れ。時々,小雪。

業務スーパー。さのや。(運転手)

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2007-01-12(金)

晴れ。日没後,また小雪が舞う。

午前中はおとなしくしている。

AEON SuC に行って,ダイソーと AEON 1F。(運転手)ヨークタウンへ。ケーヨーデイツーで,エンジェルウィングジャスミンの鉢植え購入。ツルハドラッグ。ヨークベニマル。クロネコヤマト。

晩ごはん。すき焼き。周りを見れば,満腹になるほどは食べられず。

麻雀。家族麻雀で嶺上開花って初めて見たかも。配牌はどうも七対子形ばかりなのを,平和・断幺・一盃口に持っていこうとし過ぎたせいか,なかなか和了れず。聴牌までもなかなか。最後は素直に立直・七対子・ドラ4 で自摸ったけれども,いつの間にやら七対子で振聴状態になっていたところで諦めなければ,三暗刻・四暗刻の手牌。

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2007-01-11(木)

曇り。時々,小雪が舞う。

畑。ダイコン x7 掘り出し。

セブンイレブンで 1ヶ受取り。

しまむら。スーパー銭湯。さのや。

麻雀。

もっとどうころんでも社会科』読了。

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2007-01-10(水)

晴れ。

早く寝床に潜ろうとも,夜遅くには PC やケータイを打鍵を止めようとも,灯りも消して本読むのも止めようとも,昨日の診断で医者には不承不承処方されたアモバン (も過去持っているクスリも) も服用しなかったけれども,よく眠れない (「よく眠れる」ってのが,こんなに重大なことだとは,これも,失ったという認識を持ってからではないと,実感できなかったかもしれないなぁ) ための眠気の残りもあれば,どうにもならない depression の波もある (本当に,どうにもならない,ことを,医者《罹病者よりも知識も観察経験もは豊富な「専門家」だ》だの家族だの含めた周りだのわかってもらえる前に,何よりも《じぶん》がわからなくちゃ。

散歩していたら腹痛。帰って寝込む。そのまま down。

2冊受取り。

あぁ,もう,あと 1ヶ月半か。

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2007-01-09(火)

晴れ。今朝までの雪で,家や車庫やクルマの屋根ばかりでなく,地面も路面も薄く白く。

昨夜は寝つきも悪かったけれど,途中で目が覚めたり,夢見も謎だったり。

東北会病院通院。

社会保険事務所。

午後,畑にちょっと行って,ダイコン 2本掘り出してくる。残されていた小さなハクサイの結球したところだけ,何かに食べられている。ハクビシン?

それでもまだ,夜とか気持ちが苦しい。本を読んでも,ゲームをしても,きっと言った方では大したことないかもしれないアレが,アタマを占める。もう,そんなことに反抗する気力も無い。そうなのか,「むっ」ともだんだん思わなくなってきているのか,じぶんは。

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2007-01-08(月)

晴れ。たしかに小雨がぱらつく・小雪が舞うことはあるのだけれど,天気予報によっては,曇りのち雪だったり,晴れのち曇りだったり。

シアナマイド。

SEIYU。

妹離仙。運転手は辞退。業務スーパー。ダイソー。

マンションのオートロックってのは,江戸の木戸みたいなもんか。

何にも無いのに? …いや,それは何かあるんだよ。

たまに具合悪くなったりして吐き気とかするのは,もう慣れっこだけれども (プリンペランの服用と効くタイミングはまだよくわからない),いや,胸というよりは背中の肩甲骨の下辺りが詰まったように痛い・苦しいのは,何なんだか? わずかに眠った間,呼吸していなかったのかもしれない。そうとした場合には,むしろ,苦しさで目が覚めたのは,《生きるためには》サイワイだったと (死んでしまえば,こんなことを書いているわけもないが)。

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2007-01-07(日)

曇りのち雨。夕方になってまたまたほぼ嵐。昨日から,暴風警報が出たまま,夜まで解除無し。

人日の節句。

弐萬円堂で眼鏡受取り。

昼ごはん@かっぱ寿司。

The Mall。紀伊国屋書店で時間を潰す。買いたい本が無いわけはないけれども。ビッグハウス。スーパー銭湯。

どうころんでも社会科』読了。沖縄の昆布の大量消費の理由が,蝦夷地の開発と,北前舟,そして,対清貿易にあったことに由来するのは知っていたけれど,富山の薬売りや貧乏薩摩の琉球圧政にも関わるとは,知識も想像力も不足していたなぁ,と (最近は,富山市の消費量が全国 1位。あとは青森市,盛岡市などが続き,那覇市は 7位)。富山の薬売りよりも越後の毒消し売りの方がより「移動百貨店」だったとかは,坂口安吾『安吾新日本風土記』で読んだと思うのだけれど,毒消し売りって昆布についてはどうだったんだろう?

麻雀。サービスもしたけれど,サービスされもした。

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2007-01-06(土)

雨。風も強くてほとんど嵐。

やっぱり out。で,寝ている。

松戸市から書類届く。

1冊受取り。

反省していると down がひどくなりそう。救いの無い & 懲りない馬鹿。

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2007-01-05(金)

晴れ。早朝は氷点下 (市街も -0.4℃)。日中はほぼ快晴。暖冬小雪で,スキー場は困りゴルフ場は喜ぶ (雪が積もればゴルフ場からスキー場に変わるところもある)。

 東北のスキー場が暖冬に泣いている。年明け後、各地で積雪ゼロとなった青森県では、11日から大鰐町で開催する全日本学生スキー選手権は一部の競技が実施できない事態に。主なスキー場は客足が大幅に伸び悩み、関係者は恨めしげに天を仰ぎ、冬将軍の到来を待ちわびている。

 青森地方気象台によると、4日は青森や八戸など県内10カ所で積雪ゼロを記録。青森で同日に積雪がなかったのは、1961年以降の観測史上初めてという。

(中略)

 山形蔵王温泉スキー場(山形市)の4日の積雪も、上の台60センチ、中央80センチと各ゲレンデで昨年の3分の一足らず。年末の雪で何とか維持するのがやっとで、雪が薄くなったふもとなどは人工降雪機で手当てしている。

 岩手県雫石町の雫石スキー場も「日帰り客が減っている」と嘆く。滑走可能なのは14コースのうち8コース。正月三が日の利用客は前年同期比4割減の計約8900人にとどまった。

 一方、雪不足を喜ぶのは盛岡市のゴルフ場「盛岡カントリークラブ」。1月に営業できたのはこの40年間で8シーズンだけで、天候に恵まれた3日は100人以上がプレーした。
 積雪量が多ければ、すぐにスキー場に様変わりする予定だが、同クラブは「最近はスキーヤーが減り、ゴルフの方が客の入りはいい」と暖冬を歓迎している。

昨年の豪雪で,除けた雪の廃棄場となった公園の鉄棒までも歪んだ秋田とか,<1-- -->県知事の佐藤栄佐久が逮捕されて (騒ぎの割に,永田町だの霞ヶ関だのには煙も無いようだけれども,競争入札がところで,巨大ゼネコン関連がそんなにクリーンになったのかしらね?),すっかり土建業者が雪掻き商売に意欲を無くしてしまった福島とかには,何よりの助けだろう。でも,復興もしれない中越地震の被災者とか,昨冬の豪雪があってもなくても,雪に泣く人々にとっては,メディアにも取り上げられず,地方選へにも参院選へにも材料にならずで政治にも無視される,で,どっちがいいのか分からないかもしれない。

 新潟県川口町西川口の町立川口中学校の仮設住宅で25日、同県中越地震で被災した1人暮らしの無職、桜井礼子さん(53)が死亡しているのが見つかった。県震災復興支援課によると、中越地震での「孤独死」が認知されたのは2例目。

SEIYU。

まだ 2日も経っていないのに。だんだん,制御が効かない《衝動》の発生が短くなっているのか。

麻雀。河だけ見たら混一色は予想しづらいかもと思うけれども,發も中も哭いて副露に晒している (む,「馬から落ちて落馬して」の類の言い回しか) のに,そこそこ進んだところで,白が出てくるのは,サービスか。小三元・混一色・対々。なにも,わたしに「接待」しなくてもよいと思うし,こっちももう一巡二巡廻してもよかったかもしれないけれど,それで終わり,ということだったし。

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2007-01-04(木)

晴れ。

しぶんぎ座流星群はさすがに見ず。

タイタンにメタンの湖。

米探査機カッシーニが昨年7月、レーダーで観測した土星の衛星タイタンのメタンの湖(青色で表示)。直径3〜70キロ程度の大きさ。タイタンは初期の地球に似ているという(米NASAジェット推進研究所など提供)

The existence of oceans or lakes of liquid methane on Saturn's moon Titan was predicted more than 20 years ago. But with a dense haze preventing a closer look it has not been possible to confirm their presence. Until the Cassini flyby of July 22, 2006, that is.

Radar imaging data from the flyby, published this week in the journal Nature, provide convincing evidence for large bodies of liquid. This image, used on the journal's cover, gives a taste of what Cassini saw. Intensity in this colorized image is proportional to how much radar brightness is returned, or more specifically, the logarithm of the radar backscatter cross-section. The colors are not a representation of what the human eye would see.

The lakes, darker than the surrounding terrain, are emphasized here by tinting regions of low backscatter in blue. Radar-brighter regions are shown in tan. The strip of radar imagery is foreshortened to simulate an oblique view of the highest latitude region, seen from a point to its west.

This radar image was acquired by the Cassini radar instrument in synthetic aperture mode on July 22, 2006. The image is centered near 80 degrees north, 35 degrees west and is about 140 kilometers (84 miles) across. Smallest details in this image are about 500 meters (1,640 feet) across.

Radar imaging data from a July 22, 2006, flyby provide convincing evidence for large bodies of liquid on Titan today.

AEON SuC。運転手。

昼ごはん。ラーメン@たべにおいで。

蔵王チーズ。

遠刈田温泉「神の湯」。

他人の命をかけてまで守るべきもの,まして国家なぞありはしない。自らが殉じようとするなら,それは勝手だけれども,それは,自分勝手の最たるもの,もしくは,自分勝手ですらなくなった制御不能を著している自殺というものでしかない。

どこかのテレビニュースでは「不正に流出」とか打っていたようだ。問題はそこなのか? 本当に?? 意図して「偏向」しているのでもないとしたら,ただの馬鹿なのかもしれない。死刑の現場がどうであったかを知らせることが,誰にとって有利で誰にとって不利なのか,ということすら,流すメディアに解説できる者が無く,受け取る《消費者》にも解読できないのなら,「客観的な事実の報道」とかいうことばの馬鹿馬鹿しさを想起するに至る。

そうか,あれは,Reinhold Niebuhr の "The Serenity Prayer" (の前半) だったか。Matt Johnson も知っていたのかな? うん,知っていてあの詩を書いたのだろうな。

God grant me the serenity
to accept the things I cannot change;
courage to change the things I can;
and wisdom to know the difference.

Living one day at a time;
Enjoying one moment at a time;
Accepting hardships as the pathway to peace;
Taking, as He did, this sinful world
as it is, not as I would have it;
Trusting that He will make all things right
if I surrender to His Will;
That I may be reasonably happy in this life
and supremely happy with Him
Forever in the next.
Amen.

あったように,あるように,あるべきように
自分に変えられないものを,受け入れる落ち着きを
変えられるものは,変えてゆく勇気を
そしてそれらを見分ける賢さを
持とう

今在る日を生きよう
今在るひとときを愉しもう
困難も平安への道だと受け入れよう
かの人がそうしたように
この罪深くも思える「世界を獲得」しよう
かの人の意に沿おうとするときも
かの人がすべてのことをそのままに観ようとしたように従おう
この生なりにしあわせであること
かの人と共になによりもしあわせであること
そしてまたずっと。

上座仏教が言うように,「神様仏様」による他力本願を信じてしまう迷妄に安寧するつもりは (毛頭/いまや/まだ) 無いけれども,必要なのがこの 3つだということには強く同意する。で,カート・ヴォネガット (Kurt Vonnegut) は,『スローターハウス5 : Slaughter House Five』で,「平安の祈り」に続けて,「変えることのできないもののなかには,過去と,現在と,そして未来がある」と書いている。「変えられないもの : the things I cannot change」に「過去と,現在と,そして未来」が在るとしても,その「過去と,現在と,そして未来」とは《今知っている (ような気がする)《《世界》と《自分》を併せたもの》》とイコールではないはずだ。アーサー・クラーク (Arthur C. Clarke) が『2010』で,ボーマン (David Bowman) に言わせたように,「Something wonderful」が - -->「変えられるもの : the things I can」とは,何だろう? そして「愛は負けても,親切は勝つ」とも。「そういうものだ」。

「ボルジアの毒」は《神話》だとしても,「メディチの毒」はあった (可能性が高い) わけだ。

 【ローマ4日共同】イタリア・フィレンツェの支配者だったメディチ家当主で、変死したフランチェスコ1世(1541―87年)夫妻の死因を調べていたイタリアの科学者チームは、夫妻がヒ素によって毒殺されたことを明らかにし、このほどブリティッシュ・メディカル・ジャーナル誌に発表した。

 夫妻は87年10月、同時に倒れ1日違いで亡くなった。当時からフランチェスコ1世の弟で枢機卿のフェルディナンド1世が当主の座を狙い毒殺したとのうわさが広まったが、マラリア原因説も強くイタリア史の謎とされていた。

 フィレンツェ大学のドナテッラ・リッピ教授(薬物史)らは、素焼きのつぼに納められ教会に保管されていた夫妻の肝臓組織を分析。通常以上のヒ素を検出し、毒殺を裏付けたという。

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2007-01-03(水)

晴れ。

定義山。運転手。参道脇の店に「限定 熊汁 800円」の看板と貼り紙。撮り損ねたのは残念。

昼ごはん。合い盛り@あこや。太蕎麦,食べ応え十二分。正月の振舞い酒をやっているけれど,もちろん,飲むわけにはいかない。飲んだ一人は「水みたい」「薄めてあるのじゃ」とか言っていたけれど,酒度が低いのか,単なる辛口なのではないかと想像。

仙台ヒルサイドアウトレット。駐車場からモールに入ったあたりで,ふと不安になって戻ってみると,やはりドアロックしてなかった。足湯は今日もぬるめ。ウジエ。

鯨刺とツブ貝を食べるのはひさしぶり。

麻雀。満貫 2回和了っても,跳ね満振り込んでたら (しかも副露で混老頭・混一色が見えているドラ単騎。「接待かよっ」),トップは取れない。

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2007-01-02(火)

晴れのち曇り。

待たされるのは (あとついでの言い訳として,人ごみも) イヤなので (特に前者は理屈じゃない),初売りには付き合わず。

1冊受取り。

SEIYU。

今年もまた out of control。

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2007-01-01(月)

晴れ。

あらたま,ことほぎ。

初詣@仙臺総鎮守愛宕神社,曹洞宗虚空蔵山大満寺勢至菩薩。祈ったり,呪文を唱えたりするのは簡単なことだ。帰りは運転手。マロニエ。

喧騒と酔っ払いから退避して,読書してたらなんだか眠ってしまう。意外と深く。不覚。泊りのイベントにでも出掛けていた方が,お互いにラクだったかもしれない。まぁ,アタマを低くしてやり過ごすしかないだろう。

麻雀。配牌は悪くないのに,手が延びない。安和了り 2回。

「現実認識」を「絶望感」と捉えているようでは,誤謬に嵌るだけ。信じるところからではなく,観察するところから始めよう。

新年の抱負。普通、それは、夢と希望に満ちあふれたものになる。しかし、日本代表イビチャ・オシム監督(65)のそれは、絶望感ばかりが漂う。「今の力では10年南アフリカW杯アジア予選を突破することは難しい。夢と現実は別のものです」名将は、厳しい現実を知ることが夢に近づく第一歩と訴える。

あまりに意外にも,昨年末の『NHK 紅白歌合戦』の DJ OZMA の《パフォーマンス》への非難は,1992年の NHK『紅白歌合戦』の本木雅弘『東へ西へ』のコンドーム (白い液体入り) よりも,講義^h^h抗議電話が多い (ほんとうか?) らしい。どっちも「そのように見える演出という話 (着色したボディスーツだのということ) がされたようだけれども (現物が見えたのだとして,「で?」)「問題」にしたい人々の多くは「かのように見えた」ということは「と見えた以上は「見えた」のだ」という話に移行するだけだろうし,したくない人の中には「実は違った」のだから「実は」は無効だ,とか言う人もあるのかもしれない。ふ〜ん,やっぱり,感情は大事なものだよね,とかいうことか。どっちにしても,DJ OZMA と名乗る人の企画の枠は超えていないということは確実。企画自体が,あんまりにも予想通りの結果を生み出すことから,「陳腐だ」とかいうなら,少しは救いがあるか。でも,「陳腐」でしかないことまで覚悟の企画,というのも,日本国の風俗の 1980年代以降だったり (哲学だの思想だの芸術だの世界では遥かに古い) では寧ろ「狙い」であったりするわけだから,まぁ,あんまり救われてはいないような気もするけれども,米米クラブあたりのパフォーマンスの再生産だと思えば,もしかして「リスペクト」。何にしても。木更津だの千葉だのあたりを馬鹿にできる人なんて,そうは多くなさそうだ,ということ。しかし,あぁ,大人の女性のオッパイが見えると不快なんですか,見えなければよかったんですか,そんなに見たくなかったんですか,見たらいけないようなものだったんですか,下の下着を脱がなかったらよかったんですか。それでも,実は,最後には隠してるのがむしろだめだったんですか。どうも不思議だ。「不快」なんだから「不快」だ,ですか? そういう人もいるでしょうね。だったら,世界中,あぁ,すみません,「日本人」とやらの「世界」が 2次元的にも時間的にもえらく小さなものであることを忘れてましたか,そういう「大多数」とやらが「不快」だったら,粛清されてしかるべきものなんですかね。先日も,長勢甚遠の署名で「重大犯罪人」とやらが 4人も殺された国家ですものね。ただのヨッパライは「しょーがねーなー」で許容されても,クルマでヒトを轢いた場合だけいきなり重罪,自分の家族を殺してしまう (あぁ,たいがいの殺人は「通り魔」なんかじゃなく,身内によるものだとか,当然,知っていて,そう言うんですよね) ようなヒトには,《応報》しとけば,みんな気が済むのですものね。松本智津夫みたいな大犯罪を犯したキチガイは殺して当然ですものね。「社会規範」「公益に反する」ようなヒトは,もっとたくさん,ガス室にでも送って片付けてしまえば,もっとシアワセになれるのですものね。えぇと,*世界中の*,*誰でも*,「*不快*」に思うの *だったら* 「*不快*」として,「何処かの誰かが不快になる以上,不快」ということで,*撲滅するべき* なんでしょうかしらん? それとも,問題提起そのものが違ってる???? DJ OZMA (「綾小路翔」の表す同一人物であったとしても「別名」は「別名」) が NHK《出禁》喰らえば,あるいはメディア《出禁》までも喰らうならば,「不快」は回復できるのでしょうかしらん? いやいや,回復だとか,そんなこと別に「許せんもんは許せん」という断固たる意志なのでしょうね。DJ OZMA でも誰でも「紅白に適当でない」とか言うのは自由だし。「自由」は free とも同じじゃないなんて,まぁ,言語が違うからね。でも,どう思っていようと,いちいち言わないのも「自由」。それを妨げようとする《勢力》がいるなら,何も言わないでいることの自由であってさえも,それすらも抑制する方向に働こうとする《善意》に対して「それは自由ではない」と言うのも,むしろ,自由。とか何だとかいうよりも,単純に驚くのは,たかだかトップレスだとか,最後の「下まで脱いで」とかいうことに,「抗議」すれば,幾許かの満足を得られる,という浅過ぎる「文化」だか「風俗」だか「善意」だか「常識」だか。「脱ぐ」のがそんなに驚くようなことか? たかだかデフレ誘導の先駆者である松平定信の混浴禁止令とかからしても 200年もないし,そんなものすら明治まで徹底されてもいない《くに》で。まぁ,たとえ,『紅白歌合戦』だの『レコード大賞』だのが無くなったって,JASRAC だのの他人の才能で領収書を切っているような業界は困るかもしれないけれど,幾分「さみしく」はなったとしても,だからといって,例えば,トウモロコシが不作になったとか高騰したとかの話に比べれば,全然大したものでもないのは確実。

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[2007.01] [おもいつき] [ほーむ]