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おもいつきのきろく

2006.12 - 癲狂の記録

そして、もし君たちが、自分自身の自由のために戦うこともできないというのなら
……君たちはその自由に値しない。
(Lawrence Lessig)

<宿題&予定>
02/14 1500 仙台市立病院通院
01/09 1000 東北会病院通院
12/18 1100 ミーティング

2006-12-31(土)

曇り一時雪。

手元にある麻雀入門書の説明だけだと,同書 (を含め,多く) の点数早見表に,なぜ 20符 1飜のところが欠けているのかわからないような? 以下,たぶん (なにぶん,入門書読んだだけなので,間違いがあると思う)。

20符は,副底のみ。まず和了が,門前栄和だと +10 だから,除外。 平和以外の自摸は +2 で,平和の自摸では 20符だけれど +1飜。なので,基本的には,副露ありでの栄和ということになる。で,刻子・槓子と幺九牌の対子は,符がついてしまうから,順子 4つで頭も中張牌のみ。だから,20符 1飜が可能な和了役は…。

20符 1 飜は,素直に計算すれば,親で 20 x 2 x 2 x 2 x 6 で 960点で 1000点,子で 20 x 2 x 2 x 2 x 4 で 640点なので 700点ということになる。が,どうやら,これを,30符 4飜,または 60符 3飜の,親で 11600点,子で 7700点を満貫あつかいにしてしまうように,1000点にしちゃえ,ってことかもしれないけれど,どうも,平和以外の 20符は 30符として扱う,というのが一般的なルールらしい。とか,書いてはみたけれど,もっと勉強しないと,どうだかわからんな。

AEON SuC。ウジエ。

「冷汗三斗」ね。3斗って云ったら約 54リットル。干からびちゃうね。

東京裁判を茶番だと非難する人々が,IST を疑わないのだとしたら,それこそ茶番だろう。それとも,所詮は「勝てば官軍」か? しかし,それにしても,「人道に対する罪」の名の下に殺しが可能になるのだとしたら,「人道」とはそういうものなのか,ヒトというのはずいぶん難しい生き物なのだな,と,驚くばかり。

おもしろくても理科』読了。

 まず,一方に理科や科学が苦手だという人がいる。そういう話をきいていると頭が痛くなるのでやめてくれ,と言って逃げたりする。
 しかし。これだけ科学技術の進んだ現代にそれでは生きにくいであろう。毛嫌いしなくてもいいのに,と私は思う。
 そしてもう一方に,理科や科学の専門家がいる。そういう人は,科学のことを解説してくれたりするのだが,それがすごくむずかしくてついていけなかったりすることが多いのである。つまり,自分はわかるから,わからない人がどういうふうにわからないのか,わかっていないのである。 (文庫版へのあとがき)

理科や科学」に限った話でもないだろう。「専門家」でもなければ,法律でも経営でも旋盤の使い方でも白菜の太らせ方でも,わからないのは,むしろ当然。三島由紀夫はいい大人になるまで,米は稲の実 (というのは不正確だけど) というのも知らなかったらしい。それでも米喰って「国」を憂いていたわけだ。 三島由紀夫がその時,無知を恥じたか,勉強が必要だと思ったかはわからないけれども,「わからない」ことをまるで自慢するかのような,あるいは自己憐憫に浸っているかのような言動をする「おとな」は多い。しかも,そのくせ,当人は知っていて他人が知らないと,突然裏返ったりするのだ。「そんな常識も知らないのか,嘆かわしい」とか。強者弱者・勝ち負け・上下はひっくり返っても,同じ構図の中にいることにはかわりないのだけれど。自分はわかるから,わからない人がどういうふうにわからないのか,わかっていない」というのも,なかなか悩ましいこと。「わかる」ようになってしまえば,そのことが「わからない」という状態はわからなくなってしまう。更には,「わからない」にも,「何がわからないかわからない」ということもあるのがわからなくなってしまうこともある (これだと教師は務まらないだろう)。「わかる」と「知る」の微妙な違いもあるし,そこらあたりの「かけ橋になる」のはなかなか大変なことだ。

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2006-12-30(土)

晴れ。一時,雨・雪。

妹来仙。

Tha Mall。紀伊国屋書店で 3冊。

ビッグハウス。スーパー銭湯。

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2006-12-29(金)

朝のうち,晴れ。昼頃からときどき雨・霙・雪。。

薬剤師さんが言っていた「あとから苦くなることも」って,こういうことか。

散髪。1/4C ぶりくらいの短髪に。

天井灯掃除の手伝い。

さのや。AEON SuC。

麻雀。ハネ満ツモる。フリテンだったのだけれど。

「厳罰化」はやたら分かりやすいし,マスメディアが盛り上げた「曖昧な不安」解消の頓服にはなるのだろう。「仁丹飲んだら何でも治る (「反魂丹」でも可)」とかいうのと同程度の効果はあるのかもしれない。「酒酔い運転」(いわゆる「酩酊」のことだろう) は,実質上,殺人未遂に近いのだから同程度の扱いがあっても不思議ではないけれども,「酒気帯び」の扱いが軽いのは馬鹿げている。酩酊してコントロールを失った状態は,その状態に陥るという予見が可能であるにも関わらず,過剰にアルコールというドラッグを摂取した時点での責任。一方,「酒気帯び」は,「アルコールが入っている」という自覚があった上での行為だ。しかも,「警察」の試案だから彼等にそこまで考えろというのも無理かもしれないけれども,刑務所に閉じ込めたり罰金払わせたりすることだけで,ドラッグへのコントロールができるようになるというのも,安易な空想。「厳罰」への恐怖による抑止効果? 果たしてどれだけ意味のあることだか。轢き殺しや衝突等々での「被害者」の悲惨は当然だけれども,「犯罪者」となった人達の無残さが,今までもいくらも知らされてこなかったとでも?

 警察庁は28日、飲酒運転対策を中心とした道路交通法改正試案をまとめた。飲酒運転の罰則の上限を現行の約2倍に厳しくするほか、運転者と一緒に酒を飲んだ同乗者らに対する罰則を新設する。最高刑が運転者の半分だった酒や車の提供者に対しても、運転者並みに重い罰則規定を盛り込む。増加するひき逃げ(救護義務違反)も、懲役刑の上限を5年から10年に引き上げて対応する。

現行の道交法と改正試案の主な内容

 今回の改正試案は、運転者の厳罰化にとどまっている「行為者責任」中心の考え方から一歩踏み込み、運転者の周辺にまで罰則対象を広げているのが特徴。飲酒運転が根絶に至らない背景には、助長・容認する周りの人たちの意識があると判断した。同庁は国民から直接意見を募ったうえで、来年の通常国会に法案を提出し、同年中の施行を目指す。

 試案では、飲酒運転のうち、正常な運転ができないおそれがある状態の酒酔い運転の懲役刑を「3年以下」から「5年以下」に、酒気帯び運転を「1年以下」から「3年以下」に引き上げる。04年の改正以降も横ばいが続く飲酒検知拒否も厳罰化する。

 同乗者についてはこれまで、道案内をして飲酒運転を容易にするなど、明確な加担行為があった場合に限り、主に刑法の共犯(幇助(ほうじょ))規定を援用していた。最高刑は主犯=運転者の半分であるうえ、立証も困難で、立件されるケースは少なかった。

 試案では、こうした加担がなくても、酒席をともにするなど、運転者が酒を飲んでいることを知りながら同乗した人に対して、「3年以下」(運転者が酒酔い運転の場合)、または「2年以下」(運転者が酒気帯び運転の場合)の懲役刑を設ける。

 運転者に車や酒を提供した人については、車と酒が飲酒運転の犯罪成立に欠かせない「道具」であることから、運転者と同等に厳しい直罰規定を新設する。これまでは飲酒運転の幇助などで立件していたが、運転者をあおったり、アルコール臭を消す消臭剤を渡したりする一般的な幇助行為と区別した。

 ひき逃げ事件は、01年の改正後も5年間で約2割増えた。こうした現状を受け、罰則の上限は10年にする。これに伴い、飲酒運転でひき逃げした場合、業務上過失致死傷と道交法違反の併合罪の上限が従来の懲役7年6カ月から15年になる。

 酔っぱらい運転で人をはねても、逃げれば事故当時の酒酔い状態の立証が難しくなり、最高刑が懲役20年の危険運転致死傷罪を免れられるという「逃げ得」批判にも応えた形だ。

 このほか、飲酒運転で死亡事故やひき逃げ事故を起こすなどして免許を取り消された悪質な運転者が、免許を再取得できない「欠格期間」を最長5年から10年に延ばす。また、自動車の運転席、助手席だけでなく、後部座席もシートベルト着用を義務づける。

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2006-12-28(木)

晴れときどき雨。

「うれしかった」と言われると,言われた方はもっとうれしい。

昨晩よく眠れなかったので,午前中に補充。

09:25 頃,地震。38゜47.2'N 141゜37.5'E D71km M:4.4。

伯母の家,伺候。幼稚園頃までの頃の記憶は兎も角,18年ほど以前に少しばかりの間,寝食共に世話になった頃に,花京院まで通って,辺りの道がやたら狭くて判りづらいのは,よく知っているし,なにより,少し「ふだんよりも余計にイカれております」状態なのが本人,少しはわかっているのもあるので,運転手は辞退。伯母の息子である従兄弟は 2人とも,しっかり 4大を卒業して,なによりどちらも,仕事だって住んでいるところだって,そして,進んでいる道だって,それぞれ違う (当然か) けれども,それだって,しっかり《大人》にもなっていることは,伯父の葬儀で改めて知らしめられた。あんな風に,わたしは周りとやりとりできるだろうか,と。あぁ,でも,両親とも兄弟姉妹はたくさんいる/いたのだから,今更,過ぎることだけれども,いつかあった子どもの頃のように,またもっと仲良くしてもらっておけば,遊んでもらったり,教えてもらえたりすることがいっぱいあった/あるのだろうな,勿体無いこと。せめて,彼等の子どもたちにとっての《悪い伯父さん(そういう人がいることも,子どもには幸運かも,ってなことが書いてあったのは,ケストナーの『飛ぶ教室』だったか何だったか)。いや,以前,その,伯母の家にある,従兄達がその家を出て行くまで過ごしていたはずの離れに泊らせてもらっていたのは,わたしの憶えよりもっと短かったらしい。だいたい 20年が毎に泣かせているのかもしれない悲母 (あぁ,どうやって《悲しみ》を終わらせたらいいのだろうか? 《最後の方法》はあるにしても) の言うところによれば,たかだか 1週間くらいのことだったようだ。わたしよりも (これも,当然だけれども),しばらく仙台暮らしに付き合った母の負担,伯父伯母との関係とか。伯父伯母がラクしただけ,なんて,とても思えないけれど,でも,暮らしの上での実務的な負担以前に,「世話になっている」「嫁の妹 (とその息子)」とかの「上下」,生活そのもののスタイル・パターンの違いとか,心理的な不安は,狭い想像を超えることは確実だし,当時の《実家》で一人で衣食頑張らされた父にとっても,そんなことまでさせている兄を持った妹にとっても,いや,誰にとっても,カンタンなことであったはずはないのだな。でもって,たかだか 1週間くらいで,荒巻神明町に引越し (していたらしい)。アパートの 1F の端ではない部屋,隣のお婆さんがもう耳が遠かったのか,午前中から矢鱈にテレビの音量が大きくて,こっちは専門学校で午後クラスだったので,それが寝坊したいには「うるせーなー」という勝手な感情を持ってはいたこととか,郵便屋さんだったか宅配だったかのお兄さんが来て,呼び鈴,いや,いくらなんでもさすがに鈴とかベルではなくて,チャイムではあったんだけれども,何度も鳴らしているのにちっともお婆さん気がつかない。ワイドショーの司会の声がでかいのか,朝風呂にでも入っているのか,万が一にも倒れてたりする (まさか!) のか。仕方が無いので,パジャマ姿のまま出て行って,「裏」(にある「玄関」だか「勝手口」だか) で呼び続けるよりは「たぶん,表のサッシの方から (中から見えるように) 呼びかけたり窓叩いたりした方がいいですよ」とか言ったりしたことは覚えている。あと,それから,部屋割りが 6・4.5,それに K と 風呂 (バランス釜)・トイレの塊で 4.5 くらいだったのが直列に並んでいた (だから,「表」の 6畳以外は日当たり悪い,というか,間の 4畳半は日当たり以前に窓ゼロだった) ようなことも憶えている。だけれども,はたして何号室だったかのか,ちっとも憶えていない。通学路だった道路がバス道にしてはやけに細くて,沿道の蕎麦屋だったかに配達のビジネスメイトだかカブだかいるだけで,クルマの対面通行すら難しかったとか (それでも,情報処理 1種受験だったかのときに,仙台駅から東北福祉大まで (何を無駄に遠回りしてんだか,と,後になって思ったけれども,前日当日には「公共交通機関」ってある受験資料の文言に,あまりに馬鹿正直に「小国民」は従ったのだ) 乗ったバスの運転手のあまりに狭い角を曲がって行く腕に,素直に感銘したものだけれど),自転車で通過するときにも,前のクルマにも後ろのバスにも気を使わないと,気持ちよく走れなかったとか,自転車でそこらを抜けたあとで,勝山館だとかの杉玉も観たとか,そうそう,あとで,南光台に移った 2年間とかも同じだったのだけれども,矢鱈,時間制一方通行が多いとか (南光台では途中で原付スクーター get した (そのあと,松戸で lost した)) ので,余計,「原付を除く」の補助標識には助けられて,当時の知人たちとも「仙台で最強は原付 (もしくは,原付に見える 90cc とか (ぉぃぉぃ))」とか,そんなことは記憶にあるのだけれど。1F だったんだから,「10[235]」室だよなぁ,たぶん,2 か 5?? 102 とかは札幌だしなぁ,松戸は 201/202/205 だったし,遥か昔の緑ヶ丘ときたら,たぶん今居るところから,そう遠くもないし,最近一度は乗せられていったし,でも,確実に,行こうとしてもわからない。みたけの辺りも,いなくなってからだいぶ拓けたようだけれど (「ガンジン」とか「キンドーさん」とか「タモ」とか「ニット」とかみんなどうなったんだろうなぁ? きっと,ちゃんと《大人》になってるんだろうなぁ) でも,みたけとかなら,たぶん,近所まで行けばわかるだろう。あそこは,岩手山と姫神山と南昌山があるし。電話する先は,誰も知らないけれども。日本電電公社の民営化は 1985年だから,とっくに日本電信電話株式会社であったはずの固定電話は,荒巻新明町では自分名義 (初) で引いた (でも,やっぱり施設設置負担金 (いわゆる「電話加入権」) とか親負担) のもこの時だったはずなのに,その番号が何番だったのかも,覚えていない。親が初めてひいたであろう嘗てのひより台の番号とか,盛岡の番号とか (旧局番も覚えている),あと,流石に荒巻神明町でひいた後で一旦預けた後での松戸の番号とか,そのくらいは覚えているのだけれど。ん? 札幌での共同な番号とか後で付いた部屋別のとか,南光台での番号とか,覚えていないな。あと,DDI Pocket だの ASTEL だの NTT Personal だの TU-KA だの IDO だの DoCoMo だのの端末の番号も覚えていない。というか,今持っているケータイ (という言い方は永らく嫌っていて,セルフォンだのセルラーフォンだの言ったり書いたりしていたのだけれど,それは,いい加減,諦めた。世間に負けた。通じない言葉は,遺跡で見つかって解読してもらう以上の言葉ではないものね。それでもまだ,「携帯」とは書きたくないのは,少しばかりのまだ意地) とかもアヤシイ。そろそろ解約するかと思っている (業者のサービス停止の方が早いか) PHS の番号は覚えているんだけれど。移動電話も嘗ては矢鱈高くて,(リベートとかキックバックとかが少なくなったらしい) 今でもけっして安くはなくて,販社でアルバイトや契約社員や,あ〜,いわゆる「非正規雇用」の「創出」(おぉ,時代の先端を行っている!) には貢献していた/いるだろうけれども,そんな「今」からは想像もできないくらいに,たかだか10年くらい (10代くらいだと「10年」はとっても長そうに思えるけれども,30 とか過ぎれば,ちょっと違ってくるのさ) 以前は,はるかに高かったので,そうだね,せいぜい,移動電話は「自動車電話」が主で,それだって暫くは,かなりの贅沢品,日本国でいう「ポケットベル」(「ページャ」(pager),「ビーパ」(beeper)) が営業マンとか,もう少し後のジョシコーセー (女子高生) に普及して,それからまた少し経ったあと (ポケベル向けに公衆電話でテンキーを,そこらのプログラマよりも速く叩いていたジョシコーセーたちは,今,何歳だ?) くらいで,PHS とか cellular phone とか (趣味的にも,データ通信でも,本当は PHS の方が好きだけれど (っつーか,国土の狭い先進国では PHS みたいなのが主流になるのが 本当だと),まぁ,今更,どうにもならない) 持ったのは,固定電話持った 10年も近く後。Google Maps から辿って当たりをつけてみると,どうやら 1996/04 には改築されたようだから,あの部屋はもう無い。自動車の運転にもまた慣れてきたところだから,1回くらい試しに見に行ってみようかなぁ,とも思っていたのだけれど,建屋そのものももう無いのか。あのお婆さんとかは,どうしたのだろうか。とか,うだうだ書いて,要するに。連れ合いの亡くなった後の一人暮らし,ってのは,どうなんだかな,と。伯母は,血色もよくて,言葉もはっきりしているよう。伯父さんが居た頃より元気かも? とか書いたらいけないね。でも,キーボード弾いてみたり,川柳? 俳句? 短歌? 書いてみたり (ごめんなさい。不調法なんで,区別がわからない。大学の先生している従兄なら,判別なんて問題外かもしれないけれど。すごくはないだろうけれど,伯母さんの気持ちとして,わるくない句だと思った) ちゃんと暮らしているんだなぁ,と。なんだか元気で,なにより。親が来ないときでも,勝手に訪れてもいいかなぁ? いや,たかだかわたしが,孫よか可愛い (伯母の孫には,タレントレベルにかわいい子もいる! …でも,意識し過ぎた写真はどうかと思うぞ? by 《悪いオジサン》) とは思いませんけれどもね。孫を持つ可能性はかなり少なくなった,わたしの親はどうなるだろう? というか,わたしの一人暮らしはどうだっただろう? と思い返す。18 で一人暮らしさせてもらって,でも,22 で破綻して,それでも少しの世話の後に 1年弱一人暮らしした後に,また親の世話になって,あとは 15年弱か。育ったときの家族以外の《大事な人》と一緒に暮らすようなことには,結局至らず。だから,二人から一人,というような環境の変化はよく知らない。斉藤茂太はついこの間亡くなったばかりだけれど,その母,斉藤輝子は,夫の斉藤茂吉が亡くなったあとでかえって元気に活動したそうだ。夫婦が仲良かろうと,そうでなかろうと,そんなものかもしれない。なんだか,夫が残された場合は,元気なくなりそうな感じがするのは,う〜ん,ひょっとして,妻という存在に依存してしまう夫とかいう構図でなくとも,恋愛しているな愛でも似たようなところがあるかもしれない。

ビッグハウス。ダイソー。スーパー銭湯。AEON SuC。

「モーオタ」「モーヲタ」とかいうほどではないと思うけれども (もしかした言われても別に恥じないけれども),いや,わるくないと思う。

All Time モーニング娘。 All Time モーニング娘。 【1月14日まで公開】

1冊受取り。

麻雀。和了無し。

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2006-12-27(水)

未明まで雨。昼までは曇り。のち一時晴れ。夕方にはまた嵐に。

景品で,TOWER RECORDS の小さなボストンバッグが届く。

仙台市立病院通院。(運転手)

SEIYU。傘を忘れて,戻る。やっぱりちょっと,イカれているのか,気のせいか。

「人生ってすばらしい」のは,つんくが書き,モーニング娘。が唄うように,「泣いたり笑ったりできる」ことも大事。泣くこと,悲しむことができるのも,「生きている」から。でも,それだけだけでもない。泣くことも笑うこともできない,そんな時があるのも「人生」。「たのしむ」ことなんてこそ無理で,かなしくさえならない,そんなことだって,それだって,生きているからだからってことに他ならない。「かなしい」「つらい」が全てかも思えるときだってあるし,そんなことさえ感じられないほど「つらい」こともある。そこから抜け出せる望みももてないようなこともある。ずっと,つらくて,かなしいかもしれない,と思えることもあれば,もしかしたら,ほんとうにそうかもしれない。積んでいくのが人生だというなら,そんなのはつらすぎるかもしれない。でも。誰か,だいじな人から便りが明日届くかもしれない。なんだか可愛いものが明日見えるかもしれない。

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2006-12-26(火)

夜中に小雨。昼までは曇り。のち雨。夜には嵐に。

東北会病院通院。先々週末から先週前半の「ダウン」を聞いてもらって,少しラクになる。「必要だったのかもしれませんね」,か。そうではないかもしれないし,そうかもしれないし。

社会保険事務所。8月にやっておくべきだったらしい申請は,今からでも。ただし,書類が足りない。

業務スーパー。

必要書類は,郵送で交付申請ができるということ。

ATM で預入れ。郵便局で定額小為替 300yen (+手数料 10yen) 購入。

弐萬堂で眼鏡購入。先月片眼割ったものの代わり。運転用に少し度を強め (というか「普通」) に。

麻雀。今日も,平和徹底で早上がりを図ってみる。

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2006-12-25(月)

夜中に小雨降ったりはしたようだけれど,日中は快晴。

ミーティング再参加は年明けにする。

引地内科についていく。待ち時間にセブンイレブンで 1冊。

近くの駐車場でケータイのメール処理しながら,セブンイレブンで買った Pall Mall のメンソールを一服。日向ぼっこに出てきたらしい猫に遊んでもらう。さのや。協裕堂。AEON SuC。

麻雀。平和基本で早めの手づくりに徹底したら,やはり和了できるようになる。

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2006-12-24(日)

曇り。今日も,ときどき日が射したり,かと思えば,小雪が舞ったり。

寝不足解消のため,午後はごろごろ。

TIME 誌の「2006 Person of the Year」は「You」。「Yes, you. You control the Information Age. Welcome to your world.」だそうだ。「情報時代」を「コントロール」している「You」って,誰だ? 自身の「世界」に埋没しやすくはなってきただろうけれども。

mixi のコメントでもあった「サンタクロースを領空侵犯で撃墜」。面白過ぎる。

あと 2ヶ月,か。

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2006-12-23(土)

曇り。ときどき日が射したり,かと思えば,小雨が降ったり小雪が舞ったり。

ビッグハウス。ガルドドラッグ。スーパー銭湯。

麻雀。今日は半荘いかず。リーチ三色ドラ一が 1回だけ。

家庭内の時ならぬ麻雀ブーム。いや,父が「家族で遊べるゲーム」として出してきたということでは,(旧)ツクダ・オリジナル『ヤングオセロ』『デラックスオセロ』以来か。雀牌セットは任天堂。ということで (?),書庫 (たかだか新築 10年がところの家だけれども,本以外にもレコードとかボードゲームとかファミコンソフトとかも眠っている。家族のアルバムとか,古い教科書の一部だとか,学校辺り貰った表彰状だとか,MSX のカセットや FD とかも。時間がどれだけ確保できるかわからないので,優先順位もつけられないのだけれども,リストアップできる限りはしてみたいところではある) から,(旧) バンダイ『パーフェクトマージャン II』(表面の記載では「PERFECT MAHJONG II」) を掘り出してくる。「LCD DOT MATRIX SYSTEM」とかの小書きが,今となっては何とも「時代」。見かけや仕掛けも「時代」かもしれない。単三電池 2本を入れてみたら (古い電池入れっ放しで液漏れとかしていなかったのもおそらくはサイワイして) 何のことなく動作するのは偉い,まぁ,ボタンとか以外,機械部がほとんど無いのが大きいとは思うけれども,裏面のラベルを見ると,「1984」とあるから (シリアル No. 5622805),22年以上前の機械が,数年間,長く見ても 7年くらいだろうの稼働の後,眠ったままであったのに,しっかり動作したということ。今時の「オークション」だので珍重されるような「箱付き」とかでもなく,ファミコンのゲームカセットたちと一緒に眠っていただけで,特別によい保存状況でもなかったはずだけれども,札幌から盛岡へ,そして仙台での 2度のの引越しにも耐えたわけだ。「今時のネットオークション」で,まだ見かけるあたり,つくりの確かさは,企画・設計・製造・出荷・営業の想像の範囲さえも超えていたのかもしれない。けなげな機械であることよ。「1984」といえばオーウェルだけれども,『動物農場』だのも読んだのは,20年前には既に閉じていたらしい城北書店で買った早川文庫だっただろうかが これも「書庫」に耽読してみればわかるかもしれない,と思う時点で,高校時代 ということは,たぶん,買ったのは,札幌の玩具店。たぶん,当時の (数年後には駅地下街。 (エニックス『ドラゴンクエストII』とか

今更どうとかいう話でもないけれど。「モーニング娘。」の企画で,『ASAYAN』での「平家みちよ」だの「手売り」だとかは,当時テレビで見ていたような気がするけれど,どうかな? (テレビ東京の『浅草橋ヤング劇場』は,当時,南関東に居たので,意識しなくとも (というか,フリップしてても),見ることがあったし,それなりにおもしろかった,NTV の『電波少年』とかと同時代かな? でも,地方局制作の「へんな番組」に触れられなかったのは,おそらく「損」)。「モーニング娘。」も,当初から,そんなに真摯に「追っかけ」ていた感じはない。『モーニングコーヒー』も『サマーナイトタウン』も知ってはいるけれども,『抱いて HOLD ON ME』で不器用な振り付けでテレビで見たのが,記憶に残っているくらい。でも,「アイドル」を「経験」に持っている (持っていなかったら尚更なのかもしれない) じぶんとしても,うん,カワイイとか,好意を持てたのは,どういうことだろう? 「アイドル」が,必ずしもビジュアルだの言動への「幻想」で,満点でなければならないわけではないのは,「わかった」人なら同じだろう。

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2006-12-22(金)

曇り。

冬至。「一年の中で,日出時が一番遅く,日没時が一番早い」なんていう不正確な情報を語って恥じない輩は,それでも絶えない。日出時といえば,今頃は,東京辺りの方が札幌より早い時分。

郵便投函。腰痛で郵便局まで行くの止めたので,切手,足りているかな? 余計目に貼ったつもりだけれど。

さのや。惣菜コーナーで,大皿から「試食」して,しかも店員に「感想」言ったどこぞのオジサン,「店員に怒られちゃった」だと。「バカ」なんていう言葉を通り越してる。「常識の無い若者は」「恥かしさを捨てたオバサンは」とかいう間抜けなラベリングが,如何に言ってる人間の自己満足でしかないか,という反証にも使え…ない。ただ単に,「個」がバカ。そしてそれは決して「他人事」でもない。

柚子湯。

晩ごはんに,カボチャとアズキのいとこ煮。

麻雀。ルールはだいぶ向上。でも,ルールの「思い出し度」と和了の率がまるで反比例するのは何故?

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2006-12-21(木)

曇り。

眠りにつくのもよくなかったけれど,夢見も悪い。二度も嫌な過去を思い出させられたような夢。昨夜ほどではないにしても,寝汗。

起き抜けの鈍痛で,まだ腰痛が強いことがわかる。

昼ごはん。ワンタン & ショウロンポウ@たべにおいで。

蔵王チーズ。

遠刈田温泉「神の湯」。

麻雀。ルールは少しましに。

ほんとうにすごいことになっている。でも,たのしい。「混雑率 200パーセント」とかの路線だと無理な気もするけれど,こういう感覚もすてき。

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2006-12-20(水)

晴れ。

朝食時にふとビッときて腰痛。

朝,昼とだんだん食べられるようにはなってきている。

晩ごはん。ホタテのバター醤油焼と刺身,おいしい。塩辛に漬けたヒモが熟れてくるのもたのしみ。

えらく久しぶりの麻雀。ルールの記憶もかなりあやしい。

少しずつおかしくなっていって,だんだん色んなことが覚えられなかったり,忘れてしまっていくのかもしれないと思うと…。大事な人のことや,その人との思い出とかも忘れてしまうのだろうか? 世の中がわたしを忘れてしまうことよりも,わたしが世の中を忘れてしまうことの方が怖い。

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2006-12-19(火)

曇り。

激烈な自己嫌悪と落ち込み。食事もあまりのどを通らない。

午後,どうにか「毒」を抜かないとと思い起こして,スーパー銭湯。

9冊受取り。これは船便 (川崎港局のお詫びシール付き)。

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2006-12-18(月)

ダウン。記憶無し。それでも,「ミーティングに行かないのか?」と訊かれて,「行かない」と答えた記憶はある。だって,どのツラ下げて…。

失職してから,明日で 1年。

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2006-12-17(日)

曇り。

SEIYU。

じぶんですこし (かなり?) まずい状況であることはわかってはいる。

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2006-12-16(土)

晴れ。

わかっていることでくたばっているのは,まぁ,なっとく。

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2006-12-15(金)

朝になって晴れ。夕方,曇り。

SEIYU。

「ドライブ」(というか「自動車運転習熟」) を促されるけれども,う〜む,「動機」「やる気」を阻害するもんがあることは言えない。妥協していいもんではないのだけれど (事故ったりすれば,自分だけの問題ではない),「サウナとかで汗かけば,気持ちいいかも」という惰弱な言い訳で誤魔化して「ふろ行かない?」。ダイソー。スーパー銭湯。

自らが「狂っている」のかもしれないと思うならば,その「思う」が狂ったための結果だと知ることはできるのか? 「狂っている」のならば,自らが「狂っている」という認識は,「正しい」のか? もし,自身の持つ物差し自体が「狂っている」のならば,物差しが「狂っている」のは,どうやって知ることができるのか? 「左甚五郎」ではないけれども,「三枚合わせ」とかしたら,わかるかな?

たかだか 360日前くらいのことだけれど,思い返してみれば,やたらドタバタしてたなぁ,と。今になって思えば (今だから思えば?) しがみつこうとしていたものが,どれほどのものだかも分からずに,しがみつこうとしていた自分が,まだエライものであるように思い込むように,まぁ,周りにあるものが特別なものだという勘違いは,たぶん,わたしだけの非ではないのだろうけれど。

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2006-12-14(木)

曇り。夜になって雨。

畑。ダイコン 54本,埋める。ダイコン,ハクサイ収穫。少々の収穫作業だけのつもりで出たので,作業には少し厚着が過ぎて,汗だく。飲料水も持っていけたらよかったのだけれど。

業務スーパー。寄り道。ダイソー。さのや。(ダイソー以降で運転手)

こっちはその時点で,アルコールを飲むわけにはいかないという苛立ちがあることは否定しないけれども,それよりも素面で酔っ払いの言動に対応しなければいけない,ということにストレス。飲むのを,食事が済んで,ずっと相手をしなくてよいところになってからにしてくれればよいのだけれど。う〜む,通りそうもないからなぁ。

結局,雨。今日が,ふたご座流星群の極大なのだけれど,天候は (も) どうにかできるもんじゃなし。

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2006-12-13(水)

未明,一時雨。日中,曇り。夕方になって一時雨。予報に反して,早朝に晴れなかったためか,あまり冷え込まず。日中も薄雲が広がって晴れ間はときどき覗くだけの割には,気温も上がる。

「自国語」とされる言語に不器用なのは,何も東の海の向こうの大国のトップばかりではなく,東アジアにも似たような権力者がいるということ。(不) 必要な資質について,この部分では共通の文化が存在するようだ。「字余りで」という修飾を付けて補おうとした FNN のライターも苦労したことだろう。

2006年を象徴する漢字が、漢字の日の12日に発表され、安倍首相も2006年を漢字にたとえて振り返った。
日本漢字能力検定協会が、2006年をイメージする漢字を全国に公募し、その中で応募総数が最も多かったのが「命」。
2006年も清水寺の貫主(かんしゅ)によって書かれて、大みそかまで公開される。
これについて、安倍首相は12日夜、記者団に対し、「災害やいじめによる自殺など、命の尊さを考えさせられた1年だった。また、秋篠宮殿下にお子さまが誕生して、明るい希望を与えてくれた」と感想を述べたうえで、自らの1年も字余りで振り返った。
安倍首相は、自らにとっての2006年の一文字を聞かれ、「ことしは、わたしにとって変化の年でした。(一文字にすると?)それは『責任』ですかね」と語った。

仙台市立病院あたりまで行ってみるだけのはずが,結局,仙台駅前まで行って折り返し。ケーヨーデイツーでミニシクラメン。AEON SuC。

(not 自身の話) どうやら,やっぱり,単にくたびれただけでなく,酔っていたらしい。くたびれただけで,あんなにヘロヘロになってしまうのでは,どこか悪いのかも? とか心配したのは,ただの杞憂であったようで,安心。というか,ちょっと苛立たしいところも無きにしも非ず。

『'72 日本 SF ベスト集成』読了。

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2006-12-12(火)

朝まで晴れ。日中,曇り。夕方になって晴れ。ということで,寒い。明朝も寒いか?

東北会病院通院。診察,えらくカンタン。もしかして,「手が無い」?

遠刈田温泉「神の湯」。

(not 自身の話) 今夕もかなり「くたびれた」様子。

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2006-12-11(月)

曇り。

ミーティング。

2冊受取り。

銀杏剥き。

(not 自身の話) 「くたびれた」だけで,あんなにフラフラになるものかしらん?

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2006-12-10(日)

晴れときどき曇り。

午前中,動けず。

AEON SuC (運転手)。

夕刻のコペルニクス (1)』読了。

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2006-12-09(土)

朝のうち曇り。午前中,雪。昼頃になって霙。

SEIYU。

鶏手羽の塩焼き。

3冊受取。

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2006-12-08(金)

曇り。

業務スーパー。さのや。クロネコヤマト。(運転手)

豚肉生姜焼きとモヤシ炒め。

そういえば,しゃぶしゃぶ,しばらく食べてないな。

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2006-12-07(木)

曇り。

遠刈田温泉「神の湯」。

1冊受取。

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2006-12-06(水)

曇りときどき晴れ。

あいかわらずの「井の中」。こんなコメントが「現実派」だとでも思っているのだというなら,「演出」にも気づかない「人間力」に溢れる聴衆にすぎない。

 復党に対して「あの郵政総選挙では、抵抗勢力を排した新しい自民党を有権者が選んだのであり、その選択への重大な背信行為」といった反対論もある。分からないでもないが、あまりにきれいごとすぎる。すべては権力闘争の世界の話なのである。

「郵政民営化」を争点にしたかのように演出したのは小泉純一郎だけだとか,その演出にのった選挙民が,「すべては権力闘争の世界」を承知の上で,自公を勝たせたのだとかと見るのは,あまりにも浅薄。そんなものを「現実」だとして,「理想」という夢に眼を曇らせていないような言動をとるのは,結局,「枠組み」からちっともはみ出してもいないことの証左でしかない。「党議拘束」。かつての自民党は,農民から財界まで,過疎に悩む地方から復興に潤う中央まで,あるいは被差別の地域・階層・移民まで,様々な階層・立場を基盤とした多種多様の「日本」を,「清濁合わせる」ものであったからこそ,政権政党でありえた。今は,小規模農家を切捨て (全国メディアでは主題に上らないのが面白い),中小企業を切り捨て (法人税率の軽減は,結局大企業のため),高齢者や障害者を切り捨てていく「強者の論理」で動く組織。

SEIYU。1冊購入。

『おるちゅばんエビちゅ』6巻より。

デンワいっぽんで 男はこないけど ごはんはきまちゅよ (はぁと)
それは お金を払うから。

2冊受取。order がダブってしまっていたか。

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2006-12-05(火)

晴れのち曇り。夜になって一時雨。

金^h近未來通信に引っかかった人が結構居たという話に,今更「誘いの巧みさが憎い」。(法的には兎も角,道義的に) 責任が全く無いとでも思っているのか,まさか!?。「NIE」とかの自己広告記事等で (他のメディアよりも)「新聞は信頼できる」というキャンペーンを延々張ってきたのは確かだし,かといって,その中で,「信頼できる新聞」に掲載掲載されている広告は「記事ではない」し信用できない企業のものもある (ことを承知で読め),というような「メディア・リテラシ」についての言及を見た記憶は無い。むしろ,「新聞広告」というステータスを持って,広告料を得て営業しているのが,新聞を始めとするメディアの大多数だろう。広告に全く責任を負わないとするのなら,そのステータスは虚像でしかないということをも明言することになる。それでも,「新聞に載っていた」「テレビで言っていた」「本に書いてあった」「学会で発表された」等という「巧みな誘い」に引っかかる人は,居る。それも「自己責任」だけの話だろうか。

 また、と言うより、またまたまた、と言うべきか。IP電話サービスへの投資話を持ち掛けた大規模な詐欺事件が摘発された▼だました疑いを持たれているのは東京の「近未来通信」。だまされたのは全国の約3000人。被害対策弁護団によると、投資話で400億円を集めたというから、一人当たりで1000万円を超える
 ▼これほどの額を失うことは、大きな痛手に違いない。自由に使える1000万があれば…。そんな空想をしてみると、やっぱり「あわよくば」の欲にかられる。人情ではある▼ディープインパクトの馬券を買うか。1着になって、1割増しの払い戻しなら100万円が手に入る。宝くじにつぎ込むか。1等前後賞で3億円の夢が現実味を帯びる。すってんてんにされても、もちろん詐欺ではない
 ▼近未来通信は利益を配分する意思も能力もないのに投資を募ったから、詐欺の疑いになる。世の中には昔から、詐欺商法がいくらも横行してきた。浜の真砂(まさご)のたぐい▼自分は大丈夫だと思うことが既に、だましのテクニックにはまっているという。立命館大教授の安斎育郎さんは『だます心 だまされる心』(岩波新書)で、思い込みの怖さを戒める▼まっとうな考えを忘れてつけ込まれる。言葉を操る生き物である人間ゆえに言葉に弱い。誘いの巧みさが憎い。

金^h近未來通信の商売がマルチ紛いのものであるだろうことは,警察や自治体が動き出したことが明らかになる遥か以前から言われてきたこと。端末や通話カードの販売実績も無く,そもそも IP 電話での「中継局」なるものでの収益を得る方法すら不明確。関連分野に限っても,平成電電の話だってそう古いとも思えないのに,どうして,こんなものに投資した人が少なくなかったのかは謎だけれども,そういう「だまし」広告を購読者に見せてきた (購読者は,広告も含めた新聞を買って読んでいるのだ) メディアが,「まっとうな考えを忘れてつけ込まれ」た人を「だましのテクニックにはまった」などと,突き放すだけの態度を取れるというのは,一体どういう感覚だろう? 広告塔になってきた芸能人達は「わたしも騙されたのだ」と言い出すことだろうが,メディアがそれと同じでもよいのか? 蛇足。案の定,「広告で詐欺師会社の片棒を担いだ朝日新聞に近未来通信を叩く資格はない」(「朝日新聞」は,日経や地方紙まで含めた何処でもよいだろう) とか書く「アンチ朝日」馬鹿が居るようだ。「片棒を担いだ」のなら,それをも明らかにするのがジャーナリズムであって,沈黙するのは御用メディア。既に,地方自治体の知事・役人・議員の不正ばかりが紙面や時間を埋めて,ならば,中央政府の幹部や官庁や国会議員はどうなのか,は,全くといってよい程,指摘されない現状に,御用メディアへの片鱗は窺えるのだけれども。

1冊受取り。

鶏卵特売で,AEON SuC (運転手)。築地銀だこで,たこ焼きテイクアウト。

ダイソー。スーパー銭湯 (運転手)。

深夜に目が覚めたときの夢。砂浜近くの遠浅の海で,何人かと一緒にいて,「ちょっと色は濃いけれど,そんなに冷たくはないね」とか「○○の歌知ってる」「何で北海道のこと詳しいんだ」「中学校の頃は地元だったんだよね」とかの会話。大きな波が打ち寄せて,またもうちょっと大きな波が打ち寄せて,波の下で「ちょっと長いぞ」って,息を止めてやり過ごす。息が切れそうになったときに,どうにか波が引く。

「泳ぎに行こうよ」って言ったときに,行けばよかった。
スキーに誘われたときに,ついて行けばよかった。
「大阪行きたい」って言われたときに,一緒に行けばよかった。
「別の仕事誘われた」って聞いたときに,「挑戦してみれば」と言えたらよかった。
後悔しても何の役にも立たないけれど,可能な未来を避けて妨げていたのは,このわたしか。
謝っても何にもならないだろうけれど,きみの可能性の芽を摘んでいたのは,このわたしか。

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2006-12-04(月)

晴れ一時雨。朝は氷点下。ベランダの手擦りにも氷。

ミーティング。

内科通院に付き合い (運転手)。

なんだか眠たくて,新聞のテレビ欄に赤鉛筆で印をつけておいたドラマも見ずに眠ってしまう。深夜に目が覚めて,一服。冷気が,不意に,9年近く以前の長野の夜「まじめにカラダがガタガタ震えた」記憶を呼び起こす。あの時は,それこそ「歯の根も合わない」,歯がガチガチ鳴るくらいだった。今頃新たに恨む他人を作り出すような馬鹿になる気は無いし,他人がどう思うだろうということも (より強く) 無くなってしまったけれども,やっぱり,「IT 土方」(本物の「土方」の人に失礼な言い方) だったんだなぁ,と。「エンジニア」なんてほとんど詐称で,「技術」も「技能」も,それでほとんどがどうにかなるような仕事はしていなかったなぁ,と。何時の間にやら,結局,くだらない「プライド」に嵌っていたことには,何も変わりなかったのだなぁ,と。褒めてくれたり期待の言葉をかけてくれたりしていた人達には,もちろん,悪意なんて無かったのだろうと思うけれども,それで勘違いして,「ちょっとエライ?」と増長していたところが,確実に,できていたのだ。自身では,知識なり技術・技能なりを,知れば知っただけ知らないことが在ることを知ることが増える,とか,それを生かすことための挑戦の危険に向かう勇気みたいなもの,そんなものが無い,とかの不安,研鑽も挑戦もしないでいての受ける評価への不満,そんな馬鹿なことにばかり捕われていたというのに。単純な馬鹿。役に立たない「神様」は捨ててしまうと,結構,ラクになれるようだ。

漁民の大敵 (?) エチゼンクラゲを商品にしてしまった例は,やはり在るようだ。「有効利用」の敵は,コストだけだろうか? 加工等のノウハウや流通の不備,要するに「産業」になっていないことは,どうだろうか? フカヒレよりも更にもっと難しそうではあるけれども。

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2006-12-03(日)

曇りときどき雪。朝,屋根に薄っすらと雪。日差しがあったり曇ったりしているうちに,降ってくる。

クルマのタイヤ交換。しかし,いつまでも「stud-less」と呼んでいるというのも不思議な。

これまでのやり方で,私たちは幸福になったのか」への答が「否」であったとしても (二択を迫る「問い」そのものが,妥当かどうかはとりあえず措いて),解が「ミニマル経済への再構築」や単なる「伝統的な生活」への復帰 (「懐古」か) に,感傷的・感情的に向かえば,行く先が「枯渇」であることに変わりはないのではなかろうか。

グローバルスタンダードによってアメリカ化を世界に広げることは,エネルギー多消費型文化が世界各地へと感染していることです。アメリカン・ライフを世界標準にしてはいけません。それは世界中のエネルギーの4分の1を,1国で使って可能な生活様式なのです。世界をアメリカにしたら,宇宙船地球号はすぐにパンクです。
ところが,いまだに日本では「アメリカはこうしている。だから日本も……」調の主張を繰り返すオバカチャンが後を絶ちません。困ったものです。
世界中の人々の5人に1人は中国人です。これが全員経済的に立ち上がったら地球はパンクです。しかしそれは始まってしまいました。「救命ボートの論理」はより現実味を帯びたのです。そんなアメリカにとって,目の上のたんこぶは中国でした。救命ボートの論理です。
「救命ボートの論理」が働く世界では,大きく二つの動きが起こります。一方が救命ボート上で一人一人が節制しようという動き,もう一方が救命ボートからの引きずり下ろしの動きです。
話がややこしいのは,救命ボートで主導権を持っている男が,節制しようなどとは思っていないことです。

『鉄の夢』読了。

他の力士が「朝青龍に勝利を倒す努力をすべきである」(ママ) という意見には強く同意するけれども,所謂「大相撲」があたかも「格闘技」「スポーツ」に見えることがあるのは,あくまで,たまたまのことだ,ということにも,留意するべきだと。

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2006-12-02(土)

曇りときどき雨。

AEON SuC。

子どもが自分でカップラーメンにお湯を注いで食べていると,その親は「ネグレクト」だというなら,どれだけ多くの子どもが「ネグレクト」されていることになるやら?

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2006-12-01(金)

曇り。

「色眼鏡の狂詩曲」,『ちはやふる奥の細道』と来たら,『鉄の夢』かな? と。

遠刈田温泉「神の湯」。国道 286号を西へ。みちのく杜の湖畔公園を過ぎたところで左斜に折れて,県道 47号。県道 12号と当たったところで右折して西へ。

それまで嗜んでいれば,「taspo (タスポ)」使うことになるのか。

タバコの広告やパッケージに「喫煙と健康に関する注意文言」(喫煙は,あなたにとって肺がんの原因の一つとなります」等) が明示されるようになったのは,よいことだと思う (もっと強い文面でもよいと思うけれども) アルコール飲料や市販薬のような他の合法ドラッグ (薬物) にも,同様のことが実現しないのは,一体どういうわけだろう?

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[2006.12] [おもいつき] [ほーむ]