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[2007.02]

おもいつきのきろく

2007.02 - 癲狂の記録

そして、もし君たちが、自分自身の自由のために戦うこともできないというのなら
……君たちはその自由に値しない。
(Lawrence Lessig)

<宿題&予定>
04/04 1500 仙台市立病院通院
03/05 1100 ミーティング
03/06 0930 東北会病院通院

2007-02-28(水)

晴れ。夕方から曇り。

処方が変わってきたクスリにカラダがまだ対応できていないのか,中途覚醒の後の気分もあまりよくないまま。

1冊受取り。

3冊受取り。

ウジエ。業務スーパー。

ブとタのあいだ』卒読。今回は,名論卓説 & マンガの形式。

 何度も言うが,言葉では体験そのものを正しく語ることは難しい。言葉で伝えるということは語り手のものの見方が入ってくる。それも,体験した時点での見方だ。例えば十年前のある人の行為を語るとき,目撃したのが十年前で,十年前のものの見方でその行為を見ているということを,どれだけの人が認識して話をしているだろうか。言葉は体験そのものではないという認識があるかないかで,自分の発言に対する謙虚さが違ってくるだろう。

 その意味で「ブッダはこう言われた」と書くのではなく,「如是我聞 (わたしはこのように聞いた)」と断りを入れて,主観が入ってしまうことを明らかにしながらブッダの言葉を語る経典の姿勢は素晴らしい。

最近,写経でも流行っている『般若心経』がそうだけれど (あれはとても短いから,読むのも解説するのもラクなのだろう),実は,「如是我聞」で始まらない経典もある。というか,大乗仏典は (成立時期からしても当然ながら) 歴史上の釈尊の説法ではない。それでも,「如是我聞」として,主語というか話し手・書き手 (元々は口伝) の立場を明示して話す・書くということは大事だし,聞き手・読み手もそれをきちんと踏まえることはとても大事だと。 『Be!』にもそんな話があったような。 とはいえ,日常,家族には,「〜と思う」「〜ははず」と言うのが, 「そんな曖昧な言い方しないで,言い切れ」と不評。

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2007-02-27(火)

晴れ。

東北会病院通院。

東北三菱扇町店へ。F が Colt Plus RX のコンソールを確かめようとしたのだけれど,実車展示は無し。RallyArt のコンソールがほぼ同じなはずなので,それで確認。

ウジエ。スーパー銭湯。

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2007-02-26(月)

晴れ。

ミーティング。そうそう,一旦下がりきっちゃえば「底」なので,関係なくもなるのだけれど,「下がり始め」と「上がり始め」があぶないんだよね。あと,人との「距離」の取り方が下手とか,意識し過ぎなのとかも。

運転中,所謂「ヒヤリハット」。右手からくる自転車,片脚おろして停まったのを見て,左手からくるクルマ (そっちは一時停止なんだけれども,しばしば無視して突っ込んでくる) の停まるのを確認するため,クリープ現象でトロトロさせたら,右手にいた自転車が突っ込んできていた。…あわゆく当てるところ。もっと気をつけなければ。

引地内科へ運転手。医院には入らず,近所のセブンイレブンとか,ぶらぶら散歩。もうそろそろかな,とクルマに戻ってケータイ開いたところで,乗客戻ってくる。

区役所。駐車場が混んでいて,あまりクルマを振り回すスペースも無かったけれど,どうにか。キツキツな駐車場も困るけれども,あんまりだだっ広いよりは,かえって位置決めし易かったり。親の用事のついでに,世帯合併の手続き。健康保険の切替手続きは後日。

さのや。

もう風呂の時間にも間もないのに,今更外出しても,とは思うが,それでイラつくのは馬鹿なこと。

『野の道往診』読了。

「いじめ自殺」騒ぎのときの対応を思い出すまでもなく,この「文部科学大臣」なる人の「理解」「思い」「考え」とやらは,この程度のもの。今更,何を驚く必要も無し。選挙民が,選挙のときまで覚えていればいいだけのことこと (特に,京都 1区の選挙民の人々は)。選挙まで黙っていられないのならば,伊吹文明やそれぞれの地元自民党・公明党の代議士に,メールでも FAX でも電話ででも,抗議をするのが効果有るだろう。

 伊吹文明・文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で「教育再生の現状と展望」と題して講演し、「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」と発言した。また、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」などとも述べた。

 伊吹文科相は、人権を「侵すべからざる大切なもの」としたうえで、バターに例えて発言。「権利と自由だけを振り回している社会はいずれだめになる。これが今回の教育基本法改正の一番のポイント」と持論を展開した。

 「同質的な国」発言の前段では、イラクを例に出し「宗教的対立が激しいと、同じイスラムの中でも宗派が違うだけであれだけ厳しく対立する」とし、日本を「宗教的に極めて自由かったつな国民が作っている」と述べた。

 日本と民族を巡っては、86年の中曽根康弘首相の単一民族国家発言以降、自民党の閣僚・議員が同様の発言を繰り返し、アイヌ民族が抗議。「単一民族優越主義」的な発言などとして、国際的な批判を招いた。

 伊吹文科相は講演でさらに、全国の高校で発覚した履修漏れについて「受験に有利なことだけ教えたっていうのは未履修問題。教育の世界における村上ファンドやライブドアみたいなもの」とも発言した。【横田信行】

人権メタボリック症候群」。「人権代謝症候群」って? 「人権」って,「代謝」するものだったのか。それとも「無駄に溜まる」とでも言いたい? 大和民族が」「歴史的に」「同質」。明治以降の「教育」の偉大なる効果? この人, 1938/01/09 生まれなのに,「戦後教育」が如何に無力だったかの証明かもしれない。まぁ,「戦後教育」においても,「日本国籍を持つ者」「日本に住んでいる者」「日本人」それぞれ全て,「歴史的に」もちっとも「同質」ではないことは不足してきた (「回避」してきた) 部分ではあっただろうけれども (地域・世代・階層によっては,言葉も通じないことも多々。「血」ともなれば,どれだけ異なるものとその混交であることか)。人権を」「バターに例えて」。「パンとサーカス」か? それとも (トランス脂肪酸のたくさん入った) マーガリンに変える? 「権利と自由」は「バター」なんだか? 宗教的対立」。「学会」にも意見を訊きたいね。せめて,ムスリムの国会議員でも出てから言って欲しい,とか。村上ファンドやライブドアみたいな」。両者の違いも分からないでよく「問題」や「例え」にできるもの。「有利なことだけ」とかいうのも,志帥会会長にすら,力量不足とされたご本人の言とも思えない。

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2007-02-25(日)

晴れ。朝方冷える。

AM。近所を散歩。

PM。散歩。治山の森から萩の郷を通って八木山南まで。

『世紀の「大疑問」』読了。

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2007-02-24(土)

晴れ。

散歩。ぶらぶらと AEON SuC まで。ガソリンスタンドの角で,女性に「あの,いいですか? イオンスーパーってどう行ったらいいんでしょうか?」と訊かれる。「あぁ,イオンですか。今わたしも行くところですが。この交差点をそのまま真っ直ぐ行くと,左手に見えてきますよ。もうちょっと,100m ばかり先です」。さすがに「ご一緒しませんか?」とは言わない。女性は礼を返して,さっさと進んで行った。東京辺りにいた頃にも,道だの電車だの (「これでディズニーランドに行けますか?」) 訊かれたり,カメラのシャッターボタンを押すのを頼まれたり,わたしの連れにも,周り他の人々にも,こんな図体のデカイ,髪も手入れしていない,時には無精髭を相手に,よく「頼む」ものだと,不思議に思う。「パワー」な「オーラ」「気配」が無いんだね,きっと。

『現実入門』読了。無理を承知で書けば,帯も残しておいて欲しかったよ>図書館さま。

『心は病気』読了。

やはり,「仏教」を「宗教」にしたのは,釈迦の説を (どういう経路でか) 知り,それを解釈した「宗派」(「○○宗」というのは,その時代その時代での「仏教解釈」「応用」の「新興宗教」) であったのだろう。それはそれで,ホトケなり神なりに頼ることでの「宗教」。スマナサーラの書くように,「頼るものなぞ何も無いのだ」と釈迦が言ったのならば,それは,「宗教」ではないように思える。

 科学では自然法則を乗り越えることを目指しますが,仏教という心の世界では,心の法則を乗り越えることを目指します。ですから,やっぱり仏教を英語で表すとしたら「science of mind」というのがいちばん適当な言葉だと思います。自然法則の科学ではなくて,心の科学なのです。

(p.94)

自然科学・社会科学が目指しているのは,自然・社会の法則を「乗り越える」ことではなくて,どうやれば (神様が世の中を作ったとかより遥かに) うまく説明できるか,であるような,或いは,宗教で使われる論理をそれ自体にも適用し返していったときに,どうなるか (ニーチェ的?),であると思うけれども,それらも結局は,「乗り越える」ための「やり方」「方便」「science」なのかもしれない。

「慈悲の瞑想」(p.191)。

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように (3回)

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように (3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように (3回)

「慈悲の瞑想」のつづき(p.192)。

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

(3回)

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2007-02-23(金)

曇り一時雨。

AM ダウン。なんにも (じぶんにとって) いいことないのに責められている夢だか妄想だか。「仕事」していれば,こんなこともないのかと。ぐるぐる。

車検越さないことになったらしいパジェロのタイヤ交換の手伝い。こんなわたしがいなかったらどうなんだろう? 車検越すための費用だって負担にならなかったのかもしれない。わたしが下手に「運転練習」しなかったなら,もっと持ったのかもしれない。持ち主大事に乗って,手入れもしてきたのに,ここに来て,「もう寿命だよ」って言われる機械の気持ちが悲しい。

散歩。SEIYU。

あと一日。そんなことに無神経で居られるほど,わたしは常識人ではない。テンキョウだ。

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2007-02-22(木)

晴れ。

移動図書館で 5冊。

なんだか F は「決心」半ばついたようで,東北三菱に寄ったところでも,もう見積もりを。

昼ごはん。Aランチ (ラーメン & 半チャーハン)@豊園。

扇町のショールーム。モデルチェンジ 1年以内前とかいうクルマは,展示されてもいない。「セダン」ってこんなにも今人気ないの? 「ワゴン」モデルも,ハッチバックには負けるのか。F も M も「たまたまだろう」とか言っていたけれども,セダンのレンタカーを駐車場に廻したのは,熟練の営業の「業」なんじゃないかと。

農業園芸センター。もう梅が咲き始めている。

さのや。時間稼ぎで,業務スーパーとダイソー。戻って,さのや。

散歩。SEIYU。そろそろパートのレジの人に顔を覚えられていそうなのが,困る。…「ふつう」は困らない。

『貧相ですが、何か? - 哲学教授大いに悩む』読了。

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2007-02-21(水)

晴れ。

一日ダウン。

F のクルマの車検費用見積もりが予想外に高かったらしい。まぁ,もう 10年以上も乗っているし,「街乗り」だけならまだしも,松戸との往復とかだって,何度もやっているもの,どんなに大事に乗っていて,素人なりのメンテナンスしていても,限度はあるのかもしれない。で,新しく買うのかどうか。F が一晩考えるとのこと。M が「へそくりから出してもいい」とか言っていたり,わたしが「(今は全然駄目だけど) 2年先なら少しは期待してくれてもいい (う〜ん,信頼性無しだな) かもとか言っても,柔和に見えて実は「頑固」「強情」な F は,「考えておく」っつうことは,たぶん「却下」)。

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2007-02-20(火)

晴れ。

東北会病院通院。帰りは運転。途中で,一時停止もしなければ,方向指示器も使わないクルマがいて,その運転手に対して F が「病院行きだ」と。…ダメージ。現実に「病院行き」なのは,今,F を助手席に乗せて Colt Plus を運転しているわたしだよ。

明日〜1ヶ月,もしくは 2年,さらにもう少し先,そんな選択にも,「話し相手」にはなれないか。仕方の無いことだけども。2年先なら,助けになることもできるかもしれず。助け以上に,役に立つ・恩を返せることができるかもしれず。といって,その前により負担になることがあるかもしれず。遥か前に,何も無くしてしまうこともあるかもしれず。結局。何の助けにもならない。

スーパー銭湯。さのや。マロニエ。

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2007-02-19(月)

晴れ。

遠刈田温泉「神の湯」。「あつい湯」も「ぬるい湯」も同じくらい。

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2007-02-18(日)

一日ダウン。

一人暮らしなら,何も食べないで,転寝しているか天井を見ているか。今,ここに居られることは,相手にとっては何気ない言葉に傷つけられることがあろうと,どれだけ貴重なことかと。

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2007-02-17(土)

晴れ。

ウジエ。

散歩。SEIYU。

麻雀。ラス。

自力で「救われる」ことは,やっぱり難しいと。

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2007-02-16(金)

晴れ。今朝までの雪は昼頃までにはほとんど融けてしまう。

午前中はおとなしくしているけれども,眠れるわけでもなし。

税務署。スーパー銭湯。汗を流して,温まったら,気分もラクに。

麻雀。ひさしぶりにツキが回ってきたか,連続和了 (最後に満貫に振り込んでも余裕) で,トップ。

「捨て台詞」のような言い方に,恥じを知らないのは,「教育」の欠如故に仕方の無いことかと思う。たかだか「地方の進学校」でしかないところにも,辿り着けずに至っても,今のわたしよりかは十二分にマシな (業務時間に関係ないことしていても許される = お金の貰える) 仕事場にいる「クリエイター」には,そうだろう,9 to 5 な仕事をさせられているような「OL」は「ぱんぴー」にしか見えないことだろう。彼女等も,4大卒だったりしてる。それが,そんなに満足している社会生活を送っていると思う方が,無神経。

夢で,好きな人に,電話をかけてしまっている。(こんな夜中に電話してしまった) その罪悪感。相手の声が聞こえた気がするときに,目が覚める。ケータイや子機の発信履歴を確認して,電話してないことを確かめる。ほんとに「狂ってる」なぁ。そんな人から,ほんとに電話着てたなら,どれだけ救いになるだろう。

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2007-02-15(木)

雪。夜,暴風。

案の定,今朝は駄目。「生きる価値が無い」と言われれば,それはそうだろう。

昼ごはん。あっさり辛味噌ラーメン@味よし。「こってり」のスープも飲んでみて,それなりに旨い (魚介系だね) と思ったけれども,700yen はちょっと高い。やっぱり,ラーメンの値段の規準は,タクシー 1メーターでしょ。

業務スーパー。ダイソー。ベイシア電器。クルマの中で倒れて寝てる。

麻雀。当然,勘も利かず。ラス。

早めに寝付くことはできたのだけれども,深夜,所謂「金縛り」的な,「誰か・何かの気配」で息苦しくなって,最悪の気分で目が覚める。一度目は誰か女性が (?) 立って見下ろしている感じ。怖くて,ちょっと動けないでいる (だから,それは夢の中なんだってば) けれど,少しして,電灯のスイッチに手が延ばせて,灯りをつけて。二度目は,もっと何かわからないモノの気配。たぶん,単に風の音に驚いただけ。でも,「もう眠れないかも」とか「もっともっと苦しくなるのかも」とかいう不安に苛まれるこころは,コントロールできるところを離れている。「心霊」とかいうヨタにはとても拠ることはできない。そんなのは血液型だの星座だのただの「オカルト」。たぶん,おそらくは「届かない想い」を重ねていることでしかない。それでも,そういう「思い」を重ねていることは,ある意味「オカルト」かも。

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2007-02-14(水)

早朝降雪。

日本では「こういう日」になっている以上,「義理」でも何でも,チョコレート貰えたりあげたりするのは,うれしいこと。こんな日があろうとなかろうと,チョコレートもココアも (自分で食べる/飲むのは) 好きだし。中高生くらいのときには,「もしかしたら,こんな自分でも」とか,どきどきしてみたり,「本当に本命の相手は受け取ってくれるだろうか / 贈ってくれるだろうか」とか,「本気」だったところもあったなぁ,と。ブランデーケーキとは言わずとも,ちょっと酒の入ったケーキとかでもヘロヘロになったとかいう話があった昔の仕事場の主任さん (いや,とっくに「主任」じゃないか) とかどうしてたんだろう? (ちなみに,アセトアルデヒド脱水素酵素 (ALDH) 2型のが無いヒトは「欠陥」とかじゃなく無理) で,今のわたしも「酒入り」は食べられない。知っていて寄こしたんだったら…。

仙台市立病院通院 (運転手)。これまでより早めに行ったせいか,それとも単に空いていたせいか,少しばかり早く完了。前回の採血の結果は,承知の上でのよくない数値以外は,特別悪くも無し。血圧は今回も下が高い。

クルマで SEIYU。

麻雀。ひさしぶりに,たぶん,ラス。

「治る努力をしていない」。そうか,ならば生きている価値も無いのだな。そういうことを書けるシアワセを羨ましく思うけれども,少なくとも書けるヒトの方が他人にもシアワセを振りまけるのだろう。「うつ病」「依存症」とかわかりもしないヒトにとっては,そう「言う」ことも「ストレス解消」か。と書けば,また怒るのだろうな。でも,もう結構。わたしがあなた自身にかけた迷惑にも,あなたが心配する人達にかけた迷惑にも,わたしはとっくに値しない。エライよ,あなたは。これ以上もないくらいエライ。だから,もう,ゴミは相手にしないでください。こういうことにはまっていると,明日はきっと駄目だろう。わかっている。

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2007-02-13(火)

晴れ。

母が久しぶりの日帰り旅行に行くというので,せめて見送りくらいはするかと,05:00 に目覚まし (Sony Ericssonn A3014S) かけたのだけど,結局起きられず。夜のうちに,わずかな保有金から 2,000yen だけ出してみたりしたのは,結局「言い訳」。

朝食の後,「09:00 までなら休憩してもいい」と父の許可が出たのに,寝ないように,テーブル出して PC 置いて,ドキュメント和訳 (The Strategic Studies Institute of the US Army War College の記事) を始めたところで睡魔。気が付いたのは,父に「いつまで寝てるんだ」と蹴飛ばされたとき。

さのや。精米。晩ごはんはカレーとかで材料仕入れ。

「シンプルカレー」とか言ったのはわたしではないなので,作るのはわたしではないのだろうと思っていたら,父がやったのは,大蒜の皮むきの手伝いと,最後の味付け (ガラムマサラとカレー粉追加) だけ。いや,何にもできない / しないわたしだから,それくらいやってもいいのは当然。

麻雀。2人でやるせいか,こだわりを捨てているせいか,和了る率が高い。母や妹のような対々だのドラ単騎だのが少ないからか,とは思うけれど。

久しぶりに「出前一丁」とか食べる (父作る)。母は日帰り旅行の割りには,早く帰ってくる。晩ごはんのカレーが「まずい」と言われなかったのはサイワイか。わたしの作るカレーはやっぱり辛いらしい。

ThinkPad X40 の「SD カード・スロット」はあくまで「SD」であって,MMC には対応してないのだなぁ。MMC / SD の PC カードアダプタを持っていたからよかったけど。まぁ,今更,MMC を持っている人もいないということか。でも,カードスロットで「著作権云々」でもないと思うのだけれど。どうせ,MMC で音楽だの映像だのを不正コピーする輩だって,最早,いようもあるまいし。

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2007-02-12(月)

晴れ。

夜中ねつけない,眠っても浅かったり変な夢で目覚めてしまったり。多少の睡誘導剤とか飲んでからだと,少なくともねつきがよくなることが多いし,

昼ごはん食べて,「1h 休息」の「宣言」1.5h 以上となってからでも,父の当然機嫌は悪いし (蹴っ飛ばされた)。

八木山まで歩いて見ようか (八木山橋の柵の隙間でも探してみようか?) と思ったりもしないでもなかったけれど,まだそこまでネガティヴにはなっていなかったらしい。ひより台から八木山方向への道路建設が少し始まっている (「着工」はまだ先だったような) のを観つつ (工事現場でキャッチボールしている 2人がいたので,そこらの写真を撮るのはやめた),治山の森の主道を鉤取山の下から歩くもも,脇道は雪の融けた水でどろどろで歩けず。それでも,主道では,犬の散歩している人とか,あげくはランニングしている人も。う〜ん,あのくらい元気だといいのだけど。太白山でもほとんど走って登る人もいるらしいけど。

可能ならば,「展望線」を登って水道局記水所までとか,「キツツキ線」から佐保山貯水場とか回ってみようかと思ったけれど,どうもこの靴じゃ無理っぽいので,主道を途中から戻る。

「朝方不調でも,午後になるとなんとかなりそう」なのは,「朝からお日様照っていたりすると」とかは,「うつ病」の傾向だと,医者も言うし,本には書いてあるけれど,こんな「病人」を一緒に生活させられる「家族」,あるいは一緒にすらいない人には,わからないには当然のことだ。「夜寝付きが悪い & 昼間ごろごろしている」。あぁ,単に不肖に甘えているだけなんだと思われても,当然のことをしているだけなのは,承知。かつてフレックスで仕事をしていたときだって,夜がどんなに遅くても 08:30 には飛び起きて,09:00 辺りの電車に乗って,23:30 頃までは働いていた平日 + 時間はもっと緩くとも,4h 以上は働いていた休出とかの時期と比べれば,天と地どころではない。でも,それと,「人間関係」で,こころが壊れてしまった今を同じように働けるとか思われたら,…いや,もっと軽い労働だったら大丈夫とか思われたなら,どっちにしてもいずれ。

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2007-02-11(日)

朝のうち晴れ,のち曇り。霰や雪も降ってくる。

さのや。AEON SuC。

午後,降雪の中,散歩。どうもバッテリが草臥れてきている様子の Panasonic Lumix DMC-F7-K をひさしぶりに持ち出してみたり。SEIYU。

「書庫」から掘り出してきた 1冊。

毎年のことだけれども,「紀元節」派はどこかの会館の中,「建国記念日」反対派は寒い路上でデモ (そして「シュプレヒコール」というナレーション) なのだなぁ。そういえば,梅雨でも夏でも冬でも,国会議員会館辺りの道を通ると,座り込みをしていたり,米国大使館の前で演説をしていたり,それぞれの立場・姿勢の人達を見たり,ちょっと話してみたりしたけれど,彼等が話を聞いて欲しいだろう人達は,クルマや建物の中の空調の効いたところにいるだけなんだろうなぁ,と思ったりしたことよ。

届けられた一言に,アタマも一瞬止まる,ことばも一瞬詰まる。「血が上る」でもなく「カッとする」でもなく,「全否定された」感覚。受けるダメージを,真正面から受けずに,ひきづらずに,違う見方をしてみる,という練習は,だんだんできてきてはいるのだけれど,まだまだ。言った人には,「いつまでも」「だらしない」「生活しろ」,「わたしはもっとたいへんだ」とか,そんな思いがあることは,充分想像がつく。ちっとも治らない (この病気に「治癒」ってことばはないし,あの病気にも無い。あるのは「快癒」「回復」。意味は,治療者・介護者,そして患者にしかわからないかもしれない)。

麻雀。跳ね満,3900 和了ったくらいじゃ,親っ跳ねに振込み,親っ跳ね自摸られ x 2 にかないっこない。清一・一盃口・ドラ 1 なんて,あるかぁ?

地方紙やテレビのニュースを見ているだけでは,とても「ホワイトカラー・エグゼンプション導入の是非をめぐる議論が白熱している」ようには思えない。ネタとして取り上げられていないとは思わないけれども,「危機意識」があるようには読めない・見えない。勿論,意識的な blog や mailing list を読んでみたりすれば,「非を唱える」人々がおそらくは「サイレント・マジョリティ」なんぞではないことは想像できるのだけれども。

実はこの主張、90年代後半に、日本企業が争って成果主義を導入した際の経営者たちの論理と全く同じである。「もう時間ではなく、成果で報酬に差をつけるべきだ」という考えは、1995年の「新時代の『日本的経営』」(旧日経連編)において既に見られるものだ。

 だが、アメリカから輸入された目標管理や裁量労働制は、企業現場に深刻な機能不全を引き起こしただけだった。ほとんどの日本企業は、いまだ年功序列に変わる成果型の人事制度を構築できていない。

結局,単なる年功序列や時間量で計る以上にコストのかからない「評価」をできるような人材を持っていない・育てていない,ということ。「成果」を計ることは,学科試験の点数で上下をつけるようにカンタンではないことは,子どもにだってわかることなのに。「成果に対する責任を負わせるには、それを生むだけの権限が必須」ではあるけれども,「責任」の追い方,「権限」の使い方もわからないのだから,「評価」の能力があるかどうか以前の話。「職能」すら単なる階級・部門の違いとしか承知されていない日本の「世間」で,「職務」単位での評価なぞ,できると思う方がどうかしている。「成果」を「評価」する以前に,その「評価」する能力を育ても「評価」もしていないのに,「評価した成果」を「評価する」こともできないマネジメントに,自責の念すらないのに,何を期待できるというのか。

つまり、職務給ベースのシステムをそのまま日本に持ってきても、上手く機能するはずがないことは、90年代の成果主義において既に経験済みなのだ。ホワイトカラー・エグゼンプションにおいても、まったく同じ理屈で失敗することは明らかだろう。

仮に現状のまま、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入すればどうなるか。裁量なんて持たない圧倒的多数の会社員は、合法的に残業手当及び労働時間管理の対象から外されることになる。彼らの多くは、ただ定時退社することを目標とするだろうから、結果、業務は一部の優秀層に集中することになる。

「一部の優秀層」が「一層奮起努力」して,一時的には,穴を埋めるかもしれないけれども,そんな「優秀層」には,他に幾らでも高待遇を用意する雇用主も現れるだろう。奮起努力し過ぎて磨耗してしまって,ただの社会負荷に陥る者も出るだろう。

日本全体に職務給と成果主義が普及し、各会社員が裁量を持って業務を切り回すビジネスパーソンへと進化した後で、ホワイトカラー・エグゼンプションは議論すればいい。経営側の努力義務をすっ飛ばして、いきなり労基法の制限を無くしてしまえというのは、まったく本末転倒な話だ。

労働基準法 (や「36協定」) の中で実質的に守られているのなら,まだしも,「経営側の努力義務」なぞ視界にもないのは,要するにマネジメント側の馬鹿の暴露を言い換えているだけに過ぎないのだけれど,「力」のあるのは彼等。夏の参院選挙後には,どうなることだか。消費税だのと同じく,単に「多数」が決定するだけのこと。かといって,彼等に付け入る余地ならばいくらでも。とんでもなく悪い段取りしか組めなかったり,残業時間であろうとなかろうと「業務」にちっとも関係のない「作業」に時間を使って「気分転換」と平然としていたり。3.5h / d の残業があれば (それで済めば),休日出勤がなくとも,70h / month。それだけ残業する仕事量があれば,当然,休出も無いはずはなくて,残業が 100h / month を越えるなんてのは,業種・雇用形態によっては,ちっとも珍しくないことなのは実体験で知っている (KSP 辺りでケータイ関連の腐ったコードのメンテナンスに,誘われるがままに行っていたら,ヒネクレ者のわたしが耐えられるわけもなく,今頃はサカナの餌で,こんな愚痴を書いていることもなかっただろう。それはそれで「餌になる」利はあったかもしれないけれども)。たかだか 10〜20h / m 程度の残業で済んでいるようならば,それは「効率化」で凌げるはずのことだと言われて,それが理不尽な上司や職場,「サービス残業」に拠らないものだったとすれば,否定できるだろうか。

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「ホワイトカラー」という「限定」にも,「妄想」があるとしか。「ブルーカラー」ならば時間で計るだけでよいとでも? 「ワイシャツ」で仕事していれば「ホワイトカラー」とでも? …「アーティスト」とか「クリエイター」とか「コンサルタント」とか,「政治家」「経営者」とかいう「才能」で食べている人なら,「時間で計れる」ような仕事ではないのかもしれないけれど。

麻雀。「リャンカンの渡りは残せ」とかいうけれども,25 なら 3 でも 4 でも 6 でも両面待ちが残るけれども,1 が来たら 5 を切っていいのか。

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2007-02-10(土)

曇り。

風邪で一日寝込む。体調がよくないと,(ただでさえよくない) 気もおかしくなってくるような。

まぁ,あと 2週間。

不調になりなくて不調になってるんじゃない。…いや,「不調」に逃げたくて不調になっているかもしれないことは否定できもしない。それで,迷惑や心配をを感じてくれる人がいることは,有り難く思うことではある。けれども,元気が無いところで「元気になれ」とか,普段の体調管理がなっていないんだ,とか言われても。受け止める元気があるのなら,まだしも。言われても,情けなさにより身がすくむだけだとは,わかってもらえない。

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2007-02-09(金)

朝のうち晴れ。のち曇り。

「0209」といえば「ニクの日」で,みさほちゃんの誕生日。もはや連絡も取れないけれども。

眠いというか,だるいというか。そろそろ終わらないかと。

チョコレートは好きだけれど,今はもう「洋酒入り」とか (ウィスキーボンボンとかね) は食べられないからなぁ。

ウジエ。業務スーパー。ダイソー。さのや。

散歩。SEIYU。

麻雀。3900,跳ね満,3900 和了って,5800 と跳ね満振り込んで,で,ぎりぎりトップか? 立直・全帯・ドラ 8 を和了れなかったあたりが「限界」かも。

職人ことばの「技と粋」』卒読。「旋盤工・作家」である (旋盤工の現役は引退したのだったか) 著者のこれまでの作品にもあった「職人ことば」を革めてまとめたものを読むと,やはり,「職人」であることは,最上級のヒトであることでもあるのだ,と思う。「治具」(のようなもの) を考えられもしない「ものづくり」など妄想にもならない。結果としては「捨てる」部分にさえ手をかけ工夫をすることも,「もの」の素姓,自分がつくったものを使う (最終利用者も含めた) 次工程の人への想い,何も無しにただ機械や組織に使われているだけの,また逆に,機械や組織を利用しているだけの人々もまた,「職人」ではなかろう。それから,「工芸」ではなく「使われるもの」をつくる,というのは,何時か漆職人の話でも読んだのに似てもいる (「アルチザン」「アルチスト」への言及は,長く行われてきたところではある)。コンピュータの世界では,対応するフォントが無い状態でプリントされてしまうと「■□」とか「文字化け」というようなことになるのは,今でも経験できないことだとも思えないのだけれど,「〓」ではなく「◎」や「☆」を「げた」と呼ぶ,という話も,別の著者の何かの文庫のあとがきで,(知らないのに!)「げた」と呼んでいた担当がいた,とか読んだ気も。まぁ,この本にも出てくるけれども,「サボる」が「サボタージュする」からきていることは知っていても,「サボタージュ」が "sabot-age" だという話までは知らない人も多いから,こんなことは「トリビア」でしかないと思う人も多いのだろうけれど。「三枚合わせ」が自分で思いつける人はずいぶん優れているとして,それに価値を見出せもしないというのでは,「もの」をつくることに全く関係のないヒトなのかもしれないと思う。

プログラムを書く = ソフトウェアをつくる人の「業界」さえ「職人」という概念がが否定されてきたのは,随分経験したけれども,流石に,磁気ドラムの回転タイミングまで使るとか,同じ処理になるにしてもクロック数を減らすとか (これはちょっとやった),メモリ・ウェイティングを 1つでも減らすとか,そんなことは,もう,今更どうにもならないどころか (ちょっとまえなら,パイプライニングとかか) そういう「わかれば,快感さえ得られる」コードのメンテナンスもなく,それはゴミでしかない (cc -a で出てくるアセンブラ・コードに興味の無い) 人は 15年前にも居た,ループや偽物のオブジェクトとかを前にして,「富豪的プログラミング」の方がとっくに真っ当だと思える昨今では,たしかに,無駄というよりも不合理な「努力」でしかなかったのかとも自覚できるけれども,機械語・アセンブリな世界での「自己書換」とか,そんな「自己満足」も無しに,「進歩」があっただろうか,とも。Street BASIC とか K & R C とかも知らない,RPN とか FORTH とか知らないプログラマには,大事なのは,とっくに,MS だのが提供する「クラス」だとか,「スタジオ」とかのものなのだろうけれども。< name="03-91">▲残念ながら,「ニモニック」だの「システムコール」だのにまでしか,対応しきれない,古いプログラマには,もう,付いていけそうもない。かといって,SQL だの以上の「高級」なところにも対応できそうもないので,もはや,そういう世界自体とも縁を切るしかなさそうなのだけれど。

「健常者」というのが,「メタボリック症候群」(「代謝症候群」って一体何々だよ?) とかいう役所主導の「「健康」不安」にも関係ないヒトだとすれば,そんな「大人」なヒトは一体どこにいるのかと。虫歯もない,血圧も「ノーマル」,食べるものにも「生物濃縮」の影響も無い,栄養に過不足のないヒトは,どこにいるのかと。

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2007-02-08(木)

晴れ。

朝ごはんはそれなりに食べたものの,午前中は down。親も諦めてしまったのか,もうあまり叱ることも。

昼ごはん。ラーメン@たべにおいで。

田んぼの畔にフキノトウが少し出ている。小指の先ほどのものも,少々申し訳ないと思いつつも採ってしまったり。でも,暖冬とはいえ,まだ 2月上旬…。昨年は 1ヶ月以上先のことだったことを思えば,タラノメやコシアブラも今年は早めになるのかも。それを味わうことができるのだったら,その頃にはもっとラクになっているだろうか。

遠刈田温泉「神の湯」。「あつい湯」が「ぬるい湯」よりぬるい。

麻雀。3900,跳ね満,1000 を和了るも,跳ね満・倍満 (しかも対々ドラ6…) とかされたら,トップはとれず。

職人ことばの「技と粋」』の【段取り八分】p.208 l.5〜9。

 職人とは,ものをつくる方法を考え,必要な道具を工夫することができる人のことです。仕事の全体を見渡してものづくりの手順を決め,よりよいものをつくるために道具を用意して,無駄なく効率的に仕事をする能力を備えているからこそ,単純労働者とは区別されてきました。

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2007-02-07(水)

晴れときどき曇り一時小雪。

AEON SuC。

散歩。SEIYU。

麻雀。トップはとれず。

職人ことばの「技と粋」』の【クセを生かす】p.163 l.10〜p.164 l.。

 すっかり工業製品化された建築部材では,木は単なる素材にすぎませんから,木の持っている素姓やクセなどは無視されます。必要な大きさ,必要な形に切り刻んで組んでしまいます。
 昔の大工職人はそんなことはしませんでした。木の目の通り具合を生かしながら部材をつくりました。曲がって育った木は曲がったなりに,まっすぐな木はまっすぐなりに,それぞれの長所を生かして使いました。
 古い寺社の解体修理をすると,それがよくわかるそうです。柱や梁のように大きなものは当然ですが,重い屋根を支え強風や地震の縦横の揺れを吸収する役目をも果たす斗キョウ《木編に「共」》(ますぐみ) などは,見上げると同じ形のものがずらりと並んでいるように見えるのですが,大斗も小斗も全て同じではなく,こちらの柱の上の大斗とあちらの柱の大斗とを取り替えることはできないのです。
 寸分の狂いもなく機械でカットして組み合わせた木組みと,木を生かして多少の不揃いがある昔の木組みをくらべれば,後者の方がはるかに強いのです。

曲がって育った木は曲がったなりに,まっすぐな木はまっすぐなりに」というのは,木ではなくとも,生きているもの,生きていたもの,つくられたものを使わせてもらうなら,当然のことだと。建材として刈られることを目的にされる木を育てるときには,できるだけ真っ直ぐに節の少ないように努力はする (木にとってはそれはシアワセかどうか) けれども,それでも,曲がらない木はないし,節の無い木も無い。それも「生かして使」う。同じ形のものがずらりと並んでいるように見えるのですが」,「こちらの」と「あちらの」とを「取り替えることはできないのです」。木ではなく鉄でもプラスチックでも,あるいは人でも材として使おうとする立場にあれば,「同じように見えても,取り替えることはできない」というのは,知ってしかるべきではないか。それともそれは,「使われる」ことが意識の主体だった者の幻想か。

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2007-02-06(火)

晴れときどき曇り。

東北会病院通院。

午後は一休みしてから夕方に散歩でもしようと思っていたのだけれど。

ASRP とかへの「提案」も,否定されてはどうにもならないか。どうにか動けるようになるならば,時給は少なくとも郵便局で内のアルバイトとか,できたら,雇用保険の貰える求職とか,やってみてもよいかと思っていたのだけれども。

ダイソー。スーパー銭湯。

麻雀。満貫和了って,満貫振って,親満和了って,2000 和了って,親満振って,7700 和了って,で,たぶんトップ。

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2007-02-05(月)

晴れ。

ミーティング (運転手)。前後の喫煙所での無駄 (?) 話にも,参考になるというか,ためになるというか,身につまされるというか,救われる話もある。

寄り道 (親の知り合いと郵便局) の後,引地内科に付き添い。セブンイレブンの雑誌コーナーとか眺めるも,特に興味を惹かれるもの無し。そういえば,こっちのコンビニで『ダカーポ』とか見たことないかも。さのや。協裕堂で 1冊。

散歩。太白第二橋の辺りまでぐるっと。東北自動車道への陸橋なところでもって,供えて在る花にも合掌。こんなこところで飛び降りたところで,運良くアタマでも打たなければ,クルマに轢かれないと死ねないと思うけど。橋から落ちて何も無く死ぬのだったら,八木山橋あたりかなぁ。SEIYU。

麻雀。子の 3900,満貫,親満,親の 7700 和了。最後に子同士で満貫の振込みがあっても,問題なくトップ。でも,それもミスしなければ,立直・三色・ドラ (最低 3) で和了できたはず。これで,この 2日間のツキは終わったかも。

年金とかで生活している親に「寄生」している今のわたしって,何だろう?

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2007-02-04(日)

晴れているけれど,雪も降っている。

dowm の予感が強いので,(怒られながらも) 寝ている。

AEON SuC。「コアラのマーチ」のコアラのやたらでっかい着ぐるみ。そこらのクルマじゃ来れなさそうなくらい大きい。

午後も休息。おかげでだいぶ気力が戻ってきたような感じ。

麻雀。3900,3900,8000,12000 と和了で,ひさしぶりにトップ。

デパス,ハルシオン,とかも呑んで寝て見る。

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2007-02-03(土)

今朝の雪はうっすら白い程度。晴れ。

新聞丁寧に読んでいたら「少しは動け」と言われたので,少しだけ散歩。SEIYU。

1冊受取り。

さのや。(運転手)

今年も「恵方巻」ブームは去らず。なんでこんなローカルな風習が。「ワーホイ」(鳥追い) でもやった方が,「農耕民族文化」とやらには合うのではないかというのは,ただのグチ。あぁ,それか,鳥インフルエンザの伝播には,「七草粥」の時に歌われたという ♪七草なずな 唐土の鳥が日本の土地に わたらぬ先に♪ の方がご利益ありか。

麻雀。1回満貫和了。錯和を勘弁したら,親満に振り込むことに。まぁ,一飜縛りも,喰い断も,哭き換えも,形式聴牌も,下家からの吃も,ポンより吃も,許してしまうような「ローカルルール」の,ただのコミュニケーション,擬似としての「お遊び」だから,なにを「勘弁」とかもないのだ。

先日の新聞広告にあった公共広告機構の支援キャンペーン『自閉症に生まれてきただけ』にあったコピー「自閉症は病気ではなく「障害」です」を見て。勿論,自閉症は必ずしも「自閉的」な行動を示す人たちだけでもなく,また,《病い》というよりは,(「生まれながらの」)「脳の機能障害」に由来することであって,周囲の人が目で見てわかるような外見的・肉体的な障碍と同じく,当人には何ら過失も責任もないことだ。「精神薄弱」「知的障害」とされる人たちだって,当人に選択する意志や権利や機会があったわけでもないはず。そして,「障碍」というよりは「病気」として扱われてしまう,そして,高齢化すれば (とも限らず,若くしてそうなってしまう人もある) 誰でもなり得る「認知症」だって,進行を遅らせることはいくらか可能であっても,全くの治癒はまだ期待できないのだから,それも一種の「障碍」という経験を得てしまったということだろう。そして,「依存症」も「回復はあっても治癒のない病気」というならば,「病気」というよりはむしろ「障碍」なのではないだろうか。 うつ病 (Major depression) も「必ず治る」とされるとともに「再発の可能性も非常に高い」と言われる。それは「治癒」したのではなくて,単に「回復〜再発」のタイムスパンが,長くもなれば短くもなり得る,ということだけなのではなかろうか。

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2007-02-02(金)

今季 (実質的) 初積雪。昼頃までには大方融けてしまう。曇りときどき雪。

1冊受取り。

麻雀。2度和了るも,やはりラス。

職人ことばの「技と粋」』の【半竹】p.8。

 わたしはいくつかの町工場をめぐり歩くうちに,何人かのすぐれた職人と出遭いました。現場でいっしょに働いたり,すでに小さな工場を営む工場主 (おやじ) さんであったり,聞き書きに通った他所の工場で働く人であったりですが,その何人かの人から
「自分を超えるような職人を育てられないような職人は,自分を半竹だと思え」
というようなことばで,後輩を育てることの大切さを聞かされました。

(中略)

 聞く側の熱意の問題ですね。こいつは本気だとわかれば,よく教えてくれたものね。ただ,教えてもらってラクをしようっていうようなヤツには,見て憶えろ,盗んで憶えろって,なかなか教えなかった。

「後輩を育て」られなかったことでは,先の仕事先では,所詮「半竹」だったと。「自分を超える」者だったら,わたしが「育て」たわけではないのならば,いくらもいたと思うけれども。

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2007-02-01(木)

曇りときどき雪・雨。

午前中は dowm。恥ずかしながら,まだ生きております。

1冊受取り。

さのや。電撃倉庫。協裕堂。

麻雀。安和了り 1回。しかし,振込み 2回 (しかも,子の満貫と親の跳ね満) でまたもラス。

「アンチ朝日新聞」で「愛国」を気取っているような輩には,これまた,ずいぶんなご馳走だ。朝日新聞もまた,ずいぶんとつまらないことで失点を重ねている。テレビだろうが新聞だろうが,そんなに特別に優秀で潔癖で「モラル」とやらの高い「選良」がいるところだという誤解でもあるのだろうか。

 朝日新聞社は1日、東京本社編集局写真センター所属で新潟総局駐在の丹羽敏通カメラマン(46)が、1月30日付同紙夕刊に掲載された記事の表現を読売新聞から盗用していたと発表した。朝日側は同日、読売側に謝罪した。

 記事は社会面で、富山県立山町の名物「かんもち」の写真を大きく掲載しているが、表現の大半が読売の記事と類似している。

 朝日新聞社によると、31日に指摘を受け、丹羽カメラマンから事情聴取。「読売のホームページの記事を参考にしながら原稿を書いた」と認めているが、写真撮影や取材は自分でしたと話しているという。

マスメディアの報道なんて,どっちにしても似たようなものでしかないし。「季節もの」なんて,「おいしいお店」とかと同じような埋め草。金持ちの道楽にしては冷静な Al Jazeera や,15年くらい以前の「覚悟のあった」CNN のようなメディアが,「ひのもと」の国家にあるというのなら,また別だけれども。

サミュエル・ジョンソンは、茶会事件を窃盗およびフーリガン行為と見て格言をつくった。「愛国心はならず者の最後の口実である」」。

横綱審議委員会委員長・杏林大学客員教授・読売新聞社調査研究本部顧問の前 NHK 会長海老沢 "エビジョンイル" 勝二 (彼が NHK 顧問も辞めた結果として膳場貴子が (ウィンブルドンの夫のところに行くからと) 退職した (はずなのに,何故かフリーアナウンサーとして復帰して TBS『NEWS 23』に出ている,なんてのは,今時珍しくもないけど) 影響なのか,首藤奈知子や小郷知子等の活躍の場が増えたのはよいことだろう) の後釜,橋本元一という人もあまりカシコクないのかしらん? それとも,さらに「国営下^h化」を進めたいだけなのかしらん? 既に危うい「報道の独立」を完全に放棄するような放言。こんなことで,政府・与党に恩が売れるわけもなく,むしろ政府・与党から「まぁまぁ,今はまだ時期尚早だから」と逆に恩を売られてしまうだけだろうに。

 NHKの橋本元一会長は1日の会見で、受信契約者の把握方法として「受信機(テレビなど)の購入者情報や住民基本台帳ネットワークの利用など、外部情報を活用できるよう国に求めていきたい」と述べた。住基ネットを活用した受信料徴収は個人情報保護上の問題が絡むが、橋本会長は「すでに欧州の公共放送では利用された例がある」と語った。

 また、2月中には受信料体系を一部見直す方針を明らかにした。ホテル業界が対象で、部屋数で契約数が決まる現在の受信規約を見直すという。

 04年夏の不祥事発覚以降の受信料支払い拒否・保留件数は1月末現在で94万8000件。NHKは来週末、東京23区・多摩地区と神奈川県内の不払い世帯約35件に、これ以上滞納を続ければ簡裁に支払い督促を申し立てる内容の最終通知を郵送する方針。同時に、大阪府内、千葉、埼玉県内の不払い世帯に督促対象を広げる。【丸山進】

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[2007.01] [おもいつき] [ほーむ]