世界文化遺産・法隆寺地域の仏教建造物
法隆寺/金堂
法隆寺は初め斑鳩寺と呼び、聖徳太子の斑鳩宮に隣接して建立された寺です。その年代は606、7(推古14、15)年と考えられています。『日本書紀』は、この寺が670(天智9)年に焼失 したことを記します。708(和銅元)年に再建 が始まり、747(天平19)年には完成されていました。
これが現在西院伽藍と呼ばれる部分です。西院伽藍は、金堂、五重塔、中門、回廊と木造建築としてもっとも古い遺構です。これについで天平年間には斑鳩宮の跡に、夢殿を中心とする東院伽藍も建立されて、今日見る法隆寺の姿が出来上がりました。
その後、925(延長3)年に講堂、1435(永亨7)年に南大門などを焼失しましたが、他の建物に延焼することなく今日に至っています。
法隆寺/五重塔
中世の兵火を免れ、太子信仰に支えられて、法隆寺には、膨大な宝物が伝えられています。金堂の釈迦三尊、五重塔の塑像群、夢殿の救世観音、大宝蔵殿の百済観音、玉虫厨子など、法隆寺には、38件もの国宝と151件の重文があります。
東京国立博物館・法隆寺宝物館には、明治初期に皇室へ献納した国宝・聖徳太子絵伝、重文・献納金銅仏(俗に四十八体仏)、金銅透彫潅頂幡、伎楽面など法隆寺献納宝物318件が収蔵されています。
1993(平成5)年12月、法隆寺は、法起寺とともに「法隆寺地域の仏教建造物」 としてユネスコの世界文化遺産 のリストに登録されました。法隆寺/夢殿
上宮王院の名をもつ東院伽藍は、八葉の蓮華に擬せる八角造で、行信僧都が斑鳩宮の跡地に聖徳太子の徳を偲んで739(天平11)年頃建立した寺です。救世観音像(国宝 飛鳥時代)を太子等身とする伝えのとおり、この伽藍は、太子を祀る目的で建てられたました。
法起寺
法起寺は、法隆寺とともに「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界文化遺産のリストに登録されています。
法起寺は、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子建立七カ寺の一つにかぞえられています。「聖徳太子伝私記」によると、622(推古30)年、聖徳太子はその薨去に臨み、長子の山背大兄皇子に遺命して、聖徳太子が法華経を講説した岡本宮を改めて寺としたと伝えられます。638(舒明10)年に金堂が建てられ、706(慶雲3)年に塔の露盤が作られています。三重塔(国宝)は、現存する我が国最古の三重塔です。
竜田川の紅葉と法起寺三重塔
世界文化遺産
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」が1972(昭和47)年に第17回ユネスコ総会において採択されました。この条約は、文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷、破壊等の脅威から保護し、保存することが重要であるとの観点から、国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的としています。
わが国においては、1992(平成4)年に同条約の締約国となり、1993(平成5)年12月に文化遺産では「法隆寺地域の仏教建造物」及び「姫路城」が、自然遺産では、「屋久島地域」及び「白神山地地域」の4件が初めて登録されました。
これを契機に郵政省においても、近年の自然環境保全・文化財保護政策にかんがみ、自然保護や文化財愛護の意識の一層の高揚を図るために、今回登録された4件を題材とした「世界遺産シリーズ」郵便切手を発行することとしました。
(参考)世界遺産の定義
文化遺産:歴史上、芸術又は学術上顕著で普遍的価値を有する記念工作物、建造物群、遺跡
自然遺産:鑑賞上、学術上又は保存上顕著な普遍的価値を有する特徴ある自然の地域、脅威にされされている動植物の種の生息地、自然の風景地等
再建非再建論争
747(天平19)年の「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」にはまったく火災の記事がないことなどから現在の西院伽藍を太子建立のままとする説と、天智火災後の再建と主張する説が対立しました。この論争は発掘調査によって、現西院寺域の東南隅に残っていた塔心礎を中心とする若草伽藍跡の存在が明らかにされ、終止符がうたれました。現在の法隆寺が講堂の南に金堂と塔が東西に相ならぶ法隆寺式伽藍配置をとるのに対し、若草伽藍は南から北へ塔・金堂・講堂が一直線上にならぶ四天王寺式伽藍配置(飛鳥時代初期の配置)をとるものでした。