「今月の巻頭言」集

  1996年9月以来、本ホームページのトップページに掲載してまいりました「今月の巻頭言」を集めました。
  その月のトピックを盛り込んで蓄積したく思っております。


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この国の形

 医療や介護・福祉にとって波乱含みの平成19年度が始まった。今更ながら、医療制度改革、診療報酬改定、介護報酬改定、障害者自立支援法施行など、提供者ばかりではなく、受益者にとっても大きな痛みを伴う制度“改悪”の始まる年なのである。これからの、日本の医療・介護・福祉の形のターニングポイントとなる年に違いないのである。
 診療報酬改定・介護報酬改定の内容や次第に見えてきた医療制度・介護制度改革の流れは、これからのこの国の社会保障の形をだんだん明らかにしてきたように思われる。診療報酬改定では在宅医療のみが手厚く担保され、医療制度改革では地域医療計画という名の統制や選択と集中が始まることであろう。また、介護報酬改定でも施設集約から在宅へのシフトが図られ、介護制度では新たな介護予防制度へ要介護者の一部をシフトさせているのである。このような流れは、たとえ将来に制度改悪だと時の為政者が気付いたとしても、元に戻ることができないほど、既存の制度の骨組みを打ち壊していく改革になっていくように思われるのである。
 ここではっきり言うことができることは、全体の流れが介護報酬で先行する「施設集約」から「地域密着サービス」へ移行しつつあることであるといえよう。すなわち、これは一般病床、療養病床などの入院医療の強制的な削減と在宅医療重視に他ならない。一説には今後、一般病床では看護基準の強化や在院日数の縛りで31万床が、医療度の強化から医療療養型の10万床が、介護療養型全体の13万床が削減されていくと言われているのである。そして、そこからはじき出される入院患者に対して、地域におけるケアやキュアの拠点となるべき外来、往診、訪問機能のある機関が受け皿として求められてくるのであろう。
 そこで「とことん連携」なのである。在宅の拠点となる診療所を中心となる医療機関が365日、24時間活動していただけるためのバックアップ機能、調整機能を含めた地域密着連携体制の構築を今この時期だからこそ緒につけるべきと考える。
 もちろんいわゆる「社会的入院」の解消は、医療機関側だけの責任ではない。字のごとく「社会」の責任が極めて大きいに違いないのだ。国は各々の地域社会の実情などは知るはずもないし、各論に対して議論するつもりもないはずなのである。地域で、地域の行政と共に医療機関側が座すことなく、積極的に提言を発信していく時期にきているのである。

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ニーズの本質

 急速に進む少子高齢化時代の日本、特に地方の進むべき道筋が模索されている。生産年齢の人口減と内外の労働力の賃金格差の中で、今までどおりの製造業の誘致だけで地域は活性化するのか?サービス産業をどう位置付けるのか?など論議の多いところである。縁あって、経済産業省の「少子高齢化時代の地域活性化検討委員会」「産業構造審議会サービス政策部会」で意見を述べさせていただける機会をいただき、考えてみることができたので一端を紹介させていただきたい。
 どのような時代であっても、どのような地域であっても消費者・住民のニーズNeedsに多くのビジネスチャンスがあり、行政の施策の種があるに違いない。しかし、そのニーズの本質は時代とともに変わってくることを忘れてはならないだろう。
 現代のニーズに「不足しているものが欲しい」といったものがどれくらいあるのであろうか?特にこれから大方の人口を占める高齢者、団塊ジュニア世代の中にである。これに対して、「あるものを失いたくない」といったニーズはこれから大きくなっていくのではないだろうか?すなわち、健康であり、家族であり、財産であり、社会的立場であり、働き甲斐であり、生き甲斐であるかもしれないのである。満ち足りた成熟社会であればあるほどこの後者のニーズが大きいのではないだろうか。このニーズに対するのがサービス産業であるといえよう。健康に関わる医療や介護を筆頭に観光、保険や警備保障、余暇提供、アミューズメント施設、さらにはコミュニティービジネスと呼ばれるNPO法人やボランティア組織までが対象であり、これらの振興こそに地域が活性化する種があるように思えてならないのである。
 これらは、人が人にするサービスであり、本来的には域内でお金が回るだけの物かもしれない。しかし、これらが充実すればするほど、人は流動性を持って移動するに違いない。人が移動するということは、域外から資金が流入し、賑わいが創出され、地域間競争に勝利することであると思われるのである。
 診療報酬、介護報酬の削減など、われわれは厳しい環境におかれている。ここでこそ、地域に本当に必要な、なくてはならない事業を行っているという気概だけは忘れずに、荒波を乗り切っていかなければならないと思うのである。

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格差

 この季節、能登から東京へ行くと天候の変化が激しい。能登は大雪、東京は晴天という出張が多い。人は当然過ごしやすい土地に住み、人が集まれば消費も生まれ、産業が発達し、ますます便利になっていく。そして過酷な自然の中、人が少ない地域においてはすべてのサービスが次第に低下していくことになってしまう。これを地域間格差という。
 産業の話ばかりではなく、医療もまた地域間格差がある。症例数ならば人口集積地で集まりやすく、アウトカム重視ならば人口集積地でクリームスキミングが可能である。また、患者の視点では人口集積地で待ち時間は長くなり、多様な選択肢の中で選定療養費も高くなっていくかもしれない。
 さらに、医療には世代間格差、経済格差もこれから重要な因子になってくるやも知れない。世代間での価値観の違いは医療を受ける側と共に、きついといわれる医療提供側の就業者需要見込みにも関係してこよう。経済格差は混合診療論議の拡大と共に階層化された医療や、その逆の不払い問題をより大きくしていく可能性があると思われる。
 社会の構造改革と共に、様々な格差がこの国に降りかかってくると思われる。この国が格差をよしとするのか悪とするのか、どこまで不平等を受け入れるのか、われわれがこの選択の必要性に気付かないといけない時が来ているように思えてならないのである。

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変わること変わらないこと

 あけましておめでとうございます

 昨年秋の国勢調査によると、ついに日本の人口は1億2776万人と戦後はじめて減少に転じたということだ。現在の出生率からすると、いずれ日本人は地球上から消滅してしまうことも危惧されている。また、同時に年末の新聞には、昨年11月の有効求人倍率は0.99%と13年ぶりの高い水準に達したと報じている。
 キーワードは人口減少、少子高齢化、求人倍率上昇である。労働力人口が減少し、求人倍率が高くなり、それでも労働力を確保できない産業は廃れていき、さらには産業のない町から人々は離れていくという悪循環が待っているように思われるのである。その解決策として、男女雇用機会均等や子育て対策などが報じられているものの、このようなマクロ的な対策のほかに、地域というミクロの場ででいかに住みやすくするか、いかに人口を引き付けることができるかが重要になってきた。いわば、住みやすさの地域間競争の時代に突入したと言ってもいいだろう。その地域にやりがいのある継続した仕事の場があり、住みやすい町、安心・安全な町を作ることができた町が人を引き付け繁栄するのではないかと思われるのである。
 翻って、われわれ医療や介護、福祉の分野はきわめて地域密着型産業であるといってよいだろう。全国的に有名病院だとしても、外来患者の1割以上が地域外からやってくるという病院は数えるほどしかないはずである。しかも、この分野は人と人との労働集約型サービスであり、安心・安全産業であるはずなのである。
 車が人が町に溢れる時代は、郊外型の大型ショッピングセンターを必要としていたかもしれない。しかし、もうそういった時代も終わろうとしているのである。町の活性化に、昔ながらの商店街を中心として、そこに住民も労働も集約した安心・安全で、しかも便利な町を再生できないものか。隣近所との付き合いという名のボランティア共同体の形成、狭い地域で濃密でかつ効率的な医療・介護・福祉サービス、そこに住んでいる人が住んでいる人に対してのサービス、、、今年は診療報酬、介護報酬マイナス改定と医療や介護に未曾有の逆風が吹くことが予想されている。年頭にあたって地域密着であるはずの医療・介護・福祉を通して、変わってしまった日本を、そしてわが町をもう一度見直す時間を作ってみようと思うのである。

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自分のこと、人のこと

 小泉劇場(激情?)「聖域なき構造改革」は最終章を迎えている。「聖域」である道路特定財源のほかに、社会保障の構造を改革しようとしているのだ。社会保障費の中でも、その矛先は医療費に向いており、財務省が医療費5.3%削減を声高に唱えていることは周知の事実である。すでに全国の一般病院の収益は悪化し、利益率5%以上の医療機関は極めて少ないものと予想されている。もし、診療報酬5.3%削減の荒波が全ての医療へ均等に押し寄せた場合、黒字一般病院は皆無となり、補助金や赤字補填の保証のない民間医療機関の経営悪化が社会問題化してくるに違いないだろうと推測される。
 医療費削減に反対する国民運動は今ひとつ盛り上がらない。マスコミも年金問題に比べて大本営発表を報道するのみであり、医療費削減キャンペーンを張るそぶりも見せない。ここには、次のような理由が考えられる。
 年金問題は全ての国民にとって自分のこととして考える対象なのである。なぜなら、国民は皆「若くして死ぬつもりがない」のからある。これに対して、医療では多くの国民、特に若年層は自分のことではないのである。「自分は病気にならない」と思っているのである。自分のことでなければ、無関心となるのが人の常なのかもしれない。
 われわれ国民皆保険制度がない時代を知らないものにとって、医療保険制度は空気のようなものであり、相互扶助とかいう気持ちはあまりないかもしれない。しかし、医療者でもあるわれわれは、多くの病んだ人々を通して、医療保険の有難味を一番良く知っているはずなのである。
 洋の東西を問わず昔から人間の永遠の欲望は不老不死に不病かもしれない。それがありえないことは、自明である。病が自分のことではない健康な人々に、いつかは来る病の時の費用負担について真剣に考えるように働きかけるのもわれわれ医療者の責務のような気がしてならないのである。

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便乗商法

 去る10月19日、厚生労働省から「医療制度構造改革試案」なるものが発表された。ここでは、以下のような項目で改革の道筋を提案する。
1.予防重視と医療に質の向上・効率化のための新たな取組み
2.医療費適正化に向けた総合的な対策の推進
3.都道府県単位とする医療保険者の再編統合等
4.新たな高齢者医療制度の創設  〜高齢者に係る医療費負担の公平化・透明化〜
5.診療報酬体系のあり方の見直し等
 今まで医療制度の問題は「医療制度改革」だったんじゃないだろうか…急に、とってつけたように「構造改革」なのである。
 「構造改革」という言葉は、郵政民営化成功の方程式を踏襲しようとすることは自明である。すなわち、反対すれば「抵抗勢力」であり、イコール抹殺の対象であるという道筋を匂わせるいわば便乗商法なのである。
 そもそも、なぜ構造改革が必要なのか?その理由は医療給付費(患者負担を除く医療費)が2006年度は28.3兆円であるものが、20年後の2025年度には56兆円になってしまうという、さまざまな前提条件でどうにでもなりそうな予測からきているのである。2025年度の医療費給付を42兆円に「抑える」ために「構造改革」なのである。
 20年後の人口、平均寿命、薬代、予防医学進展、ゲノムの応用など知ったことではないが相当変わってくるに違いない。しかし、すべての産業の明日が見えない世の中で、20年後までに医療費を28.3兆円から42兆円という1.5倍を保証してくれる国は医療費削減を勝ち取ったことになるのか、それとも太っ腹なお大尽なのであろうか? 

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コラボレーション

 コラボレーションcollaboration: 協働、協力;共同制作…
 最近音楽や芸術、さらには商品開発の世界でよく聞く言葉である。コラボによっていままでと異なった価値観の産物が生まれてくることも多いと聞く。
 特にマーケッティングの世界では、生活者起点ということで売る側と買う側のコラボレーションが起こっているとも聞く。すなわち、商店は供給サイドから見た「売り場」ではなく消費者サイドでの「買い場」という視点で見つめなおすことによって新たな商品展示や企画がうまれてくるようなのである。
 医療の世界に目を移すと、この秋から来春の第5次医療法改正議論の中で、あるいは診療報酬改定議論の中で「医療提供体制」という言葉がたびたび出現する。しかし、これもまた供給サイドの言葉であり、患者起点という視点に立つと、「医療受診体制」さらに「医療選択体制」という言葉が適当になるかもしれない。
 このような患者起点の視点からすると、医療を選択するために医療内容の透明性と情報提供と納得(インフォームド・コンセント)が重要になるに違いない。そこでは、一方が強い〜弱いという図式ではなく、提供側と利用側のコラボレーションが重要となるに違いないのである。

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不満と不安

 企業業績の大幅な改善や株価の高騰にもかかわらずリストラや正規雇用者の減少。一向に進まない行政改革。非効率的な公務員による官業の民業圧迫。公共工事の談合や役人の天下り。・・・などなど、日本の国の構造が制度疲労してきたことに対する不満がある。
 加えて、個々人では家庭、地域社会、さらに職場、人間関係から、サービス提供のあり方にも多くの不満が鬱積している。
こういった不満の渦は、自らの意思で解決できないことが多ければ多いほど、不安の渦に変わっていくのかもしれない。このような時に、民が求めるものは強力なリーダーなのかもしれない。しかし、歴史においてこのような過度に膨張した不安の渦が独裁者輩出の背景にはあったに違いないのである。ナポレオン、スターリン、ヒットラーしかりであると思われるのである。
 翻って、医療や介護に分野において、この秋以降に多くの制度改悪が控えている。診療報酬や介護報酬改定に加えて患者・利用者の自己負担の増加である。ここでは、患者・利用者側の不満に加えて、われわれ提供者側の不満も増長されていくことであろう。総選挙で争点となる郵政民営化問題は、日本の国の将来の構造に大きな変化をもたらすことであろう。しかし、このような社会保障の問題は将来のことではなく、目の前に大きな不満と不安の渦を作りだす可能性のある問題となるに違いないのである。もちろん年金問題だけでもないのである。
 われわれは多くの情報発信の場を持つことができる。利用者が、あるいは専門家としての提供者が多くの声を上げて不満をぶつけ、それを解決していく努力を惜しんではならないのである。声を上げずに耐え忍んだ結果、社会不安を起こしたり、独裁者登場の土壌を作ったりしてはならないのである。

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どっちが得か

 「医療に損得勘定はいかがなものか」と数年前までは当たり前のように思っていた。しかし、医療だけではなく、郵政から道路、鉄道、航空までいわゆる国民生活に必須とされているサービスで、どちらを向いても効率性と収益性を求められるようになった。
 今、来年の通常国会での法案成立を目指した「第5次医療法改正」議論が進んでいる。ここでは、医療法人制度改革と地域医療計画が主となっている。特に医療法人制度改革は、すでに7月28日には厚生労働省案の骨子が社会保障審議会で承認されているのである。新しい医療法人類型が話題となっているが、「なぜ今医療法人制度改革なのか?」ということを考えるとき、いくつかの理由が明らかになってくるのである。
 第一として、株式会社の医療参入阻止である。営利法人である株式会社の医療参入の阻止を訴える限りは、現行の医療提供側は、襟を正して非営利を強調していかなければならないのである。したがって、実質的には従来の類型である「持分のある社団」は「当面の間」という表現で継続されていくものの、法的には「出資額限度法人」と「公益性の高い医療法人」の2類型となっていくのである。
 第二に、国の財政再建、三位一体の改革のなかで、公的病院に対しての補助金(交付税)や赤字補填が今後難しくなってきたことがある。ならば、公益性と運営の透明性を担保した医療法人に対して法人税等の軽減を餌に公的病院が行っている医療サービスを肩代わりさせる。それによって、国や地方にとって税収は減るものの、補助金や赤字補填支出を大幅に減らし差引勘定で得にしようとする論理である。公的病院を存続させるならば、従来の政策医療を超えた、「どうしても民間ではできない医療」のみの担い手とする考え方である。
 第一の問題では、どこで税金(相続税・贈与税)を払うかという問題があり、その損得勘定は個々の法人の問題であろう。しかし、第二の問題は集めた税金の使い方の問題である。公共の金をどのように使うかについては、多くの国民にわかりやすい言葉で説明し、「国民にとって」現状がいいのか新しい制度がいいのか判断できる材料の提供を求めたいものである。

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フリーアクセス

 日本の医療の冠たる制度は、何といっても国民皆保険とフリーアクセスであろう。とくにフリーアクセスの保障は、患者側の自由とともに、医療提供者側でも緊張感が生まれる。すなわち、質の悪い医療を行えば、患者はためらうことなく他の医療機関へ行くことができるのである。このフリーアクセスこそが、公的価格の国民皆保険制度の基で、質を担保する唯一ものであるに違いないと思われる。
 今、介護保険制度が変わろうとしている。介護予防や軽度の介護の分野で、地域密着という名のもとで日常生活圏域なるものを設定し、この圏域の住民は原則その圏域で介護予防給付を受けろという考え方である。医療において医師会や病院団体を含めて、国民が守ってきた質の確保のためのフリーアクセスは、介護という場で崩れようとしている。教育の分野では学校区も取り払われ、国民は選ぶ権利を獲得した。これによって、学校間の競争も激しくなっていくだろう。また、われわれの身の回りには豊富な消費財があり、買い物での選ぶ権利を謳歌し、メーカーは他との価格面や性能面の差別化を図り技術革新を推し進めてきた。
 介護分野の利用者である声の小さな高齢者から選ぶ権利を奪い取ろうとしている制度改革を、利用者に明快に説明し、かつ良悪を判断してもらう材料を提供しない行政とわれわれ関係者の罪は重いのかもしれない。

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三つ巴

There are three forces in the world.
Three make tension and stability.
Two make competition and win-lose.
この世には3つの力がある。
3つの力は緊張感と安定を呼ぶ。
2つの力は、時に競争と勝ち負けを生む。

 誰の言葉か?何を隠そう、私が口からでまかせに発した言葉なのだ。
 去年の夏休みにベルギーから地元にやってきたとてもクレバーな大学生たちが執拗に「このマークはどんな意味だ」と問うてきた。最初は「I don't know.」だったが、結構あちこちの歴史的資料館の中にこれがあってしつこく問うて来る。資料館の係りの人に聞いても「さあ?」。そこで、文頭のあの言葉が口から(でまかせ)に出てきたのだ。
 しかし、後から考えてみれば、なかなか意味深な言葉のような気がしてきた。私たちが置かれている医療環境を考えてみると、いろいろな3つの力が見えてくる。まず、医療提供者、患者、第三者(マスコミ、司直、行政、口コミなど)の3つがあるかもしれない。まさに医療者によるパターナリズムは、患者との間の情報の一方通行(非対称性)があった時代には存在していただろうが、第三者の力が大きくなるとともに、医療提供者を牽制することになったといえよう。
 また、医療(サービス)の質、医療費、安全の3つを考えてみると、質と安全のための限りない取り組みイコール医療費の高騰であり、また安全だけを見るならば、高度な先進医療サービスは挑戦できなるなど、いろいろ絡み合ってくるに違いない。
 そして、今後の縮小経済、財政改革の中で非営利医療法人、営利企業、公的セクターという3つの立場が医療とその周辺サービスの提供をめぐって密接に絡み合う時代が来るに違いないと思われるのだ。

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品質崩壊

 自動車のリコール隠しや航空機のケアレスミスなどなど、日本が誇った物やサービスの品質がおかしくなってきた矢先に先月25日にはJR西日本尼崎線で大惨事が発生した。様々な原因が議論されており、一日も早い原因究明と再発防止策が講じられることを望む。
 しかし、その原因論の中で、JRがとってきた効率性を危ぶむ声が出ている。本来、私鉄との競争で、より速く、より正確に、しかもリーズナブルな料金を目標とすることは企業として当然の取り組みであろう。そして、そのためには効率的な業務運営が求められていることだろうし、私鉄ではJR以上に取組んでいることであろう。効率性の追求が悪ではないはずであり、それなくしてはサービス品質の向上は図れないものと考える。反省すべきなのは、目的を達成させるための手段としての運転手教育の手法や罰則規定に問題があったのかもしれない。
 翻って、医療の分野でも安全が最大のサービスであることは言うまでもない。しかし、その中で低いコストで高いサービスの提供を求め続ける努力もまた求められているのだ。われわれはその目的達成のための手段を間違えることなく、効率性を見据えながら業務改善を取組み続けなければならないのである。

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ホワイトナイト

 白馬にまたがったのは、洋物では白雪姫のイケ面王子様、和物では暴れん坊将軍の殿と相場が決まっている。勧善懲悪の世界で、主人公の危機に燦然と現れる白馬の騎士なのである。白馬の騎士は、かっこよく、さらに強い。そして最後に現れる一番おいしい役回りなのだ。
 しかし、最近では随分ふてぶてしい「白馬の騎士 ホワイトナイト」が現れてきている。プロ野球の世界で、近鉄球団亡き後にもたもたしていたライブドアと楽天を尻目に、福岡ダイエーホークスの危機に颯爽と現れ救世主となったホワイトナイトはソフトバンクだった。そして、フジテレビ・ニッポン放送グループとライブドアをめぐる企業M&A騒動にホワイトナイトとして現れたのもまた、ソフトバンク系企業であった。後出しじゃんけんみたいに、最後においしいところを持っていきそうな勢いなのである。
 物語の世界では、ホワイトナイトは常に正義の味方だ。リアルの世界では、決して正義と悪は区別が出来ない。ある一面から見れば正義だったとしても、別の見方をすれば悪になりうるからである。昨今のホワイトナイトも、「ちょっと、あんまりじゃありませんか」と顰蹙を買ってしまうこともありそうなのである。
 医療の世界で、痛み苦しむ患者の前に颯爽と現れるホワイトの衣装(白衣)を身にまとった医師は、まさにホワイトナイトだったかもしれない。しかし、慢性疾患や悪性疾患が増え、さらにまた早期診断学が進歩した今、後出しじゃんけんのように、ぎりぎりの切羽詰った状態でお助けするといった構図が薄くなってしまったようである。説明と同意、さらに納得が求められている世の中なのだ。かっこいいナイトから、地に足をつけたかかわりが医療者に求められているのだ。

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ルールとマナー

 日本がこれまで育んできた(?)旧勢力。すなわち、ドンがいて、それを守る政治家がいて、意思決定は決して表に出ることのない根回しで決められていく…。この旧勢力と新興勢力がぶつかり合う。
 プロ野球では、巨人、読売を中心とした旧勢力に、ライブドアが挑んだ。結局得をしたのは同じ新興勢力の楽天、ソフトバンクだったが、、、。そして、次は同じくライブドアと旧勢力ニッポン放送、フジテレビという戦いである。ニッポン放送、フジテレビともに報道の矢面には、白髪頭の中高年。対するライブドアは、Tシャツ姿のホリエモン。フジテレビが得意とする映像的には、すでに旧勢力=白髪・口をへの字、新興勢力=Tシャツ・笑顔というオーソドックスな図式が出来てしまっているのである。強大な権力を振るう平家に、源氏の若武者義経が挑んでいくといった判官びいきと同じように、日本の国民性からすると新興勢力を(興味本位でも)応援する人が多いように思われるのである。
 そのような中、感情論は別にして世の中にはルールというものがあることを忘れてはならない。夜間取引であろうがなんであろうが、市場が決めた公平なルールのもとで株を取得したライブドアに落ち度はないものと思われる。市場のルールで大株主は当然その企業の収益が悪化すれば損害をこうむる。したがって、その企業の経営に口を挟む権利があるわけである。もし、このような形で株が一部の株主へ流れるのが嫌ならば、上場せねばいいことなのだ。
 そして、「電波は公共物だから、あのような奴らに任すことができない」という政治家からの論議は、マナー、倫理の問題に他ならない。好きであろうが、嫌いであろうがルールを守った者にマナーの問題からのみ非難することに奇異を感じてしまうのである。
 医療問題も、わが国には国民皆保険のもとで国民はいつでも、どこでも、誰でも、同じ値段で医療を受けることができるという世界に冠たるルールがある。このルールのもとでの競争、切磋琢磨が求められているのである。このルールをなし崩そうとする勢力、逆にこのルールを盾に採算をどがえしして一部にだけ公費を注入する勢力がいる。これらに対してまず平等で公平なルールの順守を求めたい。その上で社会規範を守るといったマナーが求められるに違いない。

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ニーズとシーズ

 テレビ番組「トリビアの泉〜すばらしきムダ知識〜」は、特に好きなテレビ番組だ。「trivia」とは「雑学・些末な」という意味。
 「トリビアの泉」のコーナーでは、視聴者から投稿された人生に全く必要のないムダな知識…だけど明日人に教えたくなるような雑学・知識(=トリビア)をVTRで紹介、5人のパネラーが「ヘエ〜」の数で品評する。
 また「トリビアの種」のコーナーでは、視聴者からの投稿された日常の疑問を番組スタッフが検証。番組発のトリビアを生みだしている。
 「泉」は過去のこと、今起こっていることの意外な一面を検証し、新たな知識欲をかりたてているわけである。しかし、この部分は、その知識というものは事実として存在し、既にそれを知る先達がいるわけなのである。いわば、われわれ視聴者はその道の専門家やその道の研究者、さらにはその道のオタクから教えを請うことになるのである。
 これに対して「種」は、その結果は誰も知らないものであり、実証することによって、新たな知識というものになるのである。内容としては「どのジーンズメーカのものが一番強いか」とか「スポーツ用品メーカーPUMAのピューマはオスかメスか」などといったたわいものないものであるが・・・。しかし、これをある時は海外取材まで敢行して徹底的に調べ上げることで、些細な疑問から始まったことが明日の大きな話題となって、われわれの知的関心を刺激してくれているのである。
 われわれは、「お客様のニーズ」に応えようとする。「ニーズ Needs」をいかに聞き出し、それを実現させるかに努力する。しかし、この「ニーズ」はもう既に確立されたものかもしれない。よそのサービス業で、あるいはマスコミで紹介され、「あんなサービスがいいなあ」と思うものかもしれない。
 いま我々が、関心を持たねばならないのは「種」、すなわち「シーズ Seeds」なのではないだろうか。まだ具体化されていない、些細な疑問や希望に応えてこそ、意外性と感動を呼び起こしてくれるのかもしれない。

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巨象も踊ったか?

 2002年12月IBMの当時のCEO(最高経営責任者)ルイス・ガースナーは、その著書「巨象も踊る」で、"大きいことはいいことだ。規模は力だ。幅と深みによって、巨額の投資、思い切ったリスク負担、投資の成果を根気強く持つ姿勢が可能になる"と本音を語る。"象が蟻より強いかどうかの問題ではない。その象がうまく踊れるかどうかの問題である。見事なステップを踏んで踊れるのであれば、蟻はダンス・フロアから逃げ出すしかない"という。
 巨大な誇りと専門職集団を有するIBMの危機に従来ユーザーの立場しかなかった同氏がCEOとして舞い降りて、IBMを再生させるサクセスストリーであった。同氏が来た時のIBMはまさに縦割り社会の最たるものであり、そこにメスを入れることで見事に再生したのであった(はずだった)。
…しかし、先の12月7日に米IBMは、同社のPC事業部(Personal Computing Division)を中国のLenovo(聯想)グループに売却すると正式に発表した。一方Lenovo社はこの買収を受けてPC事業の新会社を設立。これにより、世界第3位の新しいPCメーカーが誕生することになる。新会社はPC世界市場でのシェアは約8%にのぼるものと見られるようだ。
 IBMのPC部門は赤字続きであり、同社の中核事業が薄利多売のハードウェア部門からサービス・ソリューション部門へと移行している大きな流れを考えると、今回の売却もその流れのひとつなのかもしれない。一方、中国政府は改革解放政策以降ベンチャー企業の育成に力を入れており、現在は次の段階として中国企業の海外進出を国家戦略として推進しているので、これから中国企業による買収ラッシュが起こるやもしれない。
 今わが世の春を謳歌しているWindowsパソコンの発展はIBMなくしては語れないはずなのにである。結局、巨象はやはり巨象だったのか?巨象が巨象たるためには、専門職集団の傲慢さがあったに違いないのである。巨象が踊れるためには、無駄を省き、専門職間の垣根を取り払うこと、すなわちダイエットで小象になるしかないようである。そのダイエットを自らの手で行えなかったIBMに今回の売却騒ぎが起きたことになると思われるのだ。
 医療もその周辺もまた専門職集団の集まりである。専門職がいつまでも専門職としての傲慢さを持ち続けた時、巨象は肥満のあまり動くことができなくなってしまうような気がしてならないのだ。社会の中で向かい風に立たされている医療そのものの復活のために、名ばかりのチーム医療から、真の連携を推し進めるチーム医療への歩みを急がなければいけない時期に来ているに違いない。

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ヘルスケアの本質

 恵寿総合病院を基幹とする特別医療法人財団董仙会と青山彩光苑を基幹とする社会福祉法人徳充会を私たちは「けいじゅヘルスケアシステム」と呼称している。この「けいじゅヘルスケアシステム」は、法的にあるいは慣習として、なんら要件が規定されている名称ではない。いわば、勝手に名づけたものなのである。
 この両法人の役割・機能としての守備範囲で、医療、保険、介護、福祉が挙げられる。両法人に属する施設、事業所はこのいずれかの充実もめざし、各々切磋琢磨しているのである。しかしながら、そもそも医療、保険、介護、福祉といった言葉は神様が作った分類なのであろうか?単に、人間がその歴史の中で分類し、各々を定義したのに過ぎないのではないだろうか?
 WHOは「健康」の定義を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない。」としている。まさに、ここでいう「健康」のためのお世話をすることがヘルスケアということになろう。国の制度で分断されたかのように見える医療、保険、介護、福祉は本来ヘルスケアという名のもとで同根であり、いずれも健康へのあくなき追求から派生し、発展してきたものであることを忘れてはならないのである。
 一人の人間の視点に立ったとき、健康を取り戻すことを唯一の目的とするならば、医療、保険、介護、福祉といった制度は問題ではない。本質的には、時間軸としてその病期(Stage または Phase)に応じた制度を利用していけばよいわけであり、また何時どの制度を選んでいくかということは本人にとって目的さえ実現できればどうでもいいはずなのである。したがって、私たちは敢えて制度間の垣根を取り払うことを目指し、さらには健康を中心に添えた継ぎ目のないサービスを提供していかなければならないのである。
 年の瀬に、三位一体の改革をはじめとして、今後厳しくなるであろう医療制度、介護保険制度、福祉制度を憂いて…。

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新興企業と規制業界

 ライブドア、楽天、さらにソフトバンクに有線ブロードネット・・・プロ野球球団への新規参入、買収を名乗りあげている企業である。この分野の老舗ソフトバンクを除いて、新興企業であるといっていいだろう。もっとも有線ブロードネットは、旧大阪有線だそうで、企業そのものは歴史あるものであった。若い経営トップのもとで昔からの飲み屋の有線放送事業から業態をブロードバンドネットワークに広げたのであった。
 これらの企業はいずれも本来業務として、通信業者なのか、通販業者なのか、人材派遣会社なのか、証券会社なのか、旅行業者なのか・・・はたまた、映画制作、AV産業、質屋、オークションの胴元などわけのわからない業態にまで手を伸ばしているのである。ただ共通点を挙げるとするならば、少ない人数で、大きな工場など資産を持たず、アイディアと実行力からくるビジネスモデルで隆盛を極めているのである。そして、新しい業態であるからこそ、過去からのしがらみ、すなわち規制が少ないところで弾けているように思われるのである。したがって、彼らがプロ野球球団を持ったとしても、単なる球団運営ではなく、これら「わけのわからない」業態と結びつき「とんでもない」仕組みができるのではないかと期待してしまうのである。
 これら新興企業に比べると旧態然とした業界、規制ばかりの業界が医療界ということになろう。しかし、不幸にして起こった新潟中越地震で、新興企業の存在は極めて薄く、これら企業が存在しなくとも大勢に全く影響はないことがわかってしまった。これに対して、こういった災害で注目を浴びる電気、水道、ガスなどのライフライン関連企業や生命に関わる医療機関などは、規制ばかりの業界だったのだといえよう。こういった業界は規制ゆえに、平時から不測の事態にも対応できる体制を維持し続けてきたのである。
 規制業界は新興企業を見習う必要がある。積極的に彼らの行動力、アイディアを取り込むことで変化し続けなければならないだろう。しかし、規制によって「とんでもない」飯の種を生み出すこともできないのである。費用に対しての効率性以上に、安心のための投資と体制維持を国民や政府は忘れて欲しくないものである。

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クロネコとイチロー

 第2次小泉改造内閣が発足した。サプライズ人事はなかった。実務的に郵政民営化への強い意思を表したものであるとのことである(?!)。そんな中、巨象郵政にネコがライオンのように吠えている構図が見える。完全民営化に至る前に、国から税制できわめて優遇され、預金貸付で競争する必要がない郵政公社がダンピングまがいの宅配安売りをし、民間が必死の思いと絶え間のない工夫で開拓してきた市場を圧迫するというものである。優遇されている間に民業を叩いておいてから完全民営化に移行するという戦略も見え隠れするようにも見えてしまう。クロネコのヤマト運輸の主張は、公正・公平ではない土俵における争いを糾弾しているものであって、同じ土俵ならば非難するつもりはないと理解する。
 一方、これを書いている時点で、大リーグシアトルマリナーズのイチロー選手は、大リーグにおけるシーズン最多安打記録257に向けて記録を更新中である。同チームはアメリカンリーグ西地区最下位であるが、1ゲームに1番打者のイチローが5回も6回も7回も打席が回ってくるチームの打撃力も大きな背景因子であろう。日本のように個人記録や他人の記録を守るための敬遠も少ない。真っ向勝負の世界でイチローは、サムライのように淡々と多くを語らず楽しんでいるようにも見える。審判と観衆が監視する公正・公平な土俵では、勝負を正当化するためにあれこれ語る必要がないのであろう。
 現政権の目指す三位一体改革は、地方への税源移譲と裏腹に補助金削減を意味する。医療の世界でも郵政公社と同じように、公的医療機関の民営化論議がさらに進むに違いない。すでに、現行においても、公正・公平な同じ土俵での争いとは言い難い状況にあるのである。企業であれ、医療機関であれ、税金を納めてこそ社会貢献するものであるはずなのに、民業を圧迫してしまえば、税収は却って減収してしまうのである。イチローがおかれている場の設定が日本の社会に望まれてやまないのである。

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真実の母

真実の母オリンピアよ。あなたの子供たちが競技で勝利を勝ち得た時、永遠の栄誉(黄金)を与えよ。それを証明できるのは真実の母オリンピア。

古代詩人ピンダロス

 金メダルの繰り上げが決まったハンマー投げの室伏広治選手による古代ギリシャの詩の訳文である。アテネ五輪のメダルの裏に刻印されているという。
 アテネには不正を見過ごさない真実の母がいた。人よりわずかに優れる才能のもとで肉体と精神力を最も鍛え上げることができた人間にオリンピアは栄誉を与えたのである。
 安い費用で安全で世界一質の高いサービスを提供しているのは医療に他ならない。WHOは日本に医療サービスの金メダルを与え、平均寿命においても世界は日本に金メダルを与えているのである。安い費用でこれを行えるのは、そこに働くスタッフの自己を省みない奉仕に依存しているのである。
 真実の母は、いつかわれわれ医療で働く者に対しても光を与えてくれることがあるのであろうか?

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リストラ

 日本の景気は少しいいらしい。本当に構造改革がなされたのかといえば、いくつかの銀行がつぶれて、いくつかの銀行がくっついたくらいのような気がする。最近のトピックとして、世界最大となる銀行統合に茶々が入っているようだが、いっそのこと東京三菱三井住友UFJ銀行になってしまえば、けんかをすることなくオールスター、チョー世界最大銀行が誕生するかもしれない。野球だって、ごちゃごちゃするなら、西日本の球団はすべて合併して、タイガースになり、東日本の球団はすべてジャイアンツにして、各々の球団内で、レギュラー選手になるためのトーナメントでもすれば、結構盛り上がったうえに各球団の赤字は吹き飛ぶかもしれない。
 このようなたわいもない話(?!)の根底にあるものは、リストラによる効率化ということになるだろう。合併によって重複した部門はすべてリストラの対象になるのである。
 そもそも、リストラとはリ・ストラクチャリング re-structuringである。英語そのものの字面からすれば、「再構築」ということになり、決して、イコール人減らしのことではない。文字通りの「再構築:リストラ」こそ、今われわれに求められていることなのではないだろうか。すなわち、役割機能を明確にして組織を再構築する必要があるに違いない。
 そこでは、@病院内を役割機能によって再編すること、A病院と連携機関との役割機能を明確にすること、の2点が重要であると思う。病院内では、国が示す特定集中管理室〜ハイケアユニット〜一般〜亜急性期〜回復期リハ〜特殊疾患療養〜療養型などへの再編、そして連携では、連携機関との間での方針の標準化を前提に、治療役割を明確にしていく必要があるだろう。

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質の話

 医療の質の確保が謳われて久しい。しかし、広く医療の質を議論する時、「診療の質」とともに、「経営・運営の質」も考えていく必要があろう。
 ある病院は、すばらしいアメニティー、豊富な人材、決め細やかな最高の安全対策を備える。しかし、大きな赤字を抱えている。・・・公的機関ならばこの赤字は税金から補填ということなり、民間機関ならば破綻云々を考えなければならない。この病院が存続しているとしても、日本の医療にとっては、全く普遍的ではない。特異なケースであると言わざるを得ない。この病院を「質のいい病院」とあがめるマスコミにも問題があろにちがいない。
 三菱自動車などの経営の質の問題、すなわちCSRといわれる企業としての社会的責任の問題が重要視されている。質を語る時には必ず経営の質を忘れてはならない。社会に迷惑をかけず、間違いは潔く正し、自主自立の精神こそが、経営の質であり、経営陣の心意気なのだと思う。

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スイカでイコカ

 もたもたしているうちに世の中は電子マネーである。東京や関西へ行ったときに、駅の自動改札機にカードをタッチするだけの人々が増えてきた。自動改札機さえ、存在しないわれわれの地域で、金沢まで行くのに窓口で買った切符の裏が黒い磁気テープだったら、勿体ないように思えてしまうのは私だけだろうか。
 あのカードを首都圏周辺のJR東日本では「Suica(スイカ)」という。JRと東京モノレール、臨海線に使える電子マネーなのである。一方JR西日本では「Icoca(イコカ)」という。京阪地域のJR線と私鉄の京阪電車でも使えるらしい。さらに、これから両カードは私鉄へと広がり、また相互乗り入れも可能になりそうだし、電車の運賃だけではなく、駅の売店などでも使えるようになるらしい。
 また、ソニーと全日空は「Edy」という、マイレージも貯めることができる電子マネーを開発した。実際「Edy」を使ってみた。機械にカードをタッチするだけで支払いが終了する。クレジットカードのように、時間もかからないし、サインも不要だ。
 これらの技術は、ICカード技術である。カードに入ったICが電車に乗った駅と、降りた駅を記憶し、瞬時に残高確認の上、引き落としてしまう技術なのだろうか、それとも乗車駅でICにはいった情報を中央のコンピュータに送信し、下車情報も送信された時点で瞬時に中央で決済してしまうものなのであろうか。
 いずれにしても、今後医療の世界でもICカードやICタグなどの技術の応用が考えられよう。カード1枚があれば、どこの医療機関にかかっても個人情報や保険証情報が確認され、所見や検査結果、治療内容が閲覧可能になり、支払いも可能になる・・・ネットワークとICの融合によって可能になるに違いない。そういった中で、各ICカードが別々に流通することなく、規格が統一され、SuicaがIcoca端末でも、Edy端末でも使え、さらに病院やどこの店舗でも使えるような時代になってほしいものだ。

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病院 vs 健院

 4月からの診療報酬改定における施設用件で、特定の手術症例数や手術担当医師の経験年数の開示とともに、手術同意書をちょっとした縫合手術においても取れということになった。たとえば、ガラスで指を切って、血をたらしながら救急外来に来た患者に、「縫合手術の合併症に、出血、縫合不全、感染があります。さらに、局所麻酔剤のアレルギーで死んでしまうことがあります。それでも、縫ってほしかったら、よく読んでここにサインをしてください」…「ばかやろー!はよせい!」である。厚生労働省が本気でこのような指導していることが恐ろしい。
 いま「病院」が、「健院」化しているのかもしれない。ディズニーランドのように、あるいはファミリーレストランのように、決して心地が悪いはずのないマニュアル言葉をかけられ、作られた笑顔で流れ作業的に治療をこなしていく。そこでは、一刻も争う救急というよりは、元気でとことん説明を求めることが可能である「健康な病人」を中心に、価値観が決められているようにも思われる。健院では、楽しさを求めてアメニティーは重視され、いつ行っても前回と違うわくわくするような驚きがあり、職員は白い歯を目一杯出して笑顔を振りまき、きびきびと動く。まさに、そこは一流ホテルのロビーなのかもしれない。そして、そこでの料金も一流ホテル並かもしれないが…。
 「楽しくなければ、病院でない」もありかもしれない。しかし、急性期や終末期における取り組みの軸足は、やはり病んでいる人々に置いて、「病院」として対応していくべきであろう。さもなければ、「病院」が「健院」ならぬ「嫌院」なってしまうかもしれない。

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全員集合

 このごろ、全員集合する機会がめっきり減ったように思う。家庭においては、子供たちが巣立ち、たとえ家に帰ってきても、それぞれに忙しいようで、なかなか一家で団欒する機会が少ない。ましてや、法事があったとしても、親戚が全て集まることはまずない。病院においては、会議を召集しても、不規則勤務者や出張者など、やはりすべての職員が一堂に会することは考えられない。
 テレビにおいても、一家に数台が常識となり、またチャンネル数も増え、みなが同じ番組を見ることは、なくなった。そのような中で、思い出されるのがなんと言っても「8時だヨ!全員集合」だろう。一時は50%以上の視聴率を誇り、PTAから劣悪番組のレッテルを貼られながらも、子供たちは土曜日8時になるとテレビの前に座り、月曜日には学校で番組の話題で花が咲いた。下品といわれながらも、「歯磨けよ!」と教育的指導もちゃんとなされていたのである。そしてこの番組が、生で放送されていたことにも驚かされる。「8時だヨ!」を葬り去った「ひょうきん族」は、計算しつくされた録画番組だったのだ。まさに、「8時だヨ!」には「ガチンコ」勝負だったからこそ、緊張感からの迫力があったのであろう。
 そして、ドリフターズのリーダー、いかりや長介は「だめだこりゃ」と言いながら、計算し、ある時には引き立て役に回り、全員集合させたタレント集団にのびのびと演技させるリーダーシップを発揮していたように思う。
世はリーダーシップの欠如の時代とも言われる。トップダウンだけがリーダーシップではない。いかりや長介のように才能ある集団を掌の中で、のびのびと仕事をさせる管理者が求められているのかもしれない。
 晩年には、ドリフターズの呪縛から離れて、自分独自の持ち味を出した演技が絶賛された、いかりや氏のご冥福を心から祈りたい。

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トリとウシ

 私の家内は酉年、長女は丑年である。不思議なことに、ともにそれらしい。しかし、ここでは十二支の話ではない。いま話題のトリインフルエンザと狂牛病の話である。
 食の安全の話であり、また日本の食料自給率の話、すなわち農業畜産問題であり、微妙な話である。なかなか本音が出てこない。しかし、素朴な疑問もいくつかある。
 そもそも、輸入した食肉で人にうつる可能性のある狂牛病と肉の段階ではうつらないトリインフルエンザを、なぜ同じ土俵で論じられているのか。生きたトリを輸入しているわけではあるまいし、農林水産省による国内への感染を防ぐというトリ対策の説明になんら説得力がない。そして、現に山口県のトリに関しては1ヶ月あまりの監視でウイルス消滅を確認し、鶏肉や卵の出荷は解禁されているのである。また、その間も他の国内地域のトリは普通に出荷されていたのである。
 また、アメリカ政府が実施している狂牛病対策ルールは、WHO(世界保健機関)の定める狂牛病対策ルールにはるかに及ばないお粗末なものである点はしょうがない。しかし、なぜアメリカ牛肉の輸入禁止と、私の大好きな牛丼の消滅は関係あるのか。アメリカの牛肉生産量は世界の24%という。企業は消費者のニーズに応えてこそ、その存在意義がある。企業努力として、オーストラリアをはじめ、ブラジル、アルゼンチン、メキシコなど輸入先を模索できないものであろうか。それによって、多少値段が高くなっても、消費者は納得することであろう。そして、味が変わるとしてもその創出は企業努力である。
 医療はエビデンス(証拠)に基づくものを強く求められている。4月の診療報酬改定では、エビデンスのなかった手術料金の症例数による低減制は葬り去られた。感情論ではなく、また保護主義の問題でもなく、鶏肉の扱いにもエビデンスを議論すべきであろうし、牛肉にはアメリカの主張と日本の主張の間でエビデンスをもとにした議論をしてほしいものである。さらに、企業は苦しいときにこそ、人のせいにすることなく知恵と汗を絞ってほしいものである。


ラストサムライ

 映画「ラストサムライ」でトムクルーズと伍して存在感を示した俳優、渡辺謙がゴールデングローブ賞を逃したのは残念な結果である。本命であるアカデミー賞助演男優賞にもノミネートされたと聞く。オスカーこそを是非獲得してほしいものだ。
 この映画の中で、トムクルーズ扮するアメリカ将校、オールグレン大尉の言葉として、「日本人はきれい好きで、朝早くから夜遅くまでよく仕事をする」とのくだりがある。ここで描かれている明治初期の日本人たち、特にサムライ側の日本人たちは、礼儀正しく、義を重んじ、清潔好きで、もくもくとよく働く。さらに、潔く、不平を口にしない。
 サムライの時代の終焉とともに、このような日本人はどこへ行ってしまったのであろうか。都会には「オ(汚)ギャル」と称する女の子たちが濶歩し、大人も不平不満を言わねば損だとばかりに口にする。しかし、これを単なる精神の変化だと言い放つのには問題があると思う。
 映画の中のサムライの頭領「勝元」は思慮深く、しかも「いいこと、悪いこと」をはっきり言うことができるリーダーだったのである。いわば、サムライとしての倫理観をしっかり持った人間であったのだと思う。
 組織や仕事の上でのリーダー(上司)、さらには子供の親にいたるまでが、はたして確信を持って「いいこと、悪いこと」がいえるのか・・・自分の倫理観を示すことができているのか。翻って、医療の現場ではインフォームド・コンセントの名の下で、ただ治療法を羅列するだけになっていないか・・・自分の考えのもとで自信を持って、患者のためになる治療法を提示することができているか。
 リーダーシップの欠如の時代なのかもしれない。映画の中での「ラストサムライ」は、滅んでいったサムライの頭領ではないと思う。それまで、飲んだくれて自らを失っていたアメリカ将校が倫理観に目覚めたとき、彼は「サムライ」になったのだ思った。

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みざる・いわざる・きかざる

 今年は申年だ。猿といえば、有名な日光東照宮神厩舎の彫刻「みざる・いわざる・きかざる」が思い浮かばれる。浅学非才な私はてっきり、「臭いものには蓋をする」、「出る杭は打たれる」、「余計なことを言えば出世に障る」といった否定的なものとばかり思っていた。ところが、実は神厩舎の彫刻は猿の人生8構図の2番目に位置しているそうだ。目・口・耳をふさぐ猿は幼年期の猿で、子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育ちなさい・・・という教育論の意味が込められているという。
 ならば、子供は「みざる・いわざる・きかざる」、逆に大人は「見る・言う・聞く」ということかもしれない。しかし、考えてみると現代はまったく逆なような気がしてならない。子どもの頃は素直に「見る・言う・聞く」のもかかわらず、大人になったら「みざる・いわざる・きかざる」が増えてくるのではないかと思う。
 社会は大きく変わってきた。人々の価値観は変わり、産業構造も変わった。その上、地域では人口は減少し、高齢化も急速に進んでいる。医療機関も行政も、社会の変化に合わせて大きくその構造を変えていかなければならない。いまこそ、われわれは積極的に「見る・言う・聞く」を実践させなければならないのだろう。
 目で見た小さな変化に気づき、人の言葉を聞き、積極的に意見を述べたり提案したりすることができる大人になっていきたいものだと思いながら正月気分から抜けたいと思う。

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自助努力

 逆境に立つとき、流されていく人とそれに立ち向かう人がいる。多くの医療関係者は立ち向かう人であるらしい。というのも、国の冗談とも言えるコメントが聞こえてくる。
 「今まで、薬価や診療報酬を下げてきても、下げ幅どおり医療費が下がったためしがない」…「だから、多めに下げなければ、予定した医療費削減にならない」…と。
 高齢化社会、生活習慣病の増加に伴う有病率の上昇などの因子も医療費が下がらない理由であろう。それ以上に、各医療機関が涙ぐましい自助努力を行うことも確かであろう。逆境の中でのコスト削減と増収策の模索である。企業として当然の行為である。民間病院にも企業と同様に納税する義務と雇用を確保する使命がある。これらを果たすためには、自助努力が必要なのである。
 いよいよ来年4月に向けて、診療報酬改訂の攻防が始まる。上記のような理由で医療費削減割合も上げられたのではたまらない。

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ステークホルダーとマニフェスト

 いよいよ衆議院選挙に突入した。今回の選挙は「マニフェスト選挙」とも言われている。マニフェストなるものは、どこでいただけるものかと疑問に思っていた。どうやら、各候補の選挙事務所や街宣の場でいただけるらしい。しかし、従来の地縁選挙となんら変わることなくただただ「お願いします」と連呼する街宣カーに近づいて「マニフェストをください」という勇気もない。選挙民は本当にマニフェストで候補者を選ぶのであろうか?
 あらゆる利害関係者のことをステークホルダーという。企業の場合は、消費者(顧客)株主、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関などになる。われわれ病院にとっては、患者、金融機関、仕入先、紹介元、紹介先、地域社会、行政機関ということになろうか。そして、国会議員にとっては、有権者、政党、派閥、献金者、支持者、地域社会、行政機関ということになるのかもしれない。いずれにしても、われわれは当然、衆議院候補やマニフェストを作った政党にとってのステークホルダーなのである。
 そして、企業はステークホルダーに対して@法令・社会的規範の遵守、A積極的な情報開示と双方向コミュニケーション、B環境への配慮・誠実な顧客対応、C社員のキャリアアップ支援・家庭との両立への配慮、D社会活動への関与・・・など社会的責任( Social Responsibility )を有している。医療機関も同様な責任を履行していかなければならない。また、候補者もステークホルダーに対して同様な責任を有していることであろう。
 主な各党のマニフェストを医療面で概観してみた。政権政党、政権の可能性のある政党から順に、語気は弱まっているように思われる。
自民党:給付と負担について、公平が図られ、国民が納得いく医療を。高齢者医療のあり方、適正かつわかりやすい診療報酬体系等についての改革を早急に進め、医療の質の向上と効率化、社会保障としての国民の医療に対する安心と信頼を確保。
民主党:平成18年の診療報酬改定時点で、健保本人の医療費自己負担は2割。診療報酬改定作業を行う中央社会保険医療協議会の委員構成を診療側、支払側、公益側(患者側を含む)それぞれ同数とし、その議事録を公開。小児医療の充実。カルテ開示・医療費明細書発行の義務化。
共産党:50兆円にまでふくれあがった公共事業費を、福祉・環境型に重点化する。医療制度を02年の改悪前の状態にもどし、これ以上の医療大改悪をやめさせるために、3つの改革;@減らし続けた医療費に占める国庫負担の割合を計画的に元にもどす。 A世界一高い薬価や高額医療機器が医療費を押し上げている仕組みにメス。B予防・公衆衛生や福祉施策に本腰をいれ、国民の健康づくりを推進。
各々、わかったようでわからない話である。日本の医療はこれからどうなるのか、医療機関はこれからどうなるのか・・・説明責任が、このマニフェストで明らかになるようには思われない。

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ぶり

 これから当地では鰤(ブリ)のおいしい季節となる。個人的には脂の乗った寒鰤の刺身も大好きであるが、鮨のネタとしてのぶりトロは、マグロのトロよりもおいしいと思うこともある。いわずと知れた鰤は出世魚の代表だ。とはいうものの、言ってごらんといわれればなかなか出てこない。調べてみると、北陸では
 ツバエリ → コズクラ → フクラギ → アオブリ → ハナジロ → ブリ 
らしいが、知らない名前がある(^^; 。
 鰤はどうやら、年功序列のようである。コズクラからブリになってしまったということは聞いたことがない。小型魚の時には、多くの鯨やイルカや大型魚による脅威から生き残ったものが少しずつ出世していったようである。日本の社会も出世魚ならぬ出世人間の階段があったようである。係長から、幾多の試練を経て重役、社長になっていく道である。そして、永田町の世界は、それ以上に当選回数別の出世であるように思われた。しかし、先の小泉改造内閣では当選3回の自民党幹事長や沖縄・北方担当相、4回の国土交通相など、あの永田町でさえ、出世魚の法則を乗り越えて大きな世代交代を遂げたのである。
 また、今年はなんと言っても阪神タイガース!前回の21年ぶりの優勝以来18年ぶりに優勝したのである。何に驚いたかといえば、世に中にこんなに多くの阪神ファンがいたことであろう。そして、ヒートアップした報道ばかり聞いていると、「〜年ぶり」などと敢えて言われることなく毎年優勝や優勝争いに絡んでくるダイエー、西武、さらに巨人などに比べてどちらが立派なのか、どちらに底力があるのか分からなくなってしまう。
 永田町ばかりではなく日本の社会の世代交代も阪神タイガースの優勝もめったにないことか?両者ともに「ぶり」を超えてほしいものである。

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効果の指標

 最近医療のIT化、特に電子カルテに伴う効果を測ろうとする動きが活発だ。しかし、なかなか、これはといった決定打が出てこないのも現状であろう。そもそも、日本語の「効果」にはbenefit, profit, effectivenessといった意味が含まれるという。profit以外では測ることが極めて難しいのである。
 IT化には多額の経費が掛かる。経費をかけた以上は、その効果について評価する必要がある。わたしは、オーダリングシステムや物品管理システムのprofitは計測可能であると思うし、実際メリットを享受できた。しかし、電子カルテは「質」の問題であり、profitを生み得ないものであると思う。質がよくなることとprofitを生み出すことを関連付けるためには時間が必要である。決して、短期間に測れるものではないと思う。

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輸出産業

 台湾の李登輝前総統が倉敷の病院に心臓カテーテル手術を受けに来たとき、時の経済産業省は「日本の医療も輸出産業になった」と喜んだという。しかし、その後日本の経済人やスポーツ選手がアメリカの先端医療を受けたという話や、中国で中医を受けたという話は聞こえてくるものの、日本に外国からわざわざ手術を受けに来たという話はトンと聞かない。これらは、みな輸入産業、すなわち日本人のお金が外国の医療に流れたことに他ならない。
 なぜ、日本の医療は外国人、特に富裕層や要人に魅力がないのか?それは、日本の社会主義的医療は産業ではなくコストであるという感覚が根底にあるように思われてならない。産業は振興すべきであるが、コストは下げなければならないのである。みみっちくコスト管理した医療に外国人は魅力を感じるはずはない。
 昨年の総医療費は31兆円だと先日発表された。前年の介護保険導入効果は吹き飛んだらしい。これを受けて来年の診療報酬改定に向けて早くもコストである医療費削減論議が盛んになっている。しかし、総医療費の増大とともに、雇用創出効果も忘れてはならない。また、背景に未曾有の高齢化社会に突入することも忘れてはならない。
 日本の医療産業が羽ばたけば、国民の安心とともに雇用を創出し、その上外国からも人を呼べる輸出産業になりうるのである。いまさら、コスト競争力に欠ける製造工場を誘致しても始まらない。サービス業としての医療産業こそが、日本再生の道のように思えてならない。

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タイムマシン

 日本は世界に先駆けて高齢化社会に突入するという。私たちの住む七尾は急激に高齢化が進み23%に達しようとしている。さらに、能登地区に目をやれば40%の門前町をはじめとして30%台の市町村も目白押しである。
 世界に先駆けて日本は少子高齢社会に突入する。そして、日本に先駆けて能登は少子高齢者社会に突入することとなる。古代ギリシャのアリストテレス以来の演繹論理・三段論法に立つと能登は世界で始めての新しい社会に突入することとなる。世界の人々の未来が能登で現実化する。能登空港開港で降り立った人々は、飛行機がまさにタイムマシンとなるのである。
 これから高齢化のビッグウェーブとなるのは、堺屋太一氏が言う『団塊の世代』となる。彼らは、学園紛争、高度成長、ニュータウンブーム、バブル経済そして社用族を作り出してきた。さらには、リストラの最前線にもいる年代である。日本経済の常に先頭にいた年代がこれから高齢化していくのである。
 能登は今まさに、日本はこれから新しい社会、新しい経済の体制化に入ることだろう。人が減れば土地は値上がりすることはない、車が減り道路はいらなくなる。今までと違った価値観が求められてくるのである。
 国は年金・医療など少子高齢化にともなう悲観論ばかりをプロパガンダする。しかし、これからは高齢者のもつ能力と活力を活かし、高齢者に楽しみと誇りを与える体制が必要であろう。そして、それをサポートする安心のための健康づくりや医療・福祉の充実に高齢者は社会主義的な公的サービス以外のものを求めていくに違いない。
 前出の堺屋太一氏に先月お会いした。氏は『高齢化大好機』を主張する。

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知の時代

 4月30日、厚生労働省の医療制度改革推進本部・医療提供体制に関する検討チームから医療提供体制の改革のビジョン案が報告された。これは、(1)患者の視点の尊重、(2) 質が高く効率的な医療の提供、(3)医療の基盤整備の3点を中心にして将来ビジョンが提言されたものであった。(1)の中では「医療に関する情報提供の推進」が、(3)の中では「医療分野における情報化の推進」が強く打ち出されているのである。
 私たちは、「情報」を提供し、「情報」を共有しなければならないという観念にとらわれる。しかし、私たちが提供し、共有しなければならないものは「情報 Information」だけなのか「知識 Knowledge」もなのかを知る必要があるように思う。Oxford現代英英辞典によるとKnowledgeとは、「 The information, understanding and skills that you gain through education or experience 」であるという。これは、情報は五感を通して得ることができるものであり、それを教育や経験をとおして自分のものとすることによって「知識 Knowledge」とすることができるものと理解できる。すなわち、知識は情報の上位概念と考えていいものと思われる。
 ITは文字通り情報技術である。情報を提供・共有することはITを用いることで十分可能である。しかし、情報を提供し、共有しても、その情報を有効に利用すること、すなわち医療の場合には患者の利益とならなければ、単なる自己満足に過ぎないものと考える。そこで、利用する者が情報を知識として自身のものとしていく仕組みが必要であると考えた。
 さらに、経営資源として「ヒト、モノ、カネ」という考え方がある。これに加えて「知識」というものがこれからの資源であると理解したい。しかも、一般的に資源は使えば減っていくものであるが、知識は使えば使うほど増えていくものであろう。ならば、最高の経営資源となるはずである。
 私たちは、知を創造する「場」を創り出していく必要がある。それは、会議であり、カンファランスの場かもしれないし、コンピュータを利用したサイバースペースか、はたまたワイワイガヤガヤという飲み会の場かもしれない。

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マスター

 ルーク・スカイウォーカーは一朝一夕にジェダイの騎士になったわけではない。辺境の星で生い立ちを知らされないまま普通に育った少年だった。道を外れそうになると、何度もオビワン・ケノビーやヨーダといった師(マスター)に技術や哲学を教わりながら、ジェダイの騎士として成長していったのである。そして、ついには悪しき皇帝を破り、その手先とならざるを得なかったダース・ベーター卿という名の父の魂を救うことができたのであった。
 いまさらスター・ウォーズのストーリーがどうだこうだというわけではないし、別にエピソードVが上演されるようなタイミングでもない。ここでいいたいのは、例え才能と血筋が良かろうとも素人が一人前になるためには師(マスター)が必要だったということである。
 昔は、お医者様や看護婦さんの言うことは正しかった。しかし、今やインフォームド・コンセントという言葉が一般化し、さらに「お客様は神様です」から医療界では「患者様第一主義」が声高に言われるようになった。全てを説明し、納得してもらってから医療が始まるということになった。これこそが「医療の非対称性」を「対称性」にしようということになるということらしい。
 しかし、本当に「お客様は神様なのか」・・・患者は病院に来る時点で全てがわかって来るのであろうか。マスターは、患者が気付いてないことを知らせてこそマスターであり、その道のプロなのである。例え、風邪でも患者の知らない情報を提供してこそマスターなのである。自分の知らない情報を与えてもらった時点で、患者は神様ではなく弟子になり、マスターをプロとして尊敬するわけである。
 読んで字のごとく、医、看護、薬剤・・・マスターなのである。さらに、一歩病院に入れば、患者を取り巻く全ての職種は少なくとも病院のプロなのである。プロとして、「そんな事は分かっている」情報をいくら丁寧に提供してもダメなのである。弟子を導くだけの知識と哲学を絶えず持ち続けていくことが、われわれに強く求められていることであろうと思えてならない。そして、われわれは既に多くのことを学んできている。毎日毎日医療の現場で働き続けている。もっと自信を持つべきかも知れない。マスターになるように頑張るのではなく、マスターであることを知る必要があるのであるのかもしれない。

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正義の味方

 いよいよ2003年4月7日を迎える。かの有名な「鉄腕アトム」の誕生日である。天馬博士が作り出し、お茶の水博士に育てられた正義の味方である。マンガ本と白黒アニメに胸躍らせた頃は未来の世界と思われた。その日が現実になろうとしている。
 現実に目をやれば、ロボットは犬型ロボットAIBO(Sony)やヒト型ロボットASIMO(Honda)が活躍する。両者とも名前がアトムと同じ「A」から始まるのは偶然なのか。しかし、アトムほどの人工知能には程遠い。ましてや悪者を懲らしめるだけの力はないようである。
 原作本のアトムの悪者には、水戸黄門や007映画と違って根っからの悪者はいなかったように思う。だからこそ、善悪の区別ができないアトムは両者に利用され、なぜか悩むことになるのであった。
 時を同じくしてイラク侵攻作戦が始まった。ここに存在するのは根っからの悪者、サダムフセインとその手下である。非人道的な恐怖政治を行ってきたフセインをかばいだてする気はさらさらない。しかし、なぜ彼はそうせざるを得なかったのかを知る由はない。10万馬力という強大な力のアトムはどちら側にもつく可能性があるのである。
 医療の話に飛躍する。医療費を削減し、患者自己負担増を求める厚生労働省は悪の権化か。株式会社の医療参入を画策する総合規制改革会議は悪の権化か。自分たちの利益を擁護する日本医師会は悪の権化か。どちらにも言い分がある。どちらも悪ではなく、どちらも善ではないかもしれない。本当は強大な力がありながら、それを使うことがなかった患者である国民アトムはどちらの側につき悪者を懲らしめるのであろうか。

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無為の失敗

 政府は2月27日「構造改革特区推進本部」の会合で日本医師会と厚生労働省が強硬に反対して焦点となっていた病院経営への株式会社の参入について、保険の適用されない自由診療に限って条件付きで認めることになった。保険と自己負担を併用する「混合診療」は認めていない。
 構造改革特区は本来なら一挙に全国展開すべき規制改革を、提案があった地域だけで実験してみるよいう苦肉の策だ。しかし、今日の中国の発展は、初めは小さな経済特区から始まったことも事実である。
 なんでもやってみて、ダメなら止めればいいと思う。しかし、坂口厚労相は首相の「失敗を恐れず試せ」という指示を「初めから失敗することが確実なものはやる必要がない」といなしたという。無為の失敗は、最悪の選択なのだ。中央省庁が恐れているのは、構造改革特区の失敗ではなく、実は成功かもしれない。官僚の反対にもかかわらず実施した実験が成功すれば、反対論には根拠がなかったことになるからである。

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衆愚政治

 いうまでもなく日本は議院内閣制である。日本の首相はアメリカや韓国の大統領のように直接国民から選ばれることはない。首相は、野党のみならず与党の国会議員の顔色を伺わなければ自分の立場を危うくする。すでに、小泉改革は前に進まないことが明らかになった。経済不況・デフレも進行する。株価低迷は投資家ばかりではなく年金資産の目減りを招き、国民の将来の不安を助長し、また企業の負担を強いる。
 医療界から「抜本改革」という言葉はいつの間にか消えた。強いリーダーシップがなければ、よきにせよ悪しきにせよ抜本改革は有り得ないことがわかった。厚生官僚の小手先の施策に医療機関や医療消費者が右往左往する日々が続きそうである。
 都道府県知事は地方の住民から直接選ばれる大統領である。石原東京都知事をはじめとして、昨今特徴的な知事が多い。国に期待できないならば一都道府県全部を特区とするような信念とビジョンと実行力を持ち、現状をブレークスルーできる人材の輩出に期待せざるを得ない。

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ニューフロンティアを求めて

 人類は、歴史上新たな開拓地(ニューフロンティア)を求めて、その富により進歩してきた。アフリカであり、アメリカ大陸であり、近くはアジアの植民地であった。その後、アポロ計画など月にフロンティアを求めたものの、その計画過程でITによるサーバースペースという大きなニューフロンティアが見出され、世界はそこで新たの富を創出している状態であると理解できよう。
 今後、デフレ下における医療費拡大の望みは現実的には厳しい状態にあることはいうまでもない。われわれ医療にとっての、新たな糧を創出するニューフロンティアが存在するのか?平成12年から施行された介護保険制度は一つの場を提供してくれた。また、新たなニューフロンティアとしてサイバースペースが存在する。その両者を継げる取り組みとして当法人では32の介護保険事業部門をオンラインで管理するコールセンターを立ち上げてきた。しかし、一般的にITから収益を得るモデルは材料や薬品などの仕入れ、コスト・在庫管理面に絞られる。その他の安全対策や情報共有、情報開示は質の面のみの改善に寄与するものであるといえよう。
 これから私どもはニューフロンティアを求めて新たな航海に出る必要がある。それは病気を作らない予防医学・健康創出であり、医療関連サービスへの進出であろう。病院という安心のブランドを核として、新たな事業を捜し求めなければならない時代に入ったといえよう。

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デフレの時代

 世の中デフレの時代だ。物の値段が下がり、給与所得も下がろうとしている。医療費そのものも、自己負担増という受益者にとっては「値上がり」ベクトルがかかったものの、4月の診療報酬改定で下がってしまった。
 100円ショップやユニクロ、電化製品などデフレを引っ張ってきたものは何れも、海外の安い労働力をはじめとしたコスト削減と画一的大量生産によるものであった。一方、ハイクオリティーを標榜するホテルやブランドショップは高い値段をとりデフレとは関係がない。五つ星ホテルは、徹底した個別対応によって顧客の満足を追求し、ブランドショップもまた高級感と希少性ともに、質での安心感で顧客に迫っているのである。
 顧客は医療においても、大量生産と画一的なサービスを求めるのであろうか?個別対応とブランドを求めていないのであろうか?医療は今後テーラーメイド医療へと行くという。それは個人の遺伝子やタンパクの発現によって、個人対応の予防・治療を行う医療であるという。ただ、その前に個人のニーズにいかに応え、満足感を与えていくかという個別対応こそが医療の質にかかわってくることも忘れてはならない。
 個への対応、質の確保と医療費のデフレ…この二律背反のなかで、いかに対応していくかは、一般企業以上に厳しい問題となってきた。われわれは今まで以上に知恵を絞らなくてはならない時代を迎えようとしている。

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無印良品

 10月7日のノーベル化学賞発表には驚いた。いまさらながら、島津製作所主任、田中耕一氏(43)に受賞である。しかも、私の浅学をさらけ出せば、「タンパク質など生体高分子の分析」という分野は大いに医学・医療と関係が深い分野であることがわかった。時代の最先端は遺伝子かと思っていた。しかし、遺伝子の異常がわかったとしても、その遺伝子が実際に発現しないことには病気は起きないわけである。タンパク質は遺伝子の命令によって作られる。微量の異常なタンパク質を測ることによって実際に病気を引き起こす原因を知り、治療方法を知り、しかも治療効果を計ることができるかもしれない。
 さらに田中氏は、タンパク質と結合して機能を発揮する糖鎖に関する共同研究を、まもなく始め、「糖鎖の研究を進め、1滴の血液や尿を使って数分で病気の診断や治療法が分かる装置を開発し、増え続ける医療費の問題を解決したい」と、今後の抱負を語ったという。
 世では、氏のほんわかムードを「癒し系科学者」という言葉で評価する。しかし、地道な研究と、確かな目的意識、そしてその目的を達成させるための強固な意志を感じる。打ち上げ花火型とか桜型ともよばれる、一発勝負とかぱっと咲いてぱっと散る取り組みがもてはやされる中で、久しぶりに無印良品を見つけた感じがした。
 民間企業の中で、自分の目的を達成させるための環境を作り出したのは、決して氏の運だけではないだろう。企業の目的と自分の目的のほんの一点の共通項を見出したことに氏のすばらしさがあるのであろう。
 地道さと強固な意志、さらに組織人としての取り組み。先が見えない日本の社会で欧米型ではない日本型の成功事例を見つけたような気がしてならない。

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ワンクリック

 最近確認書が多い。生命保険、火災保険、自動車保険などは言うに及ばず、旅行にかかわる約款からホームページを利用した会員登録、インターネット通販まで、とてもすべての内容を確認する時間はない。すべての内容を読み通している人がどれだけいるのであろうか。読むことに多大なストレスを感じてしまう。
 これに対して、AMAZON.comのワンクリックはストレスを感じさせないことから、思わず買ってしまう。
 医療においても、インフォームドコンセントが重要視され、ありとあらゆる説明が求められる。新薬においても、牛血清を製造過程に使っているから狂牛病まで説明せよという。言う方も、聞く方も多大なストレスである。確かにパターナリズムがいいとは言わない。しかし、このストレスは何とかならないものか。情報を開示した上で、詳細を必要な人のみが自己責任で集めるような仕組みがネットの時代だからこそできるものに違いない。

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変わるもの変わらないもの

 日中国交30周年記念などと勝手に理由をつけて、駆け足で富山空港から大連経由で北京へ行ってきた。
 北京は2008年のオリンピック開催に向けて建設ラッシュである。あの人民服などどこへ行ったのか、共産国である中国らしさは唯一天安門に掛かる毛沢東の肖像ぐらいしか見当たらない。市民は最新のファッションに身を包み、新しい金儲けの商機を探る。街には自転車の姿はなくドイツ車やフランス車が幅を利かす。さらに、利用した中国北方航空の機内案内では「私たちはお客様の満足のために、よりよいサービスを提供します」など、日本の航空会社にも聞かせたいようなにくい放送がかかる。
 もちろん10年前、20年前の中国へは行ったことはない。おそらく大きく変わったに違いない。そして10年後、20年後の中国はさらに大きく変わるに違いない。しかし、その中で世界遺産である「万里の長城」は紀元前の始皇帝の時代から維持されてきている。時代を超えた変わらないものに驚きを隠せないものであった。そして何よりも、体制がどうであれその時代にしたたかに、しかも速やかに適合していく中国人の国民性は変わるものではないようにに思われた。だからこそ、王朝や体制が変わっても中国は世界に独自の強さを発揮できたに違いない。
 日本の医療を取り巻く環境は猫の目のように変わっていく。その中でわれわれは多くの改変を余儀なくされている。しかし、われわれは、変わらないもの、変えてはならないものを見据えていく必要がある。
 患者の、そして地域の住民の要望は、私たちの「お仕着せ」のサービス提供で満足することはないであろう。それゆえ、私たちは医療を提供する体制を変えていかなくてはならない。しかし、患者様の、地域の住民の要望に真摯に応えていく姿勢は変わることのないものとして、しっかりと中心に据えていかなければならないものであろう。

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効率化ということ

 公共事業関連業種とは異なり、票もなく、金もなく、しかも世論の支持もない医療団体の反対むなしく、健康保険法改正案も国会を通過した。診療報酬改訂とともに、今後の先行きは真っ暗闇となった。
 このような時にこそ、「効率化」の推進が強く求められる。効率化には経営効率と業務効率の見直しが必要である。一方のみでは効果は期待できないと考える。経営効率は、人事改革、材料費削減や在庫削減を追求する。これらと業務効率削減をいかにリンクさせるかの仕組みの構築が必要になってくる。そこでは、IT化は必須であろう。デフレ経済の中で効率化を追求する他業種に数多くの模範例があるように思う。

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聞く技術

 6月20,21日に東京で開催された第52回病院学会のシンポジウム「患者満足と職員満足」のシンポジストとして参加してきた。ここで、同じくシンポジストとして参加された「プロカウンセラーの聞く技術」の著者、京都大学の東山 紘久教授とお近づきになった。「話す技術」や「プレゼンテーション能力」などの本を押しのけて20万部以上を売ったベストセラーの著者である。
 東山氏は、カウンセラー(臨床心理士)の体験から、いかに患者自身の口から結論を出させるかの重要性を説いてくれた。私たちは、いわゆるパターナリズムのもと、「そんなことをしてはだめ」「こういう生活をしなさい」と、患者に説く。これでは、患者は「わかっちゃいるけどやめられない」状態なのである。
 私たちに求められているのは、インフォームドコンセントから、インフォームドコミュニケーション、さらにはインフォームドシェア(情報共有)であろう。そのためには、「話し上手」よりも「聞き上手」の極意を身につける必要があろう。
 同氏は、人間関係はコミュニケーションのあり方によって決まるという。コミュニケーションの基本は相手理解であり、相手を理解するためには、相手の言うことを聞く必要があるという。
 また、医療は、専門職の集まりである。私たちの「言葉」を患者に理解してもらうことに、私たちは労力を裂く。氏は私に「専門知」を「一般知」に落とし込む技術も大切であると教えてくれた。一般知をインフォームし、聞きに徹する。
 改まって言うほどのない、当たり前といえば当たり前のことである。しかし、医療に対する、患者の満足のハードルをなかなか越えることができないのは、やはりここに根源があるように思えてならない。

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魔法の国

 景気回復の出口はなかなか見えてこない。さらに4月の診療報酬のマイナス改定以降、医療も不況業種の仲間入りしたのかも知れない。しかし、経済成長率が0%だとしても、あくまでも平均が0%であることを忘れてはいけない。20%成長が下がった業種もあれば、20%、いやそれ以上成長している業種や企業があるはずである。
 そのような中で、いま好景気業種を見ると、まずはアニメであろう。千と千尋の神隠しは莫大な興行収入を呼んだ。また、ハリー・ポッターも世界で聖書、毛沢東語録に次ぐベストセラーになり、映画やビデオ・DVDも好調である。さらに、東京ディズニーランドやUSJの人気はとどまることを知らない。このように見ていくと、これらに共通することは魔法の世界、ファンタジーである。
 医療も、もともと古代、中世においては、魔法の世界であった。祈祷師や魔術師が医療の担い手であり、外科医の根源は床屋にあるという。現代においても、痛みに七転八倒していた患者が注射一本で痛みから解放される。まさに魔法の世界である。
 私の病院においても電子カルテシステムが動き出す。患者情報の共有化という意味では魔法の世界である。一度座れば、あなたのことがぴたりと分かるわけである。他の科の情報、看護の情報、検査の情報など過去の治療や現在の問題点が分かってしまうのである。
 魔法に関しては血統書付きサラブレットであるハリー・ポッターでさえ、魔法使い学校へ行かなければ魔法のほうきに乗ることはできない。私たちもコンピュータという魔法の道具を手に入れた。これを使いこなし、本当に患者様のメリットがどんどん生まれてきたとき、私たちは魔法の業種の仲間入りができるかもしれない。

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二つの病院

 4月の末に、北米へ行ってきた。いわゆる有名病院ではない、日本では知られていない二つの病院を縁あって訪問した。
 一つはカナダオンタリオ州Tillsonburgのコミュニティーホスピタル。日本で見る地図に載っていない人口4万のタバコ農業を中心とした田舎町の基幹病院である。日本の人口4万人の町の病院と比べるほどのことはない。100床に満たない病院には常勤の外科医もいない、心カテ検査などはとんでもない、いわゆるデイケア中心の病院である。しかし、医療は公的保険でカバーされ、民度も高い。重症患者はヘリで数10Km離れたLondonまで運ぶという。それに対して誰も不満は持っていない。
 もう一つは、ゴルフで有名なぺブルビーチを有するアメリカの高級リゾート地、カルフォルニア州Montereyのコミュニティーホスピタル。100数十床の病院には200人以上の医者がいる。全室個室、病院の中は清潔観があふれ、大きな天窓からは光が満ち、廊下にはおびただしい絵画が飾られている。先端医療機器がならび(とは言っても日本の大病院の標準クラス)、外来待ち時間などというものは考える必要がないくらいゆったりしている。裕福な部類に属する地元民は言う。「あの病院は高いので、隣町の病院を受診する」
 どちらの住民が幸せか・・・?どちらよりも日本人が一番幸せだと思う。安い医療費で最高の治療を。この制度が今崩れようとしている。

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普通の人

 国会では、素直に謝るということを知らない人種が大勢いる。また、官僚には病める人間や懸命に地域医療の維持に頑張っている病院のつらさを知らない人種が大勢いるようだ。
 新年度が始まり、多くの新人が入職する。職員としてあるべき姿を求められる。「立派な医師」「立派な看護士」「立派な事務員」・・・私たちは多くを求める。しかし、本当に求めるべきものは「普通の人」なのではないだろうか。素直に、朝会えば「おはようございます」、いいことをしてもらえば「ありがとうございます」、悪いことをすれば「すみません」「ごめんなさい」、困った人がいれば「どうしましたか」「何かお手伝いすることは」・・・皆、普通の人ならば当たり前のことである。
 どうも世の中、普通の人が少なくなってしまったようだ。霞ヶ関界隈と違い、普通の人がたくさんいる病院にしたいものだ。

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三方一両損

 落語である。“左官屋が、書き付けと印形と3両入った財布を拾う。落とし主は印形から大工と解ったので、早速左官屋は大工の所に届けに行く。ところが大工は、書き付けと印形は貰うが、落としたお金はもう自分のものでないから持って帰れと言って受け取らない。
 左官屋も強情で、そんな金欲しくて 届けたのでないと、口論になる。取りあえず大工の大家さんが仲裁に入って、左官屋はそのまま帰った。今度は、左官屋が自分のところの大家に一部始終を話したら、その大家は怒って早速大岡越前守に訴え出る。
 白州にでた両人は各々言い分を述べて金はいらないと言い張った。そこで越前守は一両出して「二両ずつを両人に褒美としてつかわす。2人とも三両懐に入るところを二両となったのだから一両の損。奉行も一両出したのだから一両の損。これ呼んで三方一両損なり」で無事解決した。この後、越前守のはからいで膳が出る。両人喜んで食べようとすると、奉行「いかに 空腹だからと言って あまりたんと食するなよ」。「へぇい、多かぁ(大岡)食わねぇ」「たった えちぜん(一膳)」”

 大岡裁きで、重要なのはお上が一両出したことにある。さて、医療保険改革と診療報酬改訂。特にこの4月の改訂は医療機関を直撃する。ことのはじめは、赤字国債を30兆円減らすことに始まる。メリハリをつけることなく各予算を削減する。医療費2800億減から自己負担で1000億減、診療報酬で1800億減=2.7%減。単なる帳尻合わせである。国民医療に対する方針のかけらもない!そして三方にお上の姿は見えてこないし、二両の得があってこその一両の損なのである。そして落語のように、計らいも落ちもない。

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Social Satisfaction

 医師会には、病院にはそれぞれの言い分がある。しかし、経済不況という逆風の中で、この4月の診療報酬は初のマイナス改定になってしまった。その中では、病院における再診料や中長期入院費の大幅な削減が噂されている。病院外来が悪であり、行き場のない中長期入院は悪であるという。悪であれば経済的制裁を加えるという。
 誰が良悪を決めるのか。それは、患者であり、社会である。患者が社会が質を求め、安全を求め、情報開示を求め、雇用の創出を求める・・・。患者が社会が病院外来を否定する・・・。それに対する根拠がない限り、社会に不満がくすぶりつづけるのではないだろうか。
 わたしたちは、Social Satisfactionが得られることに突き進んでいかなければならない。決してGovernment Satisfactionではないことを銘じなければならない。

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透明性

 21世紀が始まった2001年は実態のなかなか伴わない構造改革論議に始まり、同時多発テロとそれに続く新たな紛争、炭疽菌テロ、不審船騒ぎと、不透明感が漂う時代となった。さらに、今春の診療報酬改定では、ついに医療費の引き下げが行われようとしている。医療そのものも先の見えない時代へと突入しようとしている。
 このような時代だからこそ、我々は、組織の中における意思決定に、患者・利用者に対する情報の提供に、危機管理に透明性が求められていることを肝に銘じなければならない。

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コストか産業か

 聖域なき小泉改革はついに医療分野に迫ってきた。「国民にも痛みを分かち合ってもらう」ために毎日のように医療費抑制策が報道発表される。そこでは、従来型の業界団体である医師会や病院団体などの反対勢力からの意見は聞く耳もたないといった強力な意思が現れている。
 ここで、医療や福祉はコストなのかという問題に触れたい。コストならば、この経済不況下において削減することが至上命令である。しかし、日本の造船や、鉄鋼、電機、半導体産業が落ち込んだいま、次に代わる産業はなにかを考えたときに医療や福祉産業なのではないかという意見も成り立つのではないか。産業ならば、振興させるべきなのである。
 確かに高齢者医療はコストかもしれない。しかし、若年者医療や高度先進医療は日本の輸出産業となりえるのではないだろうか。つまり、質の高い医療が海外から患者を呼び込むことができるのではないだろうか。

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True North

 コンパスの針が指す方向は本当の北ではない。それはコンパスの差す「北磁極」が「北極点」の位置にはないからである。そのため地図とコンパスで正しい方角に進むには、若干の軌道修正が必要になってくる。進むべき正しい方向を見つけるには、本当の北を知らなければならないのだ。
 情報過多の現代、医療制度についても様々な情報が交錯する。私たちは、「真の北」を知る必要がある。それは、マスコミが言う、あるいは行政や研究者が言う医療サービスではない。利用者が真に必要とするサービスなのである。自分達の進むべき道は自分達が考えて、知ることが重要なのである。

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景気回復

 9月11日の事件は、アメリカ以上に日本の景気に閉塞感を生んだ。景気の低迷と失業率の増加による受診抑制は、医療費の議論以前の問題として、医療機関の運営に大きな影を落とすことになろう。
 しかしながら、景気は回復するものではないという認識をもたなければならない。なぜなら、病気が治るように産業構造は元に戻る(回復する)ことがないからである。過去に、鉄鋼、造船、繊維、自動車、半導体と日本の主力産業は変わってきた。新しい産業の台頭と雇用の創出、それは医療・福祉分野ではないだろうか。規制産業は主力産業になりえない。政府による産業創出の姿勢が今まさに問われてきている。

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現在か未来か

 構造改革は狼煙ばかりである。前月には「総論賛成各論反対」をテーマに挙げた。株価の低迷は目を覆いたくなるばかりである。株価の低迷は年金資金の運用、また時価会計導入に伴う退職給与引当に影響を及ぼす。運用益が出なければ、年金、退職金は払えない。
 いま改革を行って、日本経済の底上げをすべきなのか。もう少し現状の権益を守るべきなのか。景気は決して「回復」するものではない。元の産業形態に戻ることはないのだからである。新しい仕組みを作って、新しい産業をつくる必要がある。手をこまねいていても、今日は安泰である。しかし、未来の生活は絶望の淵である。
 医療・福祉分野にも多くの反対勢力がいる。彼らの年齢からすれば、年金は安泰である。若い年齢こそ、自分たちの将来を積極的に憂う必要がある。現在か未来か・・・

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総論賛成各論反対

 参議院選挙が終わった。選挙期間中、右も左も構造改革、日本再生である。族議員と呼ばれる方々も数多く当選した。皆構造改革を後押しするという。とするならば、あっという間に改革はできるはずである。
 医療・福祉分野においても、構造改革は血を流す。総論賛成者は極めて多い!しかし、こと自らの権益に絡むことになると、反対の立場にたつのは世の常である。有権者も選挙結果に責任を持つ必要がある。われわれは、何党に入れたのか?それをもとに賛否を問うべきである。

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常識

 レオナルド・ダ・ビンチは、人間の頭脳を、「五感ともう一つの認知器官、すなわち常識をつかさどる器官を使って情報を収集する実験室」と考えていた。つまり、常識とは五感を越える超感覚なのである。経済学者、それ以上にコンサルタントと呼ばれる人々は、この常識の裏をかくことに血まなこになっている。そして難解なビジネス用語を連発する。
 われわれに必要なのは、シンプルな常識的判断であるということを忘れてはならない。複雑な因子を駆使した経営分析は何の役に立つのであろうか。そして、構造改革の議論にしても同様である。一般人が常識的判断として、納得のできないことが数多く存在する。税金の無駄使い、民にできることに対する公の圧迫、競争に対する公的規制などキリはない。
 もう一度、自信を持って常識に立ち返ろうではないか。それによって、何がいいことで、何が悪いことなのか…社会の、病院の問題点が見えてくるに違いない。

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聖域なき構造改革

 「民業を圧迫するものは小泉内閣では許さない」で始まった新内閣は、いよいよ構造改革に乗り出そうとしている。郵政民営化などとともに、医療費抑制策が政策の目玉となってくるのは必定である。高齢者医療保険制度、キャップ制などと、社会構造のドラスティックな改革に乗り出そうとしている。
 「構造改革論」は政府の、そして社会の組織を変えようとしている。しかし、組織は戦略を実現するための手段であることを忘れてはならない。戦略なき組織いじりはいたずらに混乱を招くだけであると思われる。医療や社会保障制度に国としての戦略を求めたい。まず国民が納得する戦略を示すことが、構造を改革するための大前提であることを提言したい。

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インフルエンザ内閣

 高支持率の小泉政権が誕生した。その誕生はインフルエンザのようにあれよあれよという間に感染が広がった感さえある。インフルエンザ内閣といっていいかもしれない。インフルエンザはいずれ治ってくる。国民に熱があるうちの短期決戦が求められている。
 デフレの中で、金融、ゼネコンや流通など問題企業の最終処理が始まり、失業率はアップすることだろう。そして、家計はますます防衛に走ることであろう。もはや既存のすべての業種が横並びに繁栄することはない。今こそ、政治に、規制緩和に、財政出動にメリハリが求められてきているのでないだろうか。
 国民に将来の安心と安全があれば、備えは必要ない。医療、福祉の分野こそ、消費の拡大と雇用の確保に重要な分野なのだ。

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ポジション

 自己のポジションを明確にできるか。地域におけるポジション、医療におけるポジション、福祉におけるポジションと様々なカテゴリーが存在する。そこでは、組織・役割の明確化、メリハリが必要となろう。いわば、組織のリストラクチャリングが必要になる。
 たとえば、医療機関のあるべきポジショニングとして、急性か〜慢性か、大病院か〜中小病院か、病院か〜診療所か、専門医か〜家庭医か、個人の技術か〜ネットワークか、自己完結か〜連携か、患者に対して平等か〜差別化か、などその選択肢は多岐にわたる。ポジションを明らかにして初めて、戦略というものが成り立つことになるだろう。
 ポジションの明確化は、イコール他の医療機関との差別化につながる。差別化はoriginalityでもあり、differentiateでもある。金太郎飴では、成り立たなくなっているのは、何も医療界だけではない。

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コンテンツ

 いよいよ3月1日から第4次医療法が施行される。一般病床と療養病床の区分とともに、広告規制の緩和がクローズアップされる。すでに、ホームページの世界では広告規制は事実上ないも等しい状況であった。しかし、個人でインターネットを使用しているのは20%であるといわれているが、実際、見て欲しい人が病院のホームページへたどりついてもらえる確率はきわめて小さいものであったことであろう。そういった意味では、掲示や印刷広告の効果はホームページの比ではない。
 いままで、医療界では、広告規制があったからこそ、広告に無頓着であった。急に規制緩和されたところで体質は大きく変わるものではない。そして、何よりもそのコンテンツ(情報の中身)が問題となろう。美しいプレゼンテーションで中身のないものは多く経験する。医療の質、医療の内容などの本質的なサービス(Core Mission)に誇りを持ってこそ、真の広報、広告活動ができるに違いない。

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アカウンタビリティー

 「まずビジョンを示すこと。次は短期目標を与え、それを成功させること。そして第3は部下を説得することである」・・・SONYの出井伸之会長兼CEOが言うリーダーの条件である。さらに「社長業はコミュニケーション業だと思う。会社がどこにいて、どこへ行くのか。折にふれてメッセージを出していくことが必要だ。それで初めて社員を引っ張っていける」と続ける。いかにリーダーに説明責任(アカウンタビリティー)が必要かを説いている。
 これに対して政治の世界では、与野党を含めてアカウンタビリティーがないことで内外の政治不信を助長しているように思う。むろん総理によるダボス会議の演説のようにビジョンだけでは誰も信用しない。
 医療界においてもビジョンは数多く示される。また、一病院においてもビジョンづくりに多くの外部機関が関係する。しかし、具体的な方法論が説明されないことで、トップと職員の間で温度差が発生していることがあるのではないだろうか。強い国、強い組織とするためにアカウンタビリティーが必要なことをもう一度確認しなければならない。

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ホスピタルペシミズム
  2001年の提言

 日本は活力を失ったまま、老いを迎えるしかないのか−ジャパンペシミズム(日本的悲観主義)が蔓延している。また、病院も数々の制度変革の中で悲観主義が蔓延しようとしている。病院のM&Aや企業による買収のうわさは絶えない。21世紀の医療の活性化のために以下の点を提言したい。
1)情報新幹線を急げ
 全国一斉の情報化、いつでも、どこでも、格安のユビキタス・ネットワークの早期実現を!整備新幹線よりも空港よりも最重要課題に。他分野のIT化と同時に医療においても遠隔医療、在宅監視、電子カルテのASP化など一気に進展するはず。
2)高齢者医療保障制度を
 疾病罹患率の高い高齢者に相互扶助である保険制度はなじまない!高齢者には目的税を財源に措置制度が必要。若年者は本来の保険制度の原点に戻り、疾病予防から相互扶助としての医療費給付へ。
3)規制緩和へ
 業界団体の意見ではなく、消費者の立場で規制の緩和を。病院〜診療所間の保険医療費の統一と自由競争を!大病院の医療費が高いのではなく、大病院の紹介率を上げるような誘導により、より重い患者の受診し医療費は高くなる。ショッピングセンターのような病院があってもいいのでは?
4)公私間格差の是正を
 大量の税金が投入される公的病院と補助金無しの私的病院が同じ土俵にいる?!日本の中で「政策医療」機関はどれだけあるか?少なくとも北陸には1件もない!

*皆様の提言、ご意見を乞う!:医療経営フォーラム

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20世紀

 人類にとって大きな進歩の100年となったと考えられてきた20世紀。大量生産、大量消費の時代からグローバリゼーションと情報の時代へとそのキーワードも変わってきた。医療の世界では、抗生物質の創薬によって感染症に打ち勝ったように見えた。また、情報技術は体内、さらに遺伝子のレベルへと今まで見えなかった世界を見せてくれさえした。しかし、環境破壊、資源の枯渇、新しい感染症の勃興と将来の人類にとって、必ずしも進歩の100年になったかどうか定かではない。
 われわれは、その時々のイノベーションに果敢に挑戦してきた。時流に乗った一時的なものもあったことだろう。しかし、今後も変化を求めていかなければならない。そこでは、環境としての市場、自らの目的・使命、自らの強み・弱みを規定し、責任と誇りを持ったサービスの提供が求められてくることであろう。 

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種の起源

It is not the strongest of the species that survives, not the most intelligent, but the one most responsive to change.(最も強い種や賢い種ではなく、最も変化に敏感な種が生き残る)
  ダーウィンの「種の起源」である。医療や福祉の分野、また介護の分野で制度の改革が進む。今後、財政問題とリンクしてさらに大きな変革が予想される。すでに強力なビジネスモデル戦略をとった公開企業も介護分野での苦戦が報じられる。また、アメリカではこの4月の株暴落以前は、ドットコム企業と名がつけば株式公開で大きな利益を生んでいたがその後の低迷である。
  どんなにすばらしいビジネスモデルでも変化に対応しなければ、種(企業)の生き残りは難しい。攻撃と撤収の時、種の生き残りのためには迅速が決断が求められてきている。

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e-Japan

  首相の施政方針演説によると「5年後には世界一のIT大国日本;e-Japan」を目指すそうである。その中身はこれから「真剣に」考えるそうである。大変楽しみな時代となってきた。ITを「いつもたいへん( Itsumo Taihen )」と訳したい。今を含めて取り組んだら最後、5年後であろうが10年後であろうが終着駅はない。技術はゆっくり考えている暇を与えないほど速く進む。そして、従来型の産業構造を急速に変えようとしている。
  i-modeをはじめとして民活で新しい知恵と仕組みが急速にできている。オンライン証券も活況を呈している。政治が規制さえ取り除けば民は新しい仕組みを作り上げる。規制の多い我々医療の世界も規制緩和で数多くの仕組みができてくるものと思われる。「真剣に」考えるよりも早くアクションを起こしてもらいたいし、我々も起こしていきたいものだ。

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マネックス
- of the people, by the people, for the people −

   いわずと知れたアメリカ大統領・リンカーンの言葉である。同時に、インターネットに特化し法人ではなく個人投資家を相手に躍進著しいマネックス証券の経営哲学である。
  法人同士のもたれあいが、日本経済の閉塞感を醸し出している。時代は、インターネットというインフラの出現で個人の復権が可能となりつつある。改めて考えてみると大部分の医療機関は零細企業である。もっとも大きな理由は、その取引先のほとんどが法人ではなく個人であることにある。医療はすでに個人を相手に多くのデータベースを構築してきたのである。これに新しいIT技術を加えることは一般企業よりたやすいことであろう。これこそ、新しい時代の最大の強みとして利用していくべきであろう。

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雪印

  地方分権の時代である。トップが日々進歩する現場の生産工程を把握することは困難であるし、また中央集権的に事細かにトップから現場を指示する必要はないものと思われる。現場における責任を明確化し、小さな工夫や経営改善提案を容認してこそ強い組織が作られると思う。
  そういった意味で今回の雪印事件で一次的に経営トップが現場のことを知らなくとも非はないと思う。しかし、アウトブレークが起こった場合は別である。いかに速く状況をトップに伝え、全社的な対応を行うかが鍵となろう。この連絡系統に非ありと判断せねばならない。
  ひとたび信頼を失った時の怖さを雪印事件は教えてくれた。医療においても事故発生時や感染症発生時における病院管理者の対応が問題となる。他人のふり見て我が身をただす機会と捉えたい。

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選挙の後

   現政権が総選挙で負けたのか勝ったのかはともかく、連立与党の枠組みは維持されることになった。選挙がらみで滞っていた第4次医療法改正、健康保険法改正は選挙民の顔色を気にすることなく、一気に審議に入ることであろう。そして、規制緩和や競争原理を盛り込むとうわさされる第5次医療法改正もいずれ現枠組みで提出されることだろう。
   OECD諸国との比較がよく議論される。ベッド数で2-3倍、医療従事者で1/2-1/5倍、在院日数で3-5倍のわが国の医療供給体制に対してメスが入れられる方向にあろう。国は医療法よりも先に、診療報酬で上記の是正(?)に向かうことであろう。ここで忘れていけないことは日本の医療費がOECD諸国で最低レベルであるということだ。ベッド数、医療従事者、在院日数をOECD諸国なみにすると同時に医療費(診療単価)の是正も対のものであることである。

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「神の国」から

   「日本は天皇を中心とする神の国」だそうだ。最近の介護保険制度や医療費自己負担の増額をはじめとした国民負担を増加させる政策の背景として「国民を中心とする」国ではなかったことがようやく理解できた。さらに、公的医療機関に対する多額の補助金という名の赤字補填は「官の国」かなとも思わせる。
   「神の国」発言は多分に政治支援団体への首相のリップサービスであると考えればたわいのないことかもしれない。しかし、この発言をその場限りのリップサービスでもいえるということは、政治家の一番深いところを流れる哲学や倫理、理念や基本方針といったものの欠如を浮き彫りにしたようにも思う。
   われわれも、時代に即応できるスピードをを持った経営が要求される。しかし、その底流に理念・基本方針という普遍的なものだけは失わないようにしたいものである。

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さよならCS
−不平等の時代−

   CS(顧客満足、customer satisfaction)が取りだたされて久しい。すべてのお客様にサービスや製品(医療においては治療結果)を満足していただくために企業も病院も多くの努力と資源を投入してきた。しかし、この考え方はあたかも消費者者や生活者のことを考えているようだが、重心はまだ提供者側にあるように思われる。
   本当に、顧客に重心をおき、顧客の期待値にあった、あるいは期待値を超えたサービスを企業(病院)全体で提供する必要があろう。そのためには、あきらめる顧客やお引き取りいただく顧客、ほどほどのお付き合いをする顧客がいてもいいということになる。つまりすべての顧客に最高のサービスは提供できないと認識しなければならない。そして、そのためには、どの顧客が自院にとって重要かを再定義する必要があろう。
   病院にとっての「お得意様」と「一元さん」、お得意様に対してはIT技術を駆使して徹底的にサービスを提供し、同時に見返りも期待する戦略が重要になってこよう。
(顧客主義:CRM customer relationship management のお話でした。)

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コンピタンシー

  医師に対して臨床能力(Clinical Competency)が求められている。ここでは、単に診療技術の力量のみならず、広く倫理、マナーなどの社会性、病院組織の一員として制度の理解や行動能力が問われている。
  同様に病院としてのホスピタル・コンピタンシーも問われてくるものと思われる。組織のミッションを実現するために必要な能力をいかに整備するかが、今後次々と進められる制度改革にスピードもって適応していく柱となってこよう。コンピタンシー開発のために、今こそビジョン、ミッション、戦略を整理しなければならない時であると思われる。

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「個」の時代

   金融機関の破綻で「護送船団」方式の終焉を感じさせた。また、警察官僚の不祥事では特権的キャリア官僚の現場を無視した連帯に憤りを感じさせた。
   医療の世界は、国民皆保険という制度上、全く「護送船団」を形成し、さらに医師会という特権利益誘導団体の主導下にある。
   目前の診療報酬の改定では、大病院の外来料をはじめ、「適正化」という名の値下げ項目が目立ってきた。医療機関は患者個人の病気の治療だけではなく、さまざまなニーズを知りうる立場にある。介護保険業務に取り組むことにより、さらにそのニーズを知る立場となる。ニーズには医療、福祉だけではなく、サービス提供、レンタル、物販、金融商品の販売など多岐にわたることがあろう。医療機関という「個」が患者という「個」に対して one to one に対応する仕組みを創造する必要があろう。それが、診療報酬以外に医療機関の独自性、「個」を作り出す有力な武器となることであろう。

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カリスマ

  ニュービジネス関連企業の株価の高騰が続いている。そこには必ずといってよいほどカリスマ的なリーダーの存在が見えてくる。ビル・ゲイツからソフトバンクの孫氏をはじめ、介護保険分野で今をときめくコムソン、グットウィルグループの折口氏もしかりである。彼らの特徴は絶えず新しい提案や仕組みを発信しつづけていることにあると思う。それが、魅力となり、多くの投資家の関心を呼び、豊富な資金を得て急速な事業化が実現する。
  医療・福祉の分野も旧態としているだけにきわめて多くのニーズが存在する。新しい介護保険制度とともに、新しい事業展開の種に事欠かない。中小の病院だからできないのではなく、オープンに提案して関連企業を巻き込んだ、しかも急速な事業展開が可能な時代かもしれない。

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ミレニアム改定

   昨年暮に発表された経済企画庁による景気懇談会の概要では、情報化、環境、高齢化に関する商品やサービスが好調とのことである。これは高齢化に関わる医療も好調業種になるのであろうか。
   診療報酬改定は厚生省、医師会、健保連、日経連などのつばぜり合いの末、実質0.2%という低率のアップということで大枠が決まった。景気低迷下で医療だけを優遇できないという論点である。そこで、(総収入−材料費)/職員数で求められる付加価値生産性を見てみたい。当院を含めて頑張っている医療機関で月にわずか70万円前後である。これに対してAランク企業は500万円、金融機関に至っては5000万円という数字が出てくる。いかに医療は人材が必要で、かつ生産性が低い業種か見えてくる。にもかかわらず、医療費抑制論議である。

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OPMe-Partner

   事業や新しいシステムを構築するときに資本の投下が必要となる。しかも、それが本業以外の場合、技術の裏付けも必要となる。さらに、効率的なシステムの導入にはスピードも要求される。そこでOPM(Other Peoples' Money)の活用である。医療が本業である当院もシステム化のスピード維持のために積極的にOPMを活用してきた。すなわち、システム開発のノウハウは病院が提供し、そのシステムの著作権、拡販はPartner企業が行うというものである。病院にとってのノウハウ提供の見返りは、開発経費の削減のみということになる。
   ここで、重要なことはいいPartner企業との連携となる。そこでその条件を考えてみたい。

  

e-Partner の条件

1)electoric 電子化, 2)expertise 専門性, 3)enhancement 増強力, 4)Execution 実行力, 5)enterprise 進取の気質

   いかがであろうか。

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NISSAN

   ルノーから来たCOO、カルロス・ゴーン氏の日産自動車リストラ策は日本列島を震撼させた。よき日本的企業風土を否定するものであるからである。その成否は時間と歴史の判断を待たざるを得ない。
   その中で、本業重視の考え方には共感するものがある。資本提携という株の持ち合い制度は、日本だけのものであり、本来他社の株式を持つのであるならば、投資信託会社であるべきであるという点である。本業でよりよく、より安い車を作るためならば、資本提携に縛られずに広く資材を市場から求めるべきというものである。そういった意味合いでは資本提携解消は大いに意味のあることとなる。
   医療では、従来資本関係がない場合でも、「過去のしがらみ」「もたれあい」の風土が根強い。本業の目的遂行に関係のない風土を否定する勇気が必要な時代となってきたように思う。

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介護立県

   いよいよ介護保険給付のための要介護認定作業が始まった。お上からの施しである措置制度は老人福祉から消える。代わって、保険料負担による権利が発生し、サービス機関間の競争が始まる。
   地方では、観光立県、工業立県ということで、安い土地に娯楽施設や工業団地の誘致が盛んだ。さらに、莫大な公共事業費をかけて、その担保となる道路、港湾や空港整備も盛んだ。
   都市部においては介護を提供する施設整備が遅れていることが問題視されている。何といっても地価が高いことに起因する。これに対して地方は施設整備が進み、すでに増床の余地がない地域が多々認められる。地価が安く、空気のきれいな地方に都市部で整備が遅れている分の老人施設の増床を考えてはいかがなものか。もちろん、地方の雇用も確保される。
   保険料は都会で払い、地方の施設を利用する。地方の活性化のエースとなりうるのではないだろうか。

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他力

  介護報酬の仮単価が公開された。施設は現状より若干低額であるのに比べ在宅に予想以上に高い報酬額がついた。一気に民間の居宅介護事業者が増加する気配である。他力である厚生省の方針に一喜一憂する介護事業者の図があからさまになった。
  医療機関においても、指をくわえて見ているわけにはいかない。制度にいち早く適応して新規事業戦略を立てていく必要がある。しかし、実際に高齢者や40歳以上の被保険者が支払う介護保険料の高騰を前にすると、今後の厚生省の方針変更は避けられないように思う。制度に乗る部門と同時に、現制度において対象外となる利用者のニーズにこたえる部門の整備こそが他力で左右されない強さを出し得る戦略のように思う。

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早い者勝ち

  日本人は優秀である。医療に限らずすべての業種で各種制度改革が決定されるころには、先回りして業界の対応は完成してきた。
  たとえば医療においても、在院日数に関して官僚の発言が報道され、審議会の議題に挙がっただけで短縮化される。介護保険制度についてもその概要が提示されただけで、医療ばかりではなく一般企業も参入に血眼になる。また、それらをコンサルタントと呼ばれる人々は煽ってきた。まさに早い者勝ちのレースが絶えず開催されている。
  これらは、何も法律や省令、通達が施行されたわけではない。したがって、今の段階で変更して失敗したとしても行政の責任は追求できない。第4次医療法改正や介護保険制度に関する方針の変更論議が盛んだ。経済誘導を進めてきた療養型病床群の療養費抑制、在宅介護サービス費用の逓減など「いまさら」と思われることも多々認める。
  変化にいかにすばやく対応するか、これは時代のキーワードである。しかし、先走りするのではなく、変化してからすばやく対応できる体制を整えておくことが最も重要であると考える。

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ホスピタル・アルツハイマー

  医療の標準化、リスク管理をはじめとして、昨今の臓器移植や脳死判定の手順をめぐる論議はすべてデータベースとマニュアルに依存する。アメリカ型管理手法の輸入による産物のように思う。これを「ナレッジ・マネジメント」の提唱者である野中郁次郎教授は形式知という。これに対して、個人の経験則による信念、ものの見方、直感など言語化できない知識を暗黙知という。
  マニュアル至上主義による企業の閉塞をコーポレイト・アルツハイマーという。一般企業から絶えずワンテンポ遅れる医療の世界で、マニュアル化の話題に尽きない。形式知と暗黙知のどちらに偏ることなく、お互いがスパイラル(螺旋)状に関連して共有化、表出化、結合化、内面化していくものの見方を、医療部門こそ他の産業に先駆けて進むことが肝要であろう。これがホスピタル・アルツハイマーにたいする「予防医学」といえよう。

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内的帰属

   心理学の言葉である。物事の原因を突き止めるときに、ヒトは内的帰属として努力、能力に求め、外的帰属として運、難易度に求める。うまくいったときには、努力、能力があったためとし、うまくいかなかったときには運が悪かった、難易度が高かったと理解するのがヒトの常のようである。しかし、本質的にはうまくいくのも、うまくいかないのもその仕組みが合理的であったかなかったかがカギであるように思えてならない。
   介護保険制度の要介護度認定開始までに半年をきり、施行までに1年をきった。ここにきて、見直し論が政治家より急浮上している。「いまさら?」という感はある。行政の努力にもかかわらずうまくいく見込みがないものは、やはり合理的な制度であるとはいえないのではないだろうか。

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e medicine

   犬の成長は人間の7倍である。これに例えて、急速なテンポで進歩しているインターネットを始めとする情報通信の世界は「ドッグイヤー」であるといわれる。e 革命、e commerce、e business などといった言葉も盛んに使われる。情報の電子化イコール企業の生き残りの唯一の手段であるといった風潮さえあり、またそれが現実化している。
   規制に縛られているわが医療業界にも電子化の波が押し寄せようとしている。4月、厚生省は診療情報の電子化にGOサインを出した。情報化が欧米よりも遅れている日本で、さらに最も旧態然としていた医療業界にである。単に診療録(カルテ)をワープロ打ちして、保存したところで意味はない。他の業界同様に、電子化とそれによるネットワークを構築してこそ真の威力を発揮できるものと思われる。

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ハインリッヒの法則

   横浜の手術患者取り違い事件から始まって、とんでもない医療過誤の話題が新聞紙上を毎日のように賑す。医療過誤が増えたのか、それとも過誤が明るみになることが増えたのか知る由もない。背景に医療費抑制政策に伴った人件費抑制策も見え隠れする。時まさに、第4次医療法改正論議が真っ盛りである。その目玉として、急性期病床と慢性期病床の区分問題がある。急性期を名乗る限りは人員配置とそれに伴う医療費の担保が求められる。
   一つの重大事故の影には29件のニアミスと300件の無傷のヒヤリ・ハットミスがあるというのは製造業から生まれたハインリッヒの法則である。ヒヤリ・ハットをいかに能動的に減らすことができるか。これが医療事故の減少につながろう。その担保として、精神論だけではなく、医療費というお金の改革も望みたい。

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LINUX

   ビル・ゲイツ率いるマイクロソフト帝国をゆるがす存在になりつつあるOS、LINUXである。ネット上に無償で公開され、全世界の技術者が手を加え、すさましいスピードで進化している。現状では確かにマニアックであり、その取り扱い方法も丁寧さに欠ける。しかし、これもあっという間に進化していくであろう。
   情報を公開すれば、その情報は新たな情報を呼ぶ求心力を持つことであろう。時は、医療費の適正化という名の削減の方向に向いている。世界に冠たる日本の皆保険制度すら存続の保証はない。医療や病院経営の情報ももっともっと公開することで、新たな理解が深まり、智恵が生まれてくるように思えてならない。

(私の病院のホームページwww.keiju.co.jpも院内に設置したLINUXサーバーから発信しております)

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投資信託

  昨年の12月より、銀行や生保の窓口で投資信託なる商品が売り出された。欧米に比べて銀行預金の比重が高い個人資産を投資部門に誘導して、低迷する経済に活を入れようという政策のようだ。
  投資信託はポートフォリオという分析により形成される。すなわち、ハイリスクハイリターンとローリスクローリターンの組み合わせと外国債の場合における為替のヘッジである。
  われわれ医療機関においても医療制度の構造上、収入が多いが原価も高い部門や、収入が少ないが原価が低い部門などいろいろな部門が存在する。医療機関全体としてのものの見方から、部門別における収益管理とその組み合わせのポートフォリオによって各部門に対する投資割合の戦略を見直す時期に来ているようだ。

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まだら模様

 1900年代最後の年が幕を明けた。21世紀に向けて不況と高失業率の時代から脱出できるか。兎のごとく、高く跳躍してほしいものである。経済界を眺めると、業種による好不況を云々するよりも同じ業種の企業において優劣が生まれてきているようだ。すなわち、業種間格差というよりも業種内格差が大きくなってきているようだ。まさに、まだら模様の様相を呈している。医療界も同様に、勝ち組み、負け組みに分かれてくるのではないだろうか。現状維持は後退を意味するのではないか。変化と変革の仕組みを求め、今まで以上に知恵と行動力が必要とされるターニングポイントの年になりそうだ。

当院の1999年事業計画(広報誌「ほっとたいむ」より)

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劇団四季

 多くの商業演劇の劇団が赤字で悩む中、劇団四季は独り気を吐いている。代表の浅利慶太氏は日経ビジネス11月23日号で次のようにコメントしている。

演劇は決して特別のものではありません。演劇人の中には、「質の高いものを演じてもお客様にわかっていただけず、劇場に足を運んでもらえない」と嘆く方もいるようですが、それはその舞台の質が悪いか、あるいは市場のニーズがないのか、どちらかだと思います。

そのまま、「演劇」を「医療」に「劇場・舞台」を「病院」に当てはめてみたら、いかがなものだろうか。

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商品券

  金融機関の破綻、貸し渋り、ゼネコン危機、さらに消費の低迷と深刻な不況である。赤字国債による公共事業の乱発を推し進めても回復の兆しが見えない現状にある。相変わらず、ハードにばかり政府の目が向いているように思われる。
  少子高齢化社会を迎えて、医療費や年金など社会保障費の削減論議も盛んである。こういった部分はソフトである以上、景気に対する効果も見えないし、また将来展望に疎い日本の政治が苦手とするところである。さらに今後介護保険料という新たな負担が示されている。国民は将来の生活に不安があるならば、消費には金を回さず、貯蓄する。昨今国民一人当たり3万円の商品券を配布し、消費を刺激するという案が示されている。しかしながら、一時凌ぎの対策をする以前に、先延ばしすることなく、国民の「安心」の部分に関する議論を急ぐべきであろう。

参照:社会保障改革の視点

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ナレッジマネジメントとクリティカルパス

  コンピューターによる情報の蓄積とネットワークの進展で、一般企業の間では達人のわざ・専門職の知識を共有し、誰でもいつでも簡単に、そのわざと知識を取り出すことを取り出すことを目的としたナレッジマネジメントの考え方が導入されつつある。
  医療においてのナレッジマネジメントの一つの方向性として、クリティカルパスの導入がある。標準化した治療計画によりベテラン医師のノウハウを新人医師やスタッフが共有するわけである。しかし、この導入には一般企業同様にコンピューターによる情報の蓄積とネットワークが必須であると思う。システム化されていないクリティカルパスの導入は、パス表に従った指示の記載・入力に多大な労力が必要になる。さらに、記載・入力時における個々の医師のバリアンスが発生してしまうように思われる。誰でもいつでも簡単にという軸がない方法論には、現場のモチベーションが生まれてこないように思う。
  私の病院では、この10月からオーダリングシステムと連動したクリティカルパスシステムを導入することとなった。

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公的資金導入

  日本長期信用銀行をはじめとする経営の悪化した金融機関に対する公的資金導入の是非をめぐって国会やマスコミでは議論百出である。税金である公的資金を導入する以上、その前提として情報開示が原則であることは衆目の一致するところである。
  金融機関に対する公的資金導入はここ数年の、バブルの崩壊後のことである。しかし、構造不況業種と言ってもいい公的医療機関に対する永続的な公的資金の投入を忘れてはならない。年間1兆3000億円を越えるともいわれる国公立病院に対する財政援助である。僻地医療や最先端医療など収支の悪化要因は数多く存在する。ここで重要なことは金融機関同様に公的資金を投入する以上は情報開示である。本当に僻地医療が財政を圧迫しているのか、それとも運営面における非合理性がないのか、納税者にはっきりさせることが大切なのではないだろうか。

参照:病院経営の実態国公立病院に対する補助金の現状

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冷めたピザ

  業務をゼロから見直すリエンジニアリングには強力なリーダーシップとモチベーションが必要である。ニッポン国の仕組みにもリエンジニアリングがまさに求められてきている。
ピリリとしたところがない「冷めたピザ」の小渕新内閣が誕生した。日本型社会主義と揶揄される協調体制の下では調整力に長ける総理の真価が発揮されよう。しかしながら、仕組みを組み替えなければいけない存亡の危機ではその手腕が疑問視されている。せめて、あの「大変な時代」の堺屋太一氏を活かしてほしいものである。
  医療・福祉・年金などに対する老後の不安が大きければ大きいほど、たとえ減税されたところで国民は貯蓄に走る。消費が低迷した日本経済復活の処方箋にすべての国民負担の見直しはなくてはならないものであろう。

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ベンチマーキング

  物事を評価・判断する方法として、セルフアセスメント(自己評価)とベンチマーキング(比較評価)がある。
井の中の蛙として自己評価が中心であった医療界である。これからは医療機能評価などのスタンダードとのベンチマーキング、他の先進病院とのベンチマーキング、そしてそれ以上に他の企業とのベンチマーキングが必要であると思う。物流の対象としては自動車業界やコンビニエンスストア業界がある。サービスの対象としてはホテル業界がある。共に、厳しい競争の中で蓄積されてきたノウハウを持った業界である。さらに、幸せなことにベンチマーキングの対象は星の数ほど、あらゆる業務に存在する。井の中で、しかもゆで蛙にならぬよう複眼を持って見つめていかなければならない。

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右肩下がり

  厚生省は、毎年膨張を続けてきた国民医療費が1998年度は前年度比1.1%(約3000億円)減の28兆8000億円にとどまるとの推計をまとめ、医療保険福祉審議会に報告した。これは1961年に国民皆保険制度が導入されて以来、毎年ほぼ1兆円のペースで伸びていた国民医療費が、初めて前年度より下回ることになる。
  ついに、医療分野も日本経済同様に右肩下がりとなる。しかし、先行した経済界ですべての企業が減益ではない。生き残った企業、さらには勝ち残った企業が存在する。赤信号をみんなで渡るのではなく、人の気付かない周囲を見渡して青信号を探す努力が求められてきている。

参照:98年度国民医療費予測

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病院の通信簿

  昨年のレセプト開示に続いて、カルテ開示が法制化されようとしている。情報公開の波が医療にも押し寄せているわけである。医療に伴う情報はカルテだけではない。病院運営にかかわる情報も多々存在する。
  都合の悪い情報は、なるべく出したくないのは人の常である。しかし、都合の悪い情報を出さなかったために、昨年からの大蔵、日銀をはじめとする不祥事が発生してきたように思う。
  (財)日本医療機能評価機構より、当院は第三者評価を受けた。満点を100点とした時、73.6点と決して誇れる数字ではなかった。特に「診療に質の確保」にいたっては65.9点であった。しかし、あえて「病院の通信簿」として当院の悪いところを公開し、その対策を示すこととした。
  情報公開は、御都合主義では意味がない。情報公開の目的を明らかにしてこそ、真の意味を成すものであると思う。

「病院の通信簿」URL http://www.incl.or.jp/keiju/tushinbo.htm

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構造改革

  昨年暮れからの銀行・証券の破綻とそれに続く公的資金導入、さらに今年に入ってからの大蔵省・日銀などの金融当局と銀行・証券の接待汚職事件などと日本の金融構造のひずみが一気に噴出している。また、ナイフを用いた少年犯罪の増加は教育現場と家庭、そして地域コミュニティーといった社会構造のひずみも露呈させた。
  医療の世界でも、医療・社会保障費の財源と支払方法、護送船団方式ともいえる行政による指導、公による民業圧迫、病院内におけるヒエラルキーなど、構造的ひずみは多々存在する。
  21世紀を前にして、すべての構造異常にメスを入れることができる勇気が政治、行政と共に病院経営者側にも求められてこよう。

参考:Medical Management 5月号

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“めりはり”の医療

  4月から改訂される診療報酬の全容が明らかになった。診療報酬自体1.5%アップというものの、薬価の大幅な引き下げによって、医療費全体としては初めてのマイナスシーリングとなった。そもそも、今回の医療費改訂は、はじめに国の財政再建法というマイナスシーリングを受けての改訂であり、国民の医療を真っ向から財政論で処理した歴史的改訂であったと思われる。
  今回の改訂は一言でいうと、“めりはり”の医療の始まりであるように思われる。一つには在院日数という軸であり、次に施設の類型化という軸であり、そして医療費の支払方法という軸である。急性期医療と慢性期医療は区分され、かかりつけ医に相対する地域医療支援病院という施設類型が出現し、長期入院に対する包括・定額化の道が明示された。
  もちろん、一つ一つの項目につき一喜一憂しても始まらない。自らに決定、承認権がない以上、医療経営側はいかに新制度に病院を適合させていくか、プラス改訂分野における機能を高め、マイナス改訂分野の影響を最低限にするかがポイントとなることはいうまでもない。

参考:Medical Management 4月号

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ホスピアタルフィーとドクターフィー

  年明けから、大蔵官僚と金融機関の癒着体質が問題となった。許認可や指導に人の意志が絡む以上、より有利に事を運ぶための企業防衛のなせる業のように思う。個人の検査官の意志をどれだけ排除するかが再発防止の決め手となることはいうまでもない。また、大蔵だけではなく、すべての監督官庁に同じ素地は存在していると思われる。
  医療もヒトとヒトとの間のサービスである以上、医療者と患者の間に自己防衛として「付け届け」「寸志」なる不透明な部分があることは否定できない。従来、病院の資本としてのホスピアタルフィーと医師の技術に対するドクターフィーは薬価差や保険診療から捻出していた。この春の診療報酬改訂で初めてホスピアタルフィーとドクターフィーが導入される。こういった区分をさらに明確にすることで、医療の不透明な部分を払拭できるものと思われる。
  さらに、医師の指名料などを掲示して、透明性のある、しかも納得できる費用体系こそが現今の医療不信に対しての回答となるものと思われる。(1998.2)

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品質保証

  年頭にあたって、今年のキーワードとしてあげたい。一般の企業のマーケッティング戦略として、当然の取り組みである。利用者である患者のニーズとして医療の場でも、検査、診断、治療の品質が保証されていることが強く求められてくる。品質管理の手法として、TQC活動、医療機能評価、ISO認証、さらにクリティカル・パスと話題に事欠かない。
  精神論やマニュアル文書だけの充実ではなく、コストの管理や情報ネットワークの整備といった基盤を固めることによってこそ、真の品質管理を成し得るものと思う。(1998.1)

参考:Medical Management 2月号

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情報開示

  このわずか1ヵ月の間に、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティー銀行と4つの金融機関が破綻した。これらのなかでも、山一における都合の悪い情報の隠蔽工作が問題視されている。市場が公正で、情報が公開(ディスクロージャー)されれば、貯蓄率世界一の国民は市場に資金を投入する。それがなければ、タンスの中にばかり資金は蓄積される。
  しかし、情報開示とともに、預金者保護という名のもとの公的資金投入はなくなる。つまり自己責任が生まれてくる。
  医療における情報開示圧力も大きくなってきた。カルテ情報ばかりではなく、経営情報を含めたその病院の品質管理が問われる時代に入ろうとしている。患者がどの病院を選ぶかは品質管理のディスクロージャーにより、自己責任となってくる。選択に耐え得る病院が生き残ってくる。(1997.12)

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誰がための

  先月から、臓器移植法案が施行となった。脳死をヒトの死と認めたことは画期的なことであろう。
同法案施行後、心肺同時移植を求めてオーストラリアにわたった女性のことがマスコミをにぎわした。病気による日常生活の不自由を移植により解決したいという強い気持ちは十分理解できる。しかし、オーストリア側の見解は「日本人であるといって差別するのではない。移植に提供される臓器は限られている。このケースは内科的治療をするべきである。」と門前払いであった。
  移植してほしい側の気持ちが、マスコミや市民グループを通じて前面に出される。もちろんエゴとはいえない。しかし、移植臓器を提供する側の悲しみ・苦悩も、すなわちヒトの死を乗り越えて生を得る現実も強調されるべきである。(1997.11)

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以人為鏡
Your Eye Is Our Best Mirror

  香港で開かれた Health Care System & Hospital CEO Summit に9月に参加した折り、宿泊したホテルのデスクにおいてあったメッセージである。
  9月からの医療保険改革にたいする病院側の対応として、マスコミは連日のように先進病院におけるアメニティーの向上を取り上げている。もし、公定料金である医療費の中から、病院がホテル並みのアメニティーの向上を目指すならば、それは補助金や自己負担から捻出するしかない。
  押し売りのアメニティーはないか、真にすべての患者が要求しているアメニティーは何か、よくよく検証してみる必要があろう。(1997.10)

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Face to FaceHeart to Heart

  前者は野村証券、後者は第一勧銀の営業上の標語だそうである。両社ともに顧客との対面を重視し、心を通じ合い、相互に十分な信頼関係を保持しようというものである。皮肉にもこの標語を掲げた両社の不祥事・大罪は衆知の事実である。
  われわれ医療界もまさに、ヒトによる対面、心のサービス産業である。今月からの自己負担増や今後迎えるであろう「抜本改革」によるさらなる自己負担増により、受益者側の価格意識の高まりは当然予想される。
  信用・信頼を失墜させた上記二社を見習うことなく、今以上にFace to FaceHeart to Heartの心を見直さねばならない。(1997.9)

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生活習慣病

  厚生省は昨年の秋に突然、従来「成人病」と呼んでいたものを「生活習慣病」とした。加齢による病気というよりも、個人の生活習慣が病気に起因するという考え方である。この呼称の変更の真意が今ようやく明らかになろうとしている。
  厚生省は7月に医療保険制度抜本改革案骨子を発表した。そこでは医療費削減を目的として従来の成人病とされた高血圧症などの慢性疾患に対して定額払い制をとるという方針が示されている。
すなわち、生活習慣で悪くなった慢性疾患に対しての検査・治療に「余計な事はするな」という事に他ならない。(1997.8)

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自己責任

  厚生省は診療報酬明細書(レセプト)開示の通知を行った。背景には日本各地の情報公開条例の制定と、9月からの医療保険制度改革による患者自己負担増があると思われる。特に後者の自己負担増を納得させるための一つの手段とういう意味合いが大きいのではないだろうか。さらに、今後のカルテ情報の開示への一つのステップかもしれない。
  唐突に見える突然の通知であった。まず、疾病予防の観点からの保険病名を悪とするかという問題が横たわる。さらに、人は必ず死という時を向かえる。ここにはガン告知問題のみならず、すべての病気の告知問題も横たわる。見せる側の責任だけではなく、見る側の責任、すなわち見る側も「腹をくくる」コンセンサスが肝要なのではないだろうか。(1997.7)

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社会主義国ニッポン

  日本は自由主義、資本主義の国のはずといわれるが異なる意見もある。動燃の疑惑隠し、野村證券事件といった構造的スキャンダルは日本における「官僚主導型社会主義」の弊害であるというものだ。動燃事件で露呈した秘密主義、ご都合主義の体質は社会主義につきものの弊害である。野村事件も大蔵省の護送船団方式といわれる社会主義的金融行政が背景にある。
  この体質は医療行政にもあてはまる。「公的介護保険制度に国民の80%は賛成している」という厚生省の国会向け資料は、まさにご都合主義そのままであるし、財政構造改革の目玉となる医療保険改革の論議において国民総医療費が先進国のなかで低い部類に属することはプレスリリースでは触れられない。しかも、介護保険、医療保険の両法案共に、与野党の政権の枠組み論議に紛れて衆議院を通過させた。
  小さな政府を目指す首相サイドと官僚サイドの駆け引きの勝者はどちらになるか明白である。(1997.6)

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資本主義経済の中の薬価差益

  医療保険改革論議の場に、必ず持ち出される薬価差益。この4月の薬価改訂前の一般病院における加重平均薬価差は14〜15%程度が多かったようだ。一般企業・商店の仕入れ値と売り値の差、利益率と比較してどうだろうか。決して高い数字ではない。病院は技術を売るところである。しかし、薬にかかわる技術料、すなわち処方料や薬剤情報提供料などは微々たるものである。調剤にかかわる薬剤師の人件費を捻出することは困難に近い。
  他の企業同様に資本主義の世の中にあっては、薬剤にかかわらず診療材料から医療機器、さらに事務用品まで、いかによいものを安く仕入れるかは企業の経営努力の結晶である。そこに罪悪が生じるならば、資本主義を否定することになるのではないだろうか。(1997.5)

参考:今後議論されるであろう薬価制度

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正念場

  4月の消費税値上げに伴う診療報酬改訂に続く医療保険改革が実施されようとしている。実質0.38%の値上げの診療報酬改訂に比べて、自己負担率の上昇を伴う医療保険改革は患者側の値上げ感は大変大きいものになると予想される。たくさん料金を支払うのだから、その見返りとしてのサービス向上を求める声は大きくなる。しかし、医療機関側が受け取る保険収入には変化はない。患者側の声にどれだけ医療機関側が応えることができるか。コスト削減とサービス向上に向けての正念場の春となりそうだ。(1997.4)

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ビックバン

  全国公私病院連盟が、2月1日に発表した病院経営実態調査によると、全病院に占める赤字病院は実に69.6%にも上っている。これは一般業界で言えばまさに構造不況といってよい数値ではないだろうか。これに対して、医材、薬品メーカーは高収益をあげて我世の春を謳歌している。
  国民医療費削減の大合唱の中で、赤字病院の増加医療関連産業の大幅な利益のアップ大きな内外価格差の現実を見ると、医療費削減政策の尻拭いはすべて医療機関だけに求められているような気がしてならない。特約店制度、医療法、保険制度、薬事法など、医療を取り巻く数多くの商慣行、業界保護策、規制が存在する。
  2001年実施を目標とした金融システムの改革「日本版ビッグバン」が進められようとしている。すなわち@市場原理A透明性B国際性を求めて銀行、証券、保険業界の相互参入・規制緩和・自由化が推し進められようとしている。医療費高騰は国民の問題である。そこに手をつける努力は必要であるが、いわば医療のビッグバン、規制緩和と自由化なしでは進めることはできないのではないかと思われる。(1997.3)

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消費税と介護保険

  全く関係ないかと思われるこの2つの事項での共通点は今後の病院経営上極めて大きなキーワードとなることである。消費税は、導入時に日本医師会の意見が通り、医療費は非課税となった。これが現在多くの矛盾を生み、医療機関自身の首を絞めている。人件費を除くすべての経費に消費税がかかるにもかかわらず、収入である医療費に消費税がかからないわけである。今春の消費税アップに伴う診療報酬の改定においても、実質0.32%のアップと、経費の中での消費税分を補填できないマイナスシーリングといっていいものとなってしまった。今後の更なる消費税アップを考えるにつけ、医療費も外税方式を選択しなかった先見に疑問を持たざるを得ない。
  同じ轍を介護保険問題で踏もうとしている。新春の日本医師会長の談話等でも、高齢者の医療にかかわる費用は全て介護保険でみようという議論がある。高齢者の急性期医療は誰がし、かかる費用の原資を介護保険でまかないきれるのであろうか。介護は介護、介護対象者の医療は、従来通り医療保険でといったドイツ方式の導入を望みたい。今回の通常国会で介護保険法案の審議がなされる。われわれ医療者のみならず、一般国民に、介護保険の給付対象をもっと分かりやすく示して欲しく思う。(1997.2)

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バブルの後で

  90年代初めにバブル経済が破綻し、そろそろ沈静化したかの印象がある。バブルの破綻で、弱いもの順に個人投機家、不動産業、一般企業、ノンバンク、金融機関と影響を被ってきたわけである。不良債権額からすると、今年は最後のバブルの責任者にしてもっとも強大な「ゼネコン」の動向に注目される。早速自民党は、財政再建・行政改革論議の中で、またGDPに匹敵する500兆円の国債・地方債を抱えながらも、あえて巨額の公共事業を盛り込んだ97年度予算案を発表した。これも「ゼネコン」救済策と思えてならない。
  97年度予算と時を同じくして、今春からの診療報酬改定・医療保険制度改革案も公表された。消費税アップ分すら医療機関側に吸収させる施策と、「ゼネコン」救済策の間のギャップを感じたのは私だけだろうか。(1997.1)

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安全・安心と安定

  昨年の大震災、オームによる数々の事件により日本の「安全・安心」の神話は消えた。そして、今年は財政破綻の中、既得権を一番離しがたいと思われる自民党単独政権が行政改革を旗印に誕生した。時を同じくして、許認可が生んだ「福祉錬金術」に社会福祉法人と厚生官僚による贈収賄疑惑で揺れている。財政破綻による医療・福祉への締め付けと裏腹に、補助金と利益供与。今、日本の「安定」も崩れようとしている。
  既得権、規制、許認可の緩和こそ行財政改革の目指すものであり、またそうしてこそ、日本の「安定」も生まれてくるものと思う。(1996.12)

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破局のシナリオ

  総選挙が終わり、各党公約の行政改革がどのように行われるか。住専問題を半年もしないうちに忘れてしまった国民やマスコミがどこまで監視できるかとても楽しみである。
  行革論議を横目に官僚主導型の報告がマスコミをにぎわせるようになった。医療費・福祉抑制へ向かっての一大キャンペーンである。10月22日、首相の諮問機関である経済審議会・構造改革推進部会は高齢化のピークを迎える2025年には、租税と社会保障の国民負担率は51.5%になるといい、28日には産業構造審議会(通産相の諮問機関)が56.4%になるとの見通しを示した。行革や公共事業の見直しからくる経費節減は考慮されていない。さらに支出面だけをとらえて危機をあおっており、社会保障の給付面も考慮すべきだし、たとえ負担が高くなっても、医療や老後で国民が安心できる保障の見返りがあるならば、「高負担・高福祉」が国としての一つの選択肢かも知れない。(1996.11)

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21世紀の日本

  ある講演で聞いた話である。21世紀になくなるもの:シルバーシート、「甥、姪」という言葉、廿世紀梨。梨はオチとして、高齢化と少子化を予想したものである。この二つのキーワードは政治、経済を含めて医療・福祉に大きく係ってくる。そして、行革、福祉、財源問題に対する各党の政策が示される総選挙のある今月が21世紀の日本の大きな曲がり角になるかもしれない、いや、なってほしいものである。政権を誰が取ろうと官僚のシナリオ通りに進んでいくことだけは、避けてほしいものである。(1996.10)

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総選挙で、医療・福祉は議論されるか

  政治の世界では、解散風が吹き荒れている。総選挙と国民負担の見直し、増税はなじまない。現に、年頭に小沢党首が消費税10%論をぶち上げたにもかかわらず、新進党は消費税据え置き論を展開している。行政の筋書きでは「国民医療総合政策会議」や、「医療保険審議会」中間報告により、この秋には、今後21世紀初頭までの医療供給や社会福祉政策のシナリオが決定される見通しである。はたして、介護保険の導入、自己負担の増額などを含む重要な、新しい医療・福祉政策が選挙の議論にあがってくるのであろうか。総選挙後に、各シナリオが提示されるような、国民をだますような行為を許してはいけない。
  必要なものは必要、いらないものはいらないと各政治家は選挙の場で、真っ向から議論する勇気を持ちあわせてほしいものである。(1996.9)

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